青山透子著『日航123便墜落 遺物は真相を語る』より(3)
2023年 08月 29日

青山透子著『日航123便墜落 遺物は真相を語る』
2018年に単行本で発行され、今年8月に河出文庫で再刊された『日航123便墜落 遺物は真相を語る』から三回目。
目次。
□文庫版 はじめに
□第一章 この墜落は何を物語るのかー国産ミサイル開発の最中の墜落
□第二章 焼死体が訴えていることは何かー乗客乗員全員分の未公開資料から
□第三章 遺物調査からわかったことは何かー機体の声が聴こえる
□第四章 証拠物と証言が訴えていることは何かー未来の在り様を考える
□あとがき
□文庫版 おわりに
□主な参考文献
引き続き、第一章 この墜落は何を物語るのかー国産ミサイル開発の最中の墜落、より。
前回は、1985年8月12日に日航123便墜落事件が起こった時期は、中曽根首相陣頭指揮によって軍拡が進む中、国産ミサイル開発のための試験飛行などが行われていたことをご紹介した。
実験中だったSSM(地対艦ミサイル)は、その後「88式地対艦誘導弾」という名で呼ばれることになる。
「ミサイル」→「誘導弾」の言い換えは、「汚染水」→「処理水」に似た誤魔化しを感じる。
さて、8月9日に、若狭湾上空でSSM-1のテスト飛行があった。
しかし、その後、舞台が変わる。
8月12日、相模湾で、自衛隊護衛艦「まつゆき」の試運転が行われた。
前回紹介したすぐ後の部分から引用。
東京から大阪行きの上空は、当時空の銀座通りというほど、同時刻発の全日空機や多くの飛行機が飛んでいたはずであり、そのようなところで訓練をしていたとはにわかには信じがたい。
8月9日には日本海側(若狭湾)での国産巡航ミサイルの飛行テストが無事成功したのはよいが、なぜ今度は相模湾で行ったのかがまず疑問である。ある軍事関係者の詳しい話では、次の訓練として大型爆撃機または大型輸送機をターゲットとして訓練したのではないだろうかということであったがこれはあくまで仮説である。特に、考えられるとすれば当時のソビエト連邦が1983年に初飛行を行った空中給油機イリューシン78(Ⅱ-78)を模したジャンボジェット機が狙われたのではないだろうか、その際、雫石事故(1971年7月、自衛隊訓練機が全日空機に衝突し、乗客乗員162名が全員死亡、自衛隊機はパラシュート降下し助かる)の教訓ということで、民間航空機を訓練のターゲットにしたのではいざというときに大変なことになる。したがって炸薬非搭載で形式だけのものであったはずだが、そこでなんらかのアクシデントが生じた。
ただ、腑に落ちないのはなぜ事故歴のあるJA8119機だったのだろうか、という点である。単なるジャンボであれば、他社便でもよかったはずだが、この飛行機でなければならない理由、そして、元自衛隊にいたパイロットが操縦する機体でなければいけなかった理由がそこに存在するのではないだろうか。
雫石事故は、昭和46(1971)年7月30日に起こった。
主原因は、訓練飛行の自衛隊機の教官が、民間機空域に入っていることを気づかず、訓練機と全日空機との衝突を事前に回避できなかったこととされている。
この事故の教訓として、民間航空航路と自衛隊機との空域を完全分離することになり、航空法が安全管理強化のため改正され、レーダー網の拡充につながった、と言われる。
責任の面では、どうだったのか。
Wikipedia「全日空機雫石衝突事故」から引用する。
Wikipedia「全日空機雫石衝突事故」
防衛庁・自衛隊、自衛官の対応
この事故の責任を取る形で、当時の防衛庁長官増原惠吉と航空幕僚長上田泰弘が辞任した。
刑事裁判における裁判の費用は国ではなく被告人個人が負担した。個人で賄える額ではなく、航空自衛隊OB組織「つばさ会」などからのカンパを受けた。有罪判決を言い渡された元教官は、自衛隊法の規定により失職した。元教官は再審請求も辞退し、パイロット職に復帰することもないまま2005年8月に死去した。また、訓練生は最高裁判決後、戦闘機から救難機パイロットに転じ、2003年(平成15年)10月に定年退職するまで人命救助の任務に当たった。
裁判において国が裁かれたわけではないが、防衛庁長官と航空幕僚長は辞任している。
162名という尊い犠牲は、その後の空の安全のための契機となった。
では、日航123便の521名(胎児を含む)という犠牲は、どうなのか。
誰一人責任をとらず、いまだ、墜落原因の真相が明らかにされないままなのである。
本書に戻る。
国産の地対艦ミサイル開発に関わった企業に関し、青山さんは不可解な事実を指摘している。
なお通常、試運転には開発担当の日系企業の技術者も当然同席するとミサイル開発担当の企業から聞いたが、その旨はホームページにも掲載されている。それらの企業は事故後、急浮上した東京電力の群馬県上野村にある神流(かんな)川発電所の設計に深くかかわっているのは本当に偶然なのだろうか。さらにこれらの日系企業は原発建設に特に深くかかわっており、その後国に救済を求めて事実上倒産した企業も含まれている。なお、この神流川発電所を見学した際、年に数回位しか稼働していない旨を説明された。東日本大震災のことや原発の運転再開を思えば、御巣鷹の尾根直下に穴を掘って莫大なお金で作ったこの発電所の存在は、一体何なのだろうか。年に数回のために作ったのか、何のためにわざわざ作ったのか、ダムが余っていることを認識せざるを得なかった。このダム建設を合わせて、御巣鷹の墜落現場付近の山々は数年閉鎖されて慰霊登山ができなかった時もあるが、このダムのために上野村は固定資産税で潤い、御巣鷹の尾根への道路は整備されて、最短距離で行けるように長いトンネルがいくつもできた。
上野村のサイトに、神流川発電所を紹介するページがある。
上野村サイトの該当ページ
次のように説明されている。
上部の長野県南相木村の南相木ダムと下部の上野ダムの落差653mを利用して発電する揚水式の地下発電所。現在2号機までが稼動しており、予定の6号機まで完成・稼動すると、世界最大級の揚水式発電所になるといわれています。
揚水発電は、日本の国土に適合した発電方式とも言われ、原発を再稼働させないためにも、太陽光発電などとともに期待されていた技術だ。
しかし、神流川発電所は、本当に6号機まで建設するのだろうか。
もし、発電量を増やすつもりがないのなら、何のために御巣鷹にこの発電所が建設されたのだろう。
日航123便墜落の真相を知る企業への、口封じのため・・・・・・。
発電所建設とともに、何かを地下深く隠すため・・・・・・。
謎がどんどん深まるばかりだ。
本書の引用に戻る。
いずれにしても防衛庁の発表によれば、日航123便の墜落四日前から、中曽根康弘首相の意向に沿った形で、防衛庁自らが開発していた国産の巡航ミサイル洋上実験での成功を称賛し、世界初の射程距離を自慢していたのは事実である。
このような状況下、通常の感覚で誰もが推定できるとすれば、国産巡航ミサイルの洋上飛行実験中に突発的事故が起きて、日航123便の飛行中、伊豆稲取沖で垂直尾翼周辺に異変を発生させた。即座にファントム二機が追尾してその状況を確認した。自衛隊はそのミスを隠すために一晩中墜落場所不明としていた、と考えると筋が通る。
青山さんの推理は、理にかなっている。
しかし、確たる証拠は、政府や防衛庁、そして日航が握っている。
では、どうしたらいいのか。
次回も、同じ章からご紹介したい。
