目撃証言を振り返る(2)ー『日航123便 墜落の新事実ー目撃証言から真相に迫る』(河出文庫)より。
2023年 06月 10日

青山透子著『日航123便 墜落の新事実ー目撃証言から真相に迫る』
『日航123便 墜落の新事実ー目撃証言から真相に迫る』は、2017年に河出書房新社から単行本、そして、2020年に文庫で発行された。
『日航123便墜落事件 JAL裁判』のシリーズを続けているが、なぜ、情報開示を求めるか、という理由において、当時の目撃証言が大きな要素を占めている。
なかでも、日航123便を自衛隊のファントム機二機が追尾していた、という目撃証言は、重要だ。
また、墜落場所がなかなか特定できなかったが、現場の上野村では、早期にメディアへの通報もあった。
ということで、まだ紹介していなかった本書から、二回目。
上野村の小学生、中学生の目撃記録は、文集として残っていた。
第三章 「小さな目は見た」というもう一つの記録、から引用する。
文集は、二冊。
これが掲載されている写真。

引用する。
一冊は、群馬県上野村立上野小学校百四十名の日航機墜落事故についての文集『小さな目は見た』(1985年9月30日発行)、もう一冊は、群馬県上野村立上野中学校八十七名の日航123便上野村墜落事故特集『かんな川5』(1985年10月1日発行)である。どちらも事故発生後すぐに書かれたものであり、記憶が鮮明なうちにしっかりと詳細に書いている。
上野村立上野小学校の当時の校長、神田箕守氏は文集の発行について次のように書き記している。
「(略)子ども達は多くのものを見聞し、多くの事を知りました。多くの事を考えました。だがこの貴重な体験もそのまま放置するならば、やがて忘却の彼方に消え去る事は必至であります。体験が生々しい中に、考えが新鮮な中に、それを深め、まとめておくことが、子ども達の長い人生に役立つことであり、尊い犠牲者の皆様の御供養に通ずるものと考え、『日航機事故について』の文集を作ることを計画いたしました。(略)」(原文ママ)
未来を担う子どもたちのために、実際に見聞きした体験談を忘れ去ることがなきよう、墜落事件発生後一か月以内に書かせたというその姿勢に教育者としての信念を感じた私は、神田元校長に連絡を取った。
2014年6月のことである。その時84歳という年齢で、耳も遠く物忘れもひどいということで、手紙での簡単なインタビューという形になった。
(中 略)
神田校長のあの日についてお聞きすると次のようなことであった。
「8月12日は当地区ではお盆の前日で、すでに盆迎えの準備をしていました。準備を終えた日暮れの頃、集落の上を自衛隊のジェット機二機が二回ほど旋回したことを家の中から、音で知りました。
とはいえ、神田校長は、事故原因について特に疑いはなかった、と言う。
そして、この自衛隊機二機の旋回が何時頃のことかは明確には覚えていないようだ。
前回の記事で紹介した目撃者の方は、18時35分頃、と記憶している。
公式発表の時間より、明らかに早い。
そして、上野小学校の文集『小さな目は見た』には、しっかりと、当時小学五年生のH・H君の記録が記されていた。
『8月12日の夕方、6時45分ごろ南の空の方からジェット機二機ともう一機大きい飛行機が飛んで来たから、あわてて外へ出て見た。そうしたら神社のある山の上を何回もまわっているからおじさんと「どうしたんだべ。」と言って見ていた。おじさんは「きっとあの飛行機が降りられなくなったからガソリンを減らしてうるんだんべ。」と言った。ぼくは「そうかなあ」と思った。それからまた見ていたら、ジェット機二機は埼玉県の方へ行ってしまいました。』(原文ママ、以下略)
6時45分という時間が具体的である。
その後しばらくテレビを見ていたらニュースで墜落の報道があったということである。時間的に見ると、墜落前であることからやはり大きい飛行機は日航機、小型ジェット機二機は公には発表されていないファントム機だと考えると他の目撃情報と辻褄が合う。
墜落現場である上野村の人々は、8月12日夜、なかなか墜落場所が明らかにされなかったことに、大きな疑問を抱いていた。
墜落場所については父母と具体的な話をしている子どもが多い。例えば、小学校六年生のE・Kさんは7時30分頃、『自分の家の上が何かうるさくなったため、外に出て見るとヘリコプターが何機も飛んでいた。夏期講習に行っている兄からの電話で、飛行機が長野県北相木(あいき)村に墜落したと聞き、びっくりした。夜中一時頃に姉がNHKに電話をして「絶対に日航123便は上野村に墜落していますよ』と伝えたところ、NHKの人が「はい、ありがとうございます」と言った』とまで記述している。これは重要なことである。『次の日。姉はやっぱり私の言ったとおりに上野村だったじゃないと言いました』とも書いている。
他の地元民も報道機関に電話をしているが、テレビでは別の地名を報道し続けていた。小学校三年生でも、大人と地図を見ながら、『スゲノ沢に落っこちだ』と書いている。
当日、ドカーンという音が聞こえるほどの距離で、その前後に飛行機や自衛隊機を目撃し、さらに五機以上の多数のヘリコプターも目撃している。ぐるぐる回り、右から左へいったりきたり、という表現も多数ある。墜落した場所はお父さんが二十年前に植林した場所だ、という子どももいて、その日のうちに上野村だとわかって現地に行く用意をしている。これでなぜ上野村という地名が墜落現場として挙がらなかったんだろうか。子どもたちの目はしっかりと見ていたのである。
上野村の人々から、墜落場所に関する複数の情報提供がメディアなどに報告されたにも関わらず、日航は「墜落地点は長野県北相木村、御座山北斜面」と発表していたため、捜索に向かった消防団の人々も混乱した。
なぜ、日航は、誤った情報を流したのか。
NHKなどのメディアは、上野村の人々からの情報を、なぜ、握り潰したのか。
こういった目撃証言からも、日航123便墜落の真相は、まだ明らかになっていない。
38年前、上野村で小学生や中学生だった人達は、今もご健在な方が多いだろう。
きっと、疑問を抱いたままで過ごしてきたに違いない。
そして、521名(胎児を含む)の犠牲者も、もちろん、浮ばれない。
さて、これから飲食店のアルバイトに、出かけなきゃ。
