目撃証言を振り返る(1)ー『日航123便 墜落の新事実ー目撃証言から真相に迫る』(河出文庫)より。
2023年 06月 09日
前の記事で、青山透子さんが情報開示を求める理由を八つに集約した内容をご紹介した。
その中で、上野村の人々などの目撃証言が、重要な要素であることが分かる。
ということで、これまで拙ブログでは紹介しなかった青山透子さんの本について。

青山透子著『日航123便 墜落の新事実ー目撃証言から真相に迫る』
『日航123便 墜落の新事実ー目撃証言から真相に迫る』は、2017年に河出書房新社から単行本、そして、2020年に文庫で発行された。
青山さんの著作は、次の通り。
□『天空の星たちへ――日航123便 あの日の記憶』2010年4月29日 マガジンランド
□『日航123便 墜落の新事実――目撃証言から真相に迫る』2017年7月30日 河出書房新社
□『日航123便墜落 疑惑のはじまり――天空の星たちへ』2018年5月28日 河出書房新社
□『日航123便墜落 遺物は真相を語る』2018年7月21日 河出書房新社
□『日航123便 墜落の波紋――そして法廷へ』2019年7月12日 河出書房新社
□『日航123便墜落――圧力隔壁説をくつがえす』2020年7月21日 河出書房新社
□『日航123便墜落事件 JAL裁判』2022年12月2日 河出書房新社
ということで、この本は、二冊目、ということになる。
この本は、本屋大賞ノンフィクション部門の最終選考に残り大賞は逃したが、全国学校図書館協議会選定図書となった。
「第二章 新たに浮かび上がるあの日の証言」から、引用する。
●ファントム二機と赤い物体の目撃者
2015年9月、「青山さんに聞いてもらいたい目撃情報がある」ということで突然出版社を訪ねてきてくれた女性がいる。その人は1985年8月12日に目の前を異常なほど低空で飛ぶ日本航空123便を見た、とのことだった。担当編集者がたまたま在席していたが、次の予定があって私の代わりに少し話を聞いて職場の名刺と連絡先を受け取り、そのままになってしまっていた。今回の出版が決まって連絡をすると快く対応してくださり、改めて話を聞く機会を得た。
現在は東京にて福祉関係の仕事をしていらっしゃる小林美保子さんは、1985年当時22歳で、実家から静岡県藤枝市にある運輸関係の会社まで車で通勤していた。8月12日のあの日は、お盆前で仕事が忙しく、いつも17時半で終わる予定が18時30分になってしまった。
タイムカードに打刻をして階段を下りて外に出た瞬間、「キャーン、キャーン」と二度、すさまじい女性の金切り声のような音を聞いた。絶叫マシーンに乗った人の悲鳴のような凄い高音で、驚いて頭上を見上げると目の前を低く右斜めに傾きながら飛行しているジャンボジェット機が見えた。
ちょうど会社の敷地内で前方に東名高速道路が見える位置だった。自分の背中側から飛んできたジャンボ機は白い塗装に日航のシンボルカラーである赤と紺色の線が入っていた。駿河湾の方向から富士山のある北の方角へ向かって、ゆっくりと右旋回しながら飛行しており、はっきりと窓も見えるほど高度が低い状態だった。飛行そのものは安定している感じだった。それにしてもいつもの航空路ではないこの場所で低空飛行のジャンボ機を見るとは思ってもいなかった。
そしてその時、あることに気付いたのである。
「それはですね。機体の左下のお腹です。飛行機の後ろの少し上がり気味の部分、おしりの手前くらいでしょうか。貨物室のドアがあるような場所、そこが真っ赤に抜けたように見えたんです。一瞬火事かな、と思ってけど、煙が出ている様子もない。ちょうど垂直尾翼あたりがグレー色でギザギザのしっぽみたいだったので、それが煙に見えたけど・・・・・・、煙ならたなびくけど、それは動かなかった。今思うと、千切れたしっぽのギザギザが煙のように見えたんですね」
真っ赤というと火事かと思いきや、そうではないという。
「そのお腹の部分、つまり飛行機の左側の部分、4~5メートルくらいになるのかなあ、貨物室ドア二枚分ぐらいの長さでしょうか。円筒形で真っ赤、だ円っぽい形でした。濃いオレンジ、赤という色です。夕日を浴びて赤い、という感じでもない。夕日は機体の背を照らしていたので、逆にお腹はうす暗く見えました。円筒形のべったりとした赤色がお腹に貼り付いているイメージ、言葉で伝えるのは難しいけど、絵に描くとこんな感じかなあ」
次頁に飛行機の模型を使って、絵に描いてもらったものを再現している。
機体に穴が開いているのでもなく、腹部にべっとりと貼り付いているように見える赤色とはなんだろうか。ずっと気になって疑問に思っていたという。
その機体を見た後、いつもどおりの道を車に乗って帰宅途中、今度は目の前を飛ぶ二機のファントム(F-4EJ)を見た。時間は先ほどのジャンボジェット機を見て五分くらい過ぎてからだという。田舎なので高い建物はなく、突然視界に入ってきた。浜松の方向、西の位置から飛んできたと思われるファントム二機はジャンボジェット機が飛び去った方向に向かい、それを追うようにして、今では新東名(第二東名)高速道路の方向、山の稜線ギリギリの低空飛行で飛び去っていった。時間は18時35分頃である。まだこの時点で日航機は墜落していない。しかも公式発表で19時5分に出動となっているファントムが、すでに実際に飛んでいたことになる。
これが、小林さんの証言を元にしたイメージ図。

この、赤い物体については、本書の「第四章 三十三回忌に見えてきた事実」で、取り上げている。
自衛隊のミサイルの可能性が高く、ミサイルは二つあり、一つが18時24分に垂直尾翼を破壊し、もう一つが、日航123便にピッタリと貼り付くように飛行していたのではないか、と推測している。
今になって思うと、一つは無人標的機で、もう一つは、それを追尾していたミサイル、という可能性が高い。
目撃証言としては、上野村の当時の小学生、中学生の目撃記録が、文集となって残っている。
次回は、そうした「小さな目」が、何を見たのか、ご紹介したい。
二度焼きですが、向田邦子さんのご遺体写真や、燃料タンクの近くの3姉妹の炭化にご両親が驚いた話から、そうでもないと思います。
腹についた赤いのは、無人機が2機というより、ギアを下ろして加減してた点灯では?
ただ、無人機はUP2Jという飛行機からも飛ばせたそうで、誤射でなく、わさとだと思います。
また、米軍と攣るんで、赤軍派や革マル派の様な過激派が、アメリカと利害一致されてやったのであって、辻元氏がNPO法制定に中曽根氏にお世話になったと言ってるのからもうかがえます。
↓を広めて、
・百里基地から飛びだったのが19時1分は事実か?
・当時の自衛隊に暗視ゴーグル無かったのか?
情報を提供してほしいです。
https://youtu.be/gYRKFSA-yM4
いろんな推論があるとはおもいますが、過激派とアメリカの利害一致でやった、という説には、まったく理解できません。
やはり、オリジナルのボイスレコーダー、フライトレコーダーの公開が必要だと思います。
米軍も持っているそうです。当日終結宣言のグリモリ犯に酷似した、綺麗なご遺体の引き取り手が無かった情報が20年位前まではありました。後部トイレに飛行機乗ってからベルトサイン迄の間に仕掛けたのと、米軍のUP2Jから発射されたのが反応して、垂直尾翼を壊したのかも。伊豆半島河津駅付近の地上で聞こえたドーンという音の飛行機はいつもの倍の大きさだったそうです。
藤枝の123便とファントム2機が浜松方面から飛んできた目撃証言から、浜松に米軍機が常駐してないことから、米軍の指示通りに自衛隊に緊急誘導を頼まれたのを極秘にしている可能性はあるかも。横田基地への着陸姿勢に入った18:40で機影が消え、墜落2分前から東京管制が指定した周波数に変えているので、それまで自衛隊機?と交信してて変えられなかったのかも。墜落後まで発進待機させられていた百里基地のファントムパイロットは顔名前出しで動画に出ていますが、浜松は出ておらず、緘口令か、後で消された?可能性もあるのかも。
海上自衛隊出身の機長が実機標的演習を了解していたのは考えにくく、やはりピースボートやJR流行らせたい過激派と米軍と攣るんだテロの後始末を、浜松航空自衛隊や、南相木村に集結していた自衛隊も手伝わされたのかも知れません。救助に急いだ自衛官射殺報道は、私や家族は確かに聞いており、事実だと思います。 https://youtu.be/G5Hr18OAtfU
