『黒い雨』を読み直す(7)
2023年 08月 15日
井伏鱒二著『黒い雨』を読み直している。

井伏鱒二『黒い雨』(新潮文庫)
本書について拙ブログでは、古くは10年前に「芒種」を題材にご紹介した。
2013年6月4日のブログ
二年前の8月6日には、本書執筆のきっかけとなった『重松日記』について書いた。
2021年8月6日のブログ
本書は、被爆者の重松静馬『重松日記』のみならず、被爆した軍医の岩竹博による『岩竹手記』を元にしている。
今回は、岩竹手記を元にした部分をご紹介している。
手記には「広島被爆軍医予備・岩竹博の手記」という題がつけられていた。
本書では、この手記を岩竹さんの義兄である医師細川先生が主人公の重松に贈ってくれた、としている。
重篤な原爆症であった岩竹さんが快復に向っていることを知ることで、重松家に同居している同じ苦しみにある姪の矢須子を励ましたい、という細川医師の心遣いだった。
前回は、岩竹さんの奥さんが、戸坂までたどり着き、夫が庄原へ移送されたことを知った、というところまでご紹介した。
奥さんは戸坂の駅へ急ぎなんとか芸備線に乗ったものの、塩町で庄原行きに乗り換えようとしたが、すでに最終庄原行きが出た後で、駅のホームで新聞紙を敷いて座り、夜明けを待った。
私の隣に府中町の人がいて、いろいろ話をしているうちに、その人が府中町の細川分院を知っていると云うのです。では、私はいま庄原へ行く途中ですから、必要なものを持って来てもらうように細川の兄宛に走り書きして、それを細川分院に届けてくれるようにその人に頼みました。不幸中の幸いです。その人は福塩線府中行の汽車に乗り(福塩線も福山近くの他は通じておりました)私は芸備線庄原行の汽車に乗るということで都合よく行きました。福塩線と芸備線は塩町で分れています。
二つの路線が交差する塩町。
そこで夜を過ごしたことが、岩竹さんの奥さんにとっては吉となった。
「ジョルダン」のサイトから芸備線と福塩線の路線図を拝借。
「ジョルダン」サイトの該当ページ
「ジョルダン」サイトの該当ページ


塩町の名は、塩分を含む温泉が出る小さな池があり、そこに塩神社を祭ったことに由来する。
塩町駅は、福塩線の終点なのだが、福塩線は運転系統上は三次駅まで乗り入れるため、当駅止まりの列車はない。現在は、無人駅である。
さて、庄原に着いた岩竹さんの奥さんは、収容所となった国民学校へ向かった。
「戸坂の国民学校と同じように、見渡すかぎり怪我人がぴったり臥ておりました。岩竹はどこにいるのか分りません。衛生兵のような人が『おい、岩竹軍医予備員はどこか』と云ったので、『岩竹、おりませんか。岩竹、おりませんか』と私も呼びました。
私の胸は動悸を搏(う)っておりました。何の答もありません。でも、弱々しく手を挙げるのが見えまして、やっと主人だということが分りました。顔が倍くらいに腫れあがり、右の耳朶に絆創膏で留めてガーゼを当てておりました。どうしたことか耳鳴りがして困るというのです。ここで私が不思議に思ったのは、一人の患者の呻きだすと、たくさんの患者が一斉に呻きだすということでした。そう云っては何ですか、まるでその声は田圃の蛙か何かが一度に鳴くような凄い声でした。」
塩町駅での縁で府中に行く方が伝言してくれたおかげで、細川医師が看護婦を連れて、ガーゼや繃帯やリンゲル、葡萄糖注射液、チンク・オイルなど、提げられるだけ持って来てくれた。
岩竹さんの奥さんは、軍医にお役に立ててください、と差し出したものの、その中尉は苦り切って、「軍は軍の方針でやっておるのだから、民間から勝手なものを持ち込まぬようにしてもらいたい」ときつく叱られた、とのこと。
「そのくせこの中尉は、主人の火傷を治療するのに、為体(えたい)の知れぬ透明な液体を看護婦に命じて塗らせておりました。ある日、その塗布されたあとを主人が見ると、瓜の種が一粒附着しておりました。翌日、この薬は何かと主人が看護婦に聞いて、昨日は瓜の種がついていたと云いますと、「あら、種が残っていましたの。よく搾って濾した筈でしたのに」と云って、胡瓜の汁を塗っていたことを自分で暴露してしまいました。『即成ヘチマコロンじゃないか』と主人は、腫れあがった口許をゆがめておりました。火傷に胡瓜の汁を塗る療法は、素人療法としては昔からあるかもしれません。でも火傷と云えば、リンゲルとか葡萄糖とか食塩水とか云ったものを、どんどん補って水分の補給をやらなければ、身体の三分の一以上やられたときには助からないということです。」
原爆投下後の混乱の中とは言え、この時の軍医の対応は、硬直した軍組織のひとつの典型を見る思いがする。
8月13日、岩竹さんは、右の耳痛に堪え切れなくなっていた。
翌14日、庄原日赤病院の耳鼻科の先生、召集中尉が来た。
「耳朶を覆ったガーゼを取って脱脂綿を取除くと、耳穴から脂のような分泌液がどろどろと流れ出て、かさぶた被っている耳朶から耳穴の入口まで、いっぱい蛆が湧いている。小さな1ミリほどの蛆が二百匹ぐらい。私は中尉に云われ、洗面器で受けてスポイトの水でもって洗い落しました。耳穴の中の蛆は中尉が取出してくれました。
おかげで鼓膜を刺激していた元兇(げんきょう)が影をひそめまして、耳痛もとれて熱発も下降の徴候を見せだしました。」
岩竹さんは、うれしさの余り、軍医に酒を持って行って欲しいと奥さんに頼んだ。
奥さんが、庄原の伯母さんに頼んで一升瓶を調達し、風呂敷に包んで届けた。
「酒瓶を戸棚に入れた中尉は風呂敷を床板に投げつけて、『こんなもの、持って帰れ』と云いました。私は帰って来て主人にその通り報告しましたが、『そうか、戦争のせいだ』と云っておりました。戦争というものは、そういう人間をこしらえる必然性を持っていて、良いことは何ひとつ生まないと主人は云うのです。」
せっかく耳痛がおさまったのだが、翌8月15日、岩竹さんは高熱を出した。
その後のことは、次回。
今日は、私もかみさんも休み。
久しぶりの昼呑み。
目当ての店は他にあったが、やはり、お盆で休み。
そういう時は、たまに行く、磯丸水産。
海鮮浜焼きセット。ホタテが入荷せず、代わりにホッキ。

ホッキとイカ

ハマグリ

蟹味噌甲羅焼き

生ビール2杯とハイボールだった。
帰宅し、ウトウトしてから、ブログ、ユウの散歩。
これから、晩酌。
昼は昼、夜は夜、なのだ(^^)
