白井聡・望月衣塑子『日本解体論』より(20)
2023年 04月 26日
若干、足腰にきている(^^)
複数の常連さんから「寂しくなるね」などと声をかけてもらった。
ゴールデンウィークは、最後のあがき(^^)をして、5月7日が最終日。
今日、私が上がる直前に担当のマネージャーがやって来て、ゴールデンウィークが人出不足ということで、シフトの相談があり、結果として、3日から6日までの四連勤となった。
最後のご奉公だな。
さて、前の記事で「安い国、日本」という内容で、いろいろと引用して書いた。
やはり、最大の問題は、この国の劣化、ということになる。
ということで、久し振りにこの本、しかも、最終の記事。

白井聡・望月衣塑子『日本解体論』(朝日新書)
2022年8月30日初版の白井聡と望月衣塑子の対談『日本解体論』より二十回目。
目次。
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まえがき
第1章 77年目の分岐点
第2章 「政治的無知」がもたらす惨状
第3章 壊れていくメディアと学問
第4章 癒着するメディアと権力
第5章 劣化する日本社会
第6章 国家による侵攻の衝撃
あとがき
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「第6章 国家による侵攻の衝撃」の締めとなる部分から引用。
白井 私自身、今回の戦争によってリアルに戦争の時代に入ってきたと捉えています。それはどんな戦争に反対しようが、戦争を憎もうが、運命とか宿命であって避けられない。そんな嫌な感じがします。だから本当に恐いと思って、この状況をどうしたらしのぐことができるか。戦争をしないで済めば一番いいし、仮にどうしても戦争をすることになっても、できる限り被害を最小にできるようにと考えるわけですよ。それに対して、核シェアリングとか防衛費をGDPの2%にとか言われても、いかにも浮ついた議論で本当に恐がっているかどうか疑わしい。そんなことを言い出す人たちは戦争をリアルだと思っていないのではないでしょうか。いまも、「垂れ流し」ニュースが、洪水のようにネットやテレビで溢れている。
望月 安倍さんだけでなく、菅前首相や橋下徹さんなども核シェアリングを議論すべきだと言っていました。メディアもそんなモードに入り始めた気がします。でも、核ボタンを押せる権利を持とうとすることでより核の報復を受けるターゲットに入り始めた気がします。そのリスクをすっ飛ばして核シェア議論が出てくるのには、やはり違和感を持ちます。平和外交とは真逆の発想です。
白井 こんな厳しい国際情勢になってきた、橋下氏、菅氏が「こう言いました」みたいなことを報道していること自体、やはり平和ボケだと思う。戦争を本当にリアルだと思っていないからそんなお気楽な「垂れ流し」をしていられるのでしょう。
望月 パブロフの犬のような条件反射は、本当のメディアの悪癖ですね。
白井 先ほど、ロシアではプーチン体制に対する支持率は高齢者で高く、若者では低いと紹介しました。その意味ではまだ未来があるんです。一方、日本はどうでしょうか。若年層になればなるほど、核シェアリングだ、防衛費2%だとか言い出す自民党を支持しています。日本の未来はロシア以下かもしれませんね。
戦争が長引くにつれて、ロシア対ウクライナであると同時に、ロシア対NATOの色合いが濃くなってきました。代理戦争の性格ですね。この戦争によって、アメリカがいわば「ウクライナ・モデル」と発見して、それを極東にあてはめるというシナリオが最も恐るべきものです。つまり、もっぱら自国の利益になるように、自らは兵を出さず、同盟国に敵対国と戦わせるという戦術です。中台問題をめぐって、台湾と日本にウクライナの役回りをさせようということになります。いまの政治状況だと、日本がこのシナリオに巻き込まれていく可能性は極めて高いと私は見ます。日本に世論に現れた安全保障上の危機感のようなものは、そのための地ならしとして機能するでしょう。
そして、いわゆるテレビのコメンテーターがテレビで言った、国民をミスリードする内容が、ネットで増幅されている。
それは、今回の統一地方選でも、なにがしかの影響を与えているだろう。
山口四区の衆院補選では、下関が旧統一教会の聖地であるということについて、それをまるで有田芳生が言ったかのように吉本芸人が歪曲しSNSで拡散した。
LITERAが詳しく報じている。
LITERAの該当記事
白井が指摘する、若者の自民党支持について、2021年10月31日に行われた衆院選の年代別支持政党の状況を、NHKによる出口調査結果から引用。
NHKサイトの該当ページ

白井が案じる通り、ロシアとは真逆の状態が、この国の将来を暗くしている。
では最後に白井の「あとがき」から。
本書の校正ゲラを読み返しつつあらためて湧きあがってきたのは、「自分は孤独ではない」という感情だった。
この10年の間、日本社会の崩壊は加速度的に進行してきた。政界、財界、労働界は言うまでもない。マスメディア、そして私の属する学術の世界も同断である。なぜここまで劣化が止めどなく進むのか。それを説明する理屈は色々とあるが、それらの理屈から対処法が直接出てくるとは限らないし、したがってわれわれが何をなすべきかを教えてくれるわけでもない。劣化は、それ自身で進行するわけではない。その担い手、人間が必ずいる。要するに、劣化しているのはさまざまな現場における個人であると考えない限り、われわれは何をなすべきか、指針が得られることはない。社会現象を構造的に把握することを生業(なりわい)とする学者としてこうした物言いをするのは本来あまり好ましくはないのだが、それでもなお、今日の状況に照らせば、劣化に抗する拠点は個人の覚悟にしかない、と言わざるを得ない。
そうしたなかで、率直に言って、私は苛立ってきた。劣化と腐敗を目にしながらそれを指摘しない人々、それに目をふさぐ人々、そしてさらには、奇妙奇天烈な理屈をこねくり回して「悪いのは野党」「悪いのはリベラル」等々のプロパガンダを垂れ流す、おそらくは毒饅頭でお腹が一杯になった連中を少なからず見てきたからだ。貧すれば鈍するなのか、鈍しているから貧なのかわからないが、ともかく「鈍」な者共の放つ腐臭はもはや耐え難い段階に達している。それは亡国の時勢にふさわしい情景ではある。
そうしたなかで、決して屈しない、決してぶれない、「ダメなものはダメだ」とはっきり言う、そうした覚悟の決まった個人は、少数派であってもそこ此処にいる。望月衣塑子氏はまさにそのような人物だと以前から思っていたが、今回、本書をつくるために何度も対話する機会を得て、その確信は深まった。記者といっても「サラリーマンだから」「報道機関も営利企業だから」云々といった言い訳は聞き飽きた。そうした言い訳とは無縁の人間が現にいるのだ。本書のための対談の過程でこのことを確認する機会を得たことは、大きな喜びであった。
それゆえに、望月氏との対話では私も相当に深いレベルでの本音を話すことができたと思う。その点が読者の琴線に触れることを願っている。
この後、本書校了目前での元首相殺害事件のことに触れ、複雑な心境だ、と白井は記している。
そして、こう書いている。
安倍氏の死に対する反応を見ていると故人に対する同情を禁じ得ない。右派論客の幾人かがすでに始めているが、これから「安倍氏の悲願、遺志となった憲法改正をいまこそ進めよ」とのキャンペーンが強化されるであろう。その光景を想像すると、安倍氏は徹底的に「神輿(みこし)」として扱われたのだなと感じざるを得ない。
「保守派のプリンス」として北朝鮮拉致問題への強硬姿勢で名を上げた安倍氏は、まずは一度目の首相登板を果たした。その人気は、戦後日本の「敗戦の否認」の欲望の体現者として彼が現れたことに根差していた。その後、失意のなかで政権を去り、自民党そのものが政権を失った後に自民党総裁へ返り咲き、民主党政権が失望されたなかで、アベノミクスを引っ提げて首相の座を奪還した。金融緩和を大前提に行いさえすれば日本経済は復活するというテーゼを前提としたこの経済政策は、「日本スゴイ」と思い込みたい日本人の欲望を反映したものであった。東京五輪の招致も然り。
つまりは、安倍晋三氏は「戦後の国体」の崩壊期たるこの約30年間の多数派日本人の欲望に対して忠実に振る舞ってきたのであり、だからこそ超長期政権を実現したのであった。安倍氏の著作や言動を追跡しても、確たる首尾一貫した理念や思想の存在を感じ取ることはできないのであって、そのことと反比例した安倍氏の政治的成功は、畢竟彼が「戦後の国体」の崩壊期にあって精神的混迷を深めている現代日本人の欲望の「神輿」であったことを物語っている。
私は、安倍晋三には同情しない。
「神輿」にかつがれたというより、かつがせた、という印象だ。
そして、今回の衆院補選や統一地方選の結果は、残念ながら、その「神輿」がまだ生きていることを物語っている。
安倍-菅-岸田と続く、不正・無能・腐敗の2012年体制は、まだ健在なのである。
いや、劣化がどんどん進んている、とも言えるだろう。
ウクライナ戦争や列島近くに飛んで来る北朝鮮のミサイルについて、政治家やメディアが危機感を過剰に煽ることにより、多くの国民が防衛費倍増に賛意を示し、戦争ができる国への道を後押ししている。
今回の選挙、野党は、血税が国民の疲弊した生活を支えることではなく、兵器購入に使われていることこそをもっと効果的に訴えるべきだったし、最低賃金の改訂や、130万円の壁の解消などが本来の少子化対策につながることを指摘すべきだった。
実際にそう訴えた候補者もいたのだろうが、その声は大多数の心に届いていない。
統一地方選の投票に行った時、近所の保育所の投票所の前にある候補者の看板を見ながら「誰がなっても同じだよねぇ」と話している母と娘と思しき二人連れがいた。
つい「違うでしょ!」と言いたくなったが、理性がそれを押しとどめた(^^)
さて、このシリーズはお開きである。
昨年11月から、だらだらと20回に渡った。
私も、白井が感じたように、この本で、「自分は孤独ではない」と思えた部分もある。
しかし、本書が発行されて8カ月が過ぎた今も、本書が訴える問題は、何ら解決していないと落胆するのも事実なのだ。
長らくのお付き合い、誠にありがとうございます。
