人気ブログランキング | 話題のタグを見る

アクセス急増から、三代目猫八を思い出す夏。

 昨日の拙ブログのアクセスレポートを見ると、ある記事のアクセスが急増していた。

アクセス急増から、三代目猫八を思い出す夏。_e0337777_18502526.png


 9年も前の8月6日の「三代目江戸家猫八と原爆」という記事だった。
2014年8月6日のブログ
 
 アクセス急増の理由は、どうも、昨日のテレビ朝日「徹子の部屋」の影響のようだ。
 「スターが証言『戦争と私』」と題した特集企画。
 テレ朝のサイトによると、四人の過去の放送が再放送されたらしい。
テレ朝サイトの該当ページ

 その四人は、三波春夫、加藤治子、高峰秀子、江戸家猫八。

 YahooニュースにMANTANWEBの記事が掲載されていた。
Yahooニュースの該当記事

 引用する。

<徹子の部屋>スターが証言「戦争と私」 三波春夫さん、最前線で感じた戦争の愚かさ 三代目・江戸家猫八さん、広島で見た地獄の光景
8/14(月) 16:15配信

 8月15日午後1時から放送される黒柳徹子さんの長寿トーク番組「徹子の部屋」(テレビ朝日系)は、「スターが証言『戦争と私』」と題した特集企画。忘れてはならない「戦争の記憶」をスターたちが語り継ぎ、「二度と戦争を起こさないで」と話す貴重な証言を放送する。

 1人目は歌手の三波春夫さん。当時の満州(現中国東北部)の最前線で、敵兵と戦った時に感じた戦争の愚かさ、死線をくぐり抜け敗戦を知った時の思いを語る。2人目は俳優の加藤治子さん。勤労動員により陸軍病院で働いていた加藤さんが、終戦後に見たものとは。

 3人目は俳優の高峰秀子さん。映画の撮影で訪れていた千葉県館山で、特攻隊員の慰問に訪れた。現地で終戦を迎えたが、その日の夜、特攻機が飛び立つ音を聞いたと明かす。最後は動物鳴きまねなどの芸で知られる三代目・江戸家猫八さん。8月6日、従軍していた広島で被爆。片付けのために入った町の中で見たのは、地獄の光景だったと語る。

 
アクセス急増から、三代目猫八を思い出す夏。_e0337777_11125691.jpg

小島貞二著『こんな落語家がいた-戦中・戦後の演芸視-』(うなぎ書房)

 拙ブログの2014年8月6日の記事は、小島貞二著『こんな落語家がいた-戦中・戦後の演芸視-』から紹介したものだった。

 古い記事と重複するが、孫が五代目猫八を襲名したことだし、久し振りに三代目のことをお盆に思い出すのも意味があるだろう。

 なお、小島貞二著『こんな落語家がいた-戦中・戦後の演芸視-』は以前にも、“わらわし隊”のことや、バシー海峡、昔々亭桃太郎のことなどについてこの本から紹介したことがある。
2010年8月17日のブログ
2012年11月5日のブログ

 昭和二十年八月六日に、広島にいた三代目猫八。
猫八と原爆

 落語家ではないが、声色の江戸家猫八(三代目・岡田六郎)も出征芸人であった。
 それもヒロシマで原爆に遭っている。
 父が初代の猫八だから根っからの芸人であるが、二代目ではなく三代目。中に一人、二代目がいるのである。あとで書く。
 昭和十六年に古川ロッパ一座に入り、役者を演っているとき、赤紙が来る。骨と皮の体だから、召集など無縁と思っているところへ来たのだから、本人もおどろいたが、ロッパもあわてた。
 当時、満二十歳になる男子は、徴兵検査の義務があった。検査は甲種、第一乙、第二乙、丙種とあり、甲種は文句なしの壮丁だった。戦争末期には丙種だった歌笑にまで赤紙が来たのだから、仲間たちは「歌笑が兵隊じゃァ、日本も勝てないよな」と、小さな声でつぶやき合った。猫八はその第二乙だった。
 新潟の部隊に入り、南方だ北方だとあちこちを引っ張り廻されるうち、ようやく兵隊らしい体格になる。そして広島県宇品で終戦を迎える。
 根が芸能人だけに、部隊では重宝がられ、演芸大会にはいつも主役をつとめ、ロッパからの手紙も励みになる。東京大空襲(二十年三月十日)のあと、許可が出て東京に帰り、浜町の自宅の焼け跡を呆然と見る。
 あのヒロシマの日(二十年八月六日)のことは、猫八が自伝の中で書いている。その一冊『兵隊ぐらしとピカドン』(ポプラ社刊)によると、

  (中略)市内にはいると死体が横たわっている。トラックに何台ものせて
  太田川の土手へはこぶ。路上には、電信柱をささえるワイヤーロープに
  つかまったままで死んでいる人、川の中から上半身を水の上にだして
  虚空をつかむようにしてこう直している死者。水死体となって、川にういて
  いる男、女、そのなかには、牛や馬もまじっていた。
   キノコ雲はまだきえない。
   広島の上空のはんぶんに大雨がふったかと思えば、その反対側が
  晴れてお日さまが見える青空。気象の変化もともなった、まるで、
  キツネの嫁入りのアレである。

 そして、広島市内を歩く。
 その朝、猫八は宇品の兵舎にいた。爆音が響き、小さな落下傘が降った瞬間、ピカーッと光ってドーン。すぐ防空壕に飛び込み、五体満足を確認する。
「街の様子を見てこい!」
 という班長命令で飛び出したのが、前記のスケッチである。
 これがのち猫八の売りものの「原爆体験記」になる。芸術祭公演にも、テレビの演芸にもなり、多くの人に感動を与えた。

 私は子供の頃、三代目猫八はNHK「お笑い三人組」で知った。

 そのNHKは、今年の夏は過去の戦争特集番組の再放送ばかり。
 

 とはいえ、アクセス急増から、私も以前の記事で、あらためて三代目猫八の事を思い出す8月。
名前
URL
削除用パスワード

※このブログはコメント承認制を適用しています。ブログの持ち主が承認するまでコメントは表示されません。

by kogotokoubei | 2023-08-16 20:18 | 反戦 | Trackback | Comments(0)

あっちに行ったりこっちに来たり、いろんなことを書きなぐっております。


by 小言幸兵衛
カレンダー
S M T W T F S
1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31