『バーボンは、ハイボールで』ー「B面の女」
2023年 12月 16日

B面の女
30年以上前のことが、今になって、思い出されてならない。
その日も、いつものように仕事帰りに、「雨戸」に寄った。
重い扉を開ける前から、"Sonny Clark Trio"の、♪Softly As In A Morning Sunriseが聞こえてきた。
ブルーノート1579番、ベース、ポール・チェンバース、ドラムス、フィリー・ジョー・ジョーンズ、1957年10月13日収録。もちろん、Van Gelder Studioだ。
同じアルバム名で、Time版もあるが、間違いなくこっちの方がいい。
しかし、ラッパ好きのこの店にしては珍しい、きっと客のリクエストだろう。
そんな思いで中に入り、いつものカウンターの奥から二席目のスツールに腰かける。
令子さんが何も言わず、棚から私のエヴァン・ウィリアムスを取り出して、炭酸で割って「お疲れ様」と差し出す。
一口飲んでから、後ろの、一番暗いテーブル席に、人の気配を感じた。
どうも、女性、一人のようだ。
背中に視線を感じたと思った途端に、その席から、女性にしては低い声で、
「やっぱり、カウンターですよね」という声が聞こえ、その女性が近づいてきた。
その女は、私の席からスツール三席を空けた左端の席に腰をかけた。
この店のカウンターは六席。
持参した飲み物は、ビールのようだった。
二十を少し過ぎたばかりか、あるいは半ばだろうか。
少なくとも当時の私よりは、若い娘だった。
ショートカットした髪、ジーンズと青いセーター。
細身で、背は、160センチくらいか。
顔は、当時人気の小林麻美に、似ていなくもない。
"Sonny Clark Trio"の♪I'll Remember Aprilが終わると、その娘は
「また、リクエストいいですか」と令子さんに聞く。
「いいわよ」と令子さん。客はその娘と私だけだ。
その娘、
「"Cool Struttin'"の、B面お願いします」
「あら、またB面」と令子さん。
1588番、リズムセクションは、Trioと同じだ。トラペットにアート・ファーマー、アルトサックスがジャッキー・マクリーン。1958年1月5日収録。。
私も、日本で異常な位人気の♪Cool Struttin'と♪Blue MinorのA面より、B面、なかでも♪Deep Nightが好きだ。
ほう、なかなか、いい趣味してるじゃないか、と思いながら、その娘に目をやった。
「絶対B面ですよね、このアルバム」と私に聞いてくる。
少し驚いたが「そうだね」とだけ、返した。
令子さんがターンテーブルの針を落としてから、空のグラスを差し出した。
2曲目、Sonny Clarkの絶妙なタッチが「VITAVOX(ヴァイタボックス) 」から流れ出した。
その夜は、常連客も少なく、その娘はその後も、Sonny Clarkのアルバム2枚のB面をリクエストした。
"Sonny's Crib"が終わりかけて、ようやく、馴染み客が二人、三人とやって来て、カウンター席が埋まった。
そこからは、いつものように、管楽器中心のアルバムが流れ出す。
しかし、その娘は、Clliford BrownもArt Pepperも、楽しそうに聴いていた。
ビールも、私が来てから、中瓶をもう一本飲んでいた。
そして、いつの間にか、カウンターにつっぷして、寝てしまった。
令子さんに聞くと、初めての客らしい。
閉店時間になって、令子さんが肩を優しく揺らして起こす。
「閉店よ」と言う令子さんに、ようやく虚ろな目をこすって、今どこにいるか思い出したかのような娘。
次に発せられた言葉に、令子さんも俺たちもぶっ飛んだ。
「すいません、お金持ってないんです。ここで、働かせてください」
B面の女の物語は、こうやって始まった。
1986年の「マウント・フジ」で、ジャッキー・マクリーンが♪Cool Struttin'で想像を超える盛り上がりがあって驚いた、というのは有名な話ですね。
大卒後、最初の勤務地新潟市のあるジャズ喫茶で、一年にバーボンのボトル50本キープしたことがあります。
長岡でも、6年間通った店がありました。
1500番台は、ほぼすべて聴いています。
聴くと、若かりし日の、いろんなことを思い出します。
この「小説のようなもの」は、そんな複数の思い出に、相当脚色を加えています。
