古今亭志ん朝一門の本から、亡き人を偲ぶ(1)
2023年 07月 04日
第四局は、18日、知り合いが料理長を務める岩室温泉の高島屋で行われる。
さて、今年は、古今亭志ん朝の二十三回忌。
弟子の八朝の訃報にも接した。
そんなこともあって、ある本を読み返してみた。

『よってたかって古今亭志ん朝』(志ん朝一門、文春文庫)
『よってたかって古今亭志ん朝』は、2006年に文藝春秋から単行本、2008年に文春文庫で発行された。
これまでも何度か、本書から紹介しているし、何と言っても巻末の主要なホール落語会での演目一覧は、私にとって実に得難い資料である。
先日、亡くなった八朝のことを、昭和45年入門同期の立川談四楼の本から、少し振り返った。
同記事にいただいたコメントでもご指摘いただいた通りで、本書は志ん朝一門弟子の言葉を、岡本和明が構成・編集したものなので、八朝を含めて、師匠を巡る数多くの言葉が収められている。
本書に登場する弟子たちの写真があるので、拝借。

入門順は、志ん五(昭和41年)、志ん橋(昭和44年)、八朝(昭和45年)、志ん輔(昭和47年)、桂才賀(昭和47年九代目桂文治に入門、文治他界のため昭和53年志ん朝門下)、七代目志ん馬(昭和56年六代目志ん馬に入門、平成6年師匠志ん馬他界のため志ん朝門下)、朝太(志ん陽、平成10年)となっている。
この中で、三人が旅立っている。
亡くなった順に。
〇初代古今亭志ん五
昭和24(1949)年5月30日生まれ、平成22(2010)年9月28日没。
東京都台東区浅草出身。出囃子は『ゲイシャワルツ』→『藤娘』、
〇七代目古今亭志ん馬
昭和33(1958)年3月3日生まれ、平成25(2013)年10月7日没。
東京都板橋区出身。出囃子は『芸者ワルツ』。
〇古今亭八朝
昭和26(1951)年7月19日生まれ、令和5(2023)年6月26日没。
東京都豊島区出身。出囃子は『雛鶴三番叟』。
三人の中で、生の高座と縁があったのは、志ん馬だけだった。
他の人の言葉も含むが、一門による、師匠にまつわる思い出話をご紹介。
「しくじりもまた楽し」の章から。
車の窓開けて「お元気ですか~」だって
八朝 私の場合も大きなのが二つあるなあ。でも、志ん五兄貴や志ん橋兄貴みたいには深刻じゃなかった。
志ん橋 みんな同じだよ。
八朝 風邪をひいちゃって、その日は朝から熱があったんで、師匠の家に電話して、おかみさんに、
「すみません、風邪をひいちゃって、熱があるんで今日はやすませてください」
って言ったら、
「大丈夫? じゃあ、今日は休んでゆっくりしなさい」
って言ってくれたんで、医者へ行って、家でのんびりと寝てたの。そうしたら、午後になって熱が下がってきて、体温計で測ったらほとんど平熱。調子よくなってきちゃってね。で、午後になって同窓会があるのを思い出したの。時間はあるし、体の調子もよくなったんで、
「よしっ、行こうじゃねえかっ」
ってことになってね(笑)。その日は飲んだねぇ。もう、すっかりいい気持ちになってね。普通だったらそんな時に師匠を会うなんて想像できないでょ。ところが、悪いことはできないね。師匠と会っちゃったの。
志ん馬 偶然にしてもできすぎだね。
才賀 映画かテレビドラマみたい。
八朝 そう。まさか、師匠に出会うなんて、これっぽっちも思ってなかったから、仲間と、
「もう一軒行こうか」
なんて言いながら歩いていたら、車が一台ゆっくりと近づいてきて、窓が開いたと思ったら、中から師匠が、
「お元気ですか~」(笑)
って、昔、井上陽水の車のCMがあったじゃない。あれとそっくり(笑)もう、酔いなんかいっぺんに醒めちゃって。<どうしよう>って思ったね。
志ん輔 それで、すぐ帰ったの?
懐かしいCMネタ(^^)
それにしても、志ん朝の対応は、不思議ではある。
その謎の答えと、もう一つの八朝のしくじりについて、引用を続ける。
八朝 その日はもうやけだから、最後まで付き合った(笑)。でも、家に帰ると、また、<どうしようか>って悩んでいたんだけどね。いよいよ次の日ですよ。朝、師匠の家へ行って掃除なんかやってると、師匠が起きてきたの。いつもは、おかみさんの方が先なんだけど、その瞬間、
「お前、昨日は何やってたんだ」
って怒られて、クビになるかなと思ったんだけど、師匠は何も言わない。そうなると、尚更気になるから、
「師匠、昨日はありがとうございました」
って言ったら、師匠が、
「おう、風邪、大丈夫か?」
だれでも<あれっ?>って思うでしょう(笑)、だから、
<師匠は自分の口から言えないんで、おかみさんに言わせるんだ>
と思っての。師匠は、便所(はばかり)から出てくると、煙草を吸ってる。コーヒーを出すと、何も言わないで飲んで、テレビを見て、その後、新聞を読んでる。私としては、段々、嫌な気持ちになるわけ(笑)。
それから暫くして、おかみさんが起きてきた。その時は、
<こりゃあもう、駄目だな>
って観念したの。で、
「おかみさん、昨日はどうも・・・・・・」
って言ったら、優しい声で(笑)、
「どうしたの、熱引いたの?」
私がとまどいながら、
「おかげさまで、ありがとうございます」
って言うと、おかみさんが、
「気をつけないとだめよ。私たちに移さないでね」
だって。その時、何で師匠が私を怒らなかったのか後になって分かったんだけど、あの日、志ん輔が師匠に隠れて、自分の会をやってたのを師匠が見つけたの。
志ん輔 そんなこと、ありましたっけ?」
八朝 あったの。私と出会う前、師匠がTBSの近くのスナックの前を通りかかったら“古今亭朝助来る”って看板を見つけたんだって。うちは前座時代は、わきで仕事をやっちゃいけない決まりでしょ? だから、私を破門にすると、志ん輔も破門にしなきゃならないから師匠は黙ってたんだって。
その時は怒られなかったけど、その後、一回だけ本当に怒られたことがある。本当につまんないことで。その日、師匠が出かけたあとで、おかみさんも出かけちゃったの。
「いってらっしゃーい」
って見送って、三時間くらいしてからかな、師匠から電話があって、
「お前ねえ、今日はもう帰っていいよ。ただし、鍵をいつもの所、風呂場ん所に引っ掛けて帰るのを忘れるなよ」
「分かりました」
あれは確か、六時を少し前だったかな。ふだん、そんなに早く帰れるってことないじゃない。
志ん輔 うちの場合、遅いからね。
八朝 それからはもう、帰れるってことだけしか頭にないから、きれいに部屋の中を片付けて、さーっと帰ったの。鍵のことなんか一切頭にない。
その日は家へ帰るとすぐに遊びに出ちゃって、随分遅く帰ったんだけど、鍵を風呂場ん所は引っ掛けるのを忘れたなんてことは全く思い出さないだよね。で、あくる日、師匠の家へ着いてから初めてそのことを思い出したの。
玄関の所を見たら、煙草の吸殻が山のようになってる。あれ、三十本くらいあったんじゃないかな(笑)。で、玄関を掃除した後、いつものように家の中を掃除してたら師匠が二階から降りてきて、
「お前なあっ、人から言われたことができなくてどうするんだ。辞めちまえっ」
って怒鳴られたの。謝るしかないから、
「すみません。申し訳ございません」
って言ったら、
「辞めちまえっ」
師匠はそのまま便所(はばかり)に入って、それで済んだの。
志ん馬 師匠はどうやって家へ入ったの?
八朝 おかみさんが帰ってくるのをずーっと待ってた。今みたいに携帯電話がないから。でも、どこかへ飲みにでも行って時間をつぶしてればいいのにね(笑)。
師匠と弟子、その関係は、なかなかに深いものがあるねぇ。
志ん朝、そして、志ん五、八朝、志ん馬を偲ぶつもりで、本書からもう少し、志ん朝一門の会話をご紹介するつもりである。
久し振りにこの文庫を読んだが、ちょうどこのブログを書き始めた頃に文庫が発行されてすぐに読んだことや、その後、寄席や落語会に積極的に行きだしたことを思い出す。
今は、コロナ禍で遠ざかったままになり、会社とアルバイトで、なかなか時間が取れなくなったが、それ以上に、以前ほど落語会に行こうとする情熱がなくなってきたのも事実だ。
喜多八、そして師匠の小三治も今はいない。
現役の中堅や若手も、ある時期集中して聴いたこともあり、その高座が想定できるし、新たな発見があるような気がしなかったというのが本音だ。
しかし、志ん五や八朝を含め、後から、聴いておくんだった、と思う噺家さんも少なくない。
あと二年で古希。
間違いなく、時間はできるだろう。
それからにするか、あるいは、その前に、ぼつぼつ復帰するか。
コロナの感染がまた拡大してきた。
前期高齢者は、今、少し悩んでいる。
今日は、帰省前最後の飲食店のアルバイト。
どうにか慣れてきた。
終わってから、帰省のために少し買い物をして帰宅し、整骨院へ行った。
腫れはひいてはきたが、ほとんど立ちっぱなしのバイトをしているんだから、完治までは、少し時間がかかりそうだ。
湿布とテープを、帰省のために出してもらった。
ユウの散歩も、さぼるわけにはいかない。
もうじき、連れ合いも帰る。
冷たいビールは、それまで我慢(^^)
志ん朝が他界して今年10月で早くも22年になるのですか。
昭和の四天王は一人として聴く機会がなく、残念です。好みは人それぞれですが、私はやはり志ん朝・先代柳朝の二人でしょうか。啖呵を切る噺などは志ん朝よりも先代柳朝のほうが好みです。二朝会を一度でも聴いておきたかったと思います。
志ん朝と仲が良かった先代橘家文蔵も9月で没後22年ということになります。
地味な存在でしたが、噺の分かりやすさは抜群でした。八代目正蔵と六代目圓生は天敵とも言えるほど反りが合わなかったようですが、先代文蔵は圓生にハマっており、かなり多くのネタを教わっていたと当代正雀が証言しています。
圓生に「竹の水仙」の稽古をつけたという逸話は有名ですね。
因みに先代文蔵は鶏肉が苦手だったようですが、現・春風亭一朝も鶏肉が駄目らしく、当代春風亭柳朝が落語協会総会で師匠一朝から鶏の唐揚げを食べて欲しい、と渡されたと先月29日のブログに書き綴っていました。一朝も当初は先代正蔵門下に入門を望んでいたそうですから、妙なところが似ているものですね。
先代文蔵に円生から要望して『竹の水仙』をもらったというんですから、その実力の高さが分かります。
喬太郎は、文蔵に了解を得て、舞台袖で聴かせてもらっています。
志ん朝も、文蔵を慕っていたようです。
私は、志ん朝も文蔵も、生の高座に縁がありませんでした。
一朝の唐揚げの件、私も柳朝のブログで読みました。
微笑ましい、師弟愛ですね(^^)
なにかあったのかなあ。
6月27日の記事で、短く触れていましたね。
「いろいろ問題もあったけど見習いから前座時代はたくさん教えてもらった兄さんだ。そっかぁ・・」
その「いろいろ」は当事者しか分からないことなのでしょう。
