緒方正人著『チッソは私であったー水俣病の思想ー』より(2)
2023年 11月 22日

2001年に葦書房から刊行され、2020年にちくま文庫で増補再刊された、緒方正人著『チッソは私であったー水俣病の思想ー』から二回目。
私は、今月三回忌で帰省した際、もう読んだから、ということで母から文庫を譲り受けて読んだ。
なお、本書は、緒方正人さんのこれまでの活字化された講演・談話をテーマ別に構成しなおしたものである。
本書から、著者のプロフィールを引用。
緒方正人(おがた・まさと)
1953年、熊本県芦北町生まれ。不知火海で漁業を続ける。水俣病患者の未認定運動に身を投じたが、訴訟から離脱。石牟礼道子さんらとともに「本願の会」を発足させ、独自の運動を展開している。著書に『常世の舟を漕ぎて 熟成版』など。
目次。
□はじめに
□家出から”運動”へ
□チッソは私であった
□魚(いを)とともに生きる
□日月丸東京へ行く
□魂とは何ぞや
□対談 祈りの語り
□この本の成り立ち
□単行本あとがき
□常世の舟 石牟礼道子
□文庫版解説
不知火海の聖痕 米本浩二
□略年譜
今回は、家出から”運動”へ、の章に進む。
生いたち
私は水俣から少し北のほうにある(熊本県)芦北(あしきた)町の女島(めしま)という小さな漁村で生まれて、そこで育ち現在に至っています。私が生まれたのは1953年です。戦後八年たって、日本社会全体としては、これから豊かな国をめざして工業化、近代化へと歩んでゆく、ちょうどそういう頃だろうと思います。村中が漁業を営む暮らしで、その中でも私の親父は網元(あみもと)で、私には十本の指では間に合わないぐらいたくさんの兄弟がおりますが、その緒方家の末っ子として生まれました。そして私が生まれた年は、後に水俣病患者として認定される人たちが発症し始めた年なんですね。そういう意味では私は、水俣病の時代に生まれ育ったと思っております。
著者の故郷、女島の名で思い出したのが、NHK大河の「いだてん」のロケ地に、旧女島小学校が選ばれたことだ。
西日本新聞の2018年4月の記事に、ロケのことが書かれているので、ご興味のある方はご覧のほどを。
西日本新聞の該当記事
Google mapの「芦北 女島」の地図を拝借。
Google mapの該当地図
芦北の赤い点線で囲まれた場所が、女島である。

本書では、その後、著者の家族構成などが説明された後、故郷と実家についてこう書かれている。
芦北町、水俣の隣の隣の町ですね、熊本寄りにありますが、芦北町で漁師をやっている親父の所に生まれたわけです。マシマ、女島と書きますが島ではないのです。女島というちょっと突き出た小さな半島の所にあります。そこに生まれ、そしてそこに育って、そこに生きているということが、かつては当たり前のようにといいますか、そのことをそんなに深く考えなかったんですけど、この頃は、そこに生まれ、そこに育ち、そこに生きて、そこで死ぬということが、非常に苦々しいっていうのか、からいのかなにか、非常に深い意味があるような気がしております。
私の家は網元でしたから、家にはいつも三十人、四十人という人たちが働いていて、漁師の中でもいわば中小企業のようなものです。ですから一月に二回ぐらい分配をするわけです。歩合制なんですね。舟一舟を人間ひとり分とみる。あるいは網を一人分とみる。網元ですから舟は何そうも出すわけですし、網も大きな網を使うわけですし、燃料から何から全部出すわけですし、入ってくる金も多いわけです。網子として働く人にも、いわゆる歩合制で支給されます。勤務年数というのはあまり関係がなくて、いわばどれだけ仕事ができるかというところが大きかったと思います。
女島は、釣りの名所でも有名なようだ。
不知火海(八代海)の恵で生計を立てる網元の、大家族の家の末っ子として生まれた著者だが、その“宝の海”が、まるで"死の海”と化した。
「固有の水俣病」の原点
私が物心ついたときにはもう、目の前の海で魚(いを)が死んで浮いたりしている様子を目の当たりにしました。私が三歳、四歳、五歳となるにつれて、それが一匹、二匹ではなくて群れで死んで浮いているように、だんだん拡がりを見せていくわけです。そして猫がよだれを垂らしながらキリキリ回って、苦しそうに家の壁やレンガの壁にぶち当たって、海に落ちて行くというのをずいぶん見てきました。
私が六歳になろうとするとき、非常に健康だった親父が発病し、手足のしびれから始まって後頭部に痛みを訴えて入院しなければならなくなる。病名も原因もわからないまま、二ヵ月後に亡くなるわけです。あまりにも激烈な死の遂げ方、亡くなっていく様は、幼い私にとっては受けとめようがなかった。病院でも狂いに狂って、畳が擦り切れてしもうてですね、のたうちまわるもんですから、よだれは流すし、飯食うときもこぼしてしまうし、もう、クワーッとなって、なんもかんもこぼれてしまうわけですね。煙草を吸ってましたから、煙草をこうして、もうそれこそ振動も数え切れないぐらいの振動、動きを、ものすごくするわけです、煙草はまともに灰皿には入らないわけですね。そこら辺に落ちたり、畳が焼け焦げたりするわけです。自分の足で、太股でねじりつけて消したりしていましたけど、そういうのを見てて、しかもですね、薬も注射も何も効かんし、モルヒネをお医者さんがあとで打っていたと思います。これは麻薬だかたと言って、これしかもうなかったですって、もうお手上げ、お医者さんもむなしかったことですよ、本当に。私が水俣病のことを考えていく過程で一番大きな動機は、親父の発病と狂い死にしていく様を見せつけられたことだったと思います。
“宝の海”から“死の海”への劇的な変化を、幼少時に目の当たりにし、あまりにもむごい父の死に接した著者。
その緒方さんのその後については、次回。
緒方さんは訴訟から離れ、別な道を歩んではいるが、水俣病訴訟は、終わっていない。
現在進行形の大阪では、地裁判決に国が控訴した。
朝日新聞の10月の記事から。
朝日新聞の該当記事
水俣病訴訟、国が控訴 地裁判決は「国際的な科学的知見と相違」
2023年10月10日 17時25分
水俣病被害者救済法(特措法)に基づく救済を受けられなかった原告128人が、国や熊本県、原因企業チッソに損害賠償を求めた訴訟で、国は10日、原告全員を水俣病と認めて賠償を命じた一審の大阪地裁判決を不服として、大阪高裁に控訴した。熊本県も同日控訴した。チッソは4日付で控訴している。
地裁判決では、チッソ水俣工場から不知火海に排水されていた当時、沿岸地域に広く流通していた魚介類を継続的に食べていた場合、メチル水銀を摂取したと推認できるとし、原告全員を水俣病と認めた。国などに対し、原告1人あたり275万円、総額3億5200万円の賠償を命じた。
環境省は地裁判決について「国際的な科学的知見や(過去の)最高裁で確定した判決の内容と大きく相違する」として、上訴審の判断を仰ぐ必要がある、としている。
本書の紹介をする中で、この裁判についての情報も適宜お伝えしていくつもりだ。
そして、他にお伝えすべきと考えているのは、日航123便墜落の真相解明を求める裁判、そして、山上徹也の裁判。
まだ三権分立という言葉が死語になっていないことを、ひたすら祈るばかりだ。
