『非戦の安全保障論ーウクライナ戦争以後の日本の戦略』より(12)
2023年 03月 24日

『非戦の安全保障論ーウクライナ戦争以後の日本の戦略』
2022年9月21日初版発行の『非戦の安全保障論ーウクライナ戦争以後の日本の戦略』から、十二回目。
著者の略歴を紹介。
柳澤協二(やなぎさわ きょうじ)
1946年生。元内閣官房副長官補・防衛庁運用局長。国際地政学研究所理事長。自衛隊を活かす会代表。
伊勢﨑賢治(いせざき けんじ)
1957年生。東京外国語大学大学院総合国際学研究院教授。PKO幹部として紛争各地で武装解除を指揮。
自衛隊を活かす会の呼びかけ人。
加藤朗(かとう あきら)
1951年生。防衛庁防衛研究所を経、桜美林大学リベラルアーツ学群教授及び国際学研究所所長。
自衛隊を活かす会の呼びかけ人。
林吉永(はやし よしなが)
1942年生。国際地政学研究所理事・事務局長。元空将補。第七航空団司令、元防衛研究所戦史部長。
編集は、「自衛隊を活かす会」が行っている。
目次。
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はじめに(柳澤協二)
第一章 ロシアのウクライナ侵攻をどう受け止めたかー冒頭発言
1.戦争をどう止めるかを考える材料に(柳澤協二)
2.ロシアの上位目標はウクライナの「内陸国化」(伊勢崎賢治)
3.国際政治学はすべてご破算になった(加藤朗)
4.敵も味方も一緒になって戦後秩序をつくれるか(林吉永)
第二章 新しい国際秩序は形成できるか、その条件は何か
1.大国に任せない国際秩序は形成されるか
2.中露対西側という対決構図をつくらないために
3.国連総会の役割を重視することが重要である
第三章 アジアへの影響と日本が果たすべき役割
1.台湾有事に際して日本はどう対応すべきか
2.ウクライナであぶり出された核抑止の問題点
3.日本は何ができるか、何をすべきか
第四章 戦争を回避する日本としての国家像を考える
1.抑止力に代わるものはあるのか
2.国民を戦争に動員する国家でいいのか
3.「身捨つるほどの祖国はありや」
第五章 開戦から一〇〇日を過ぎた時点でー寄稿
1.プーチンの戦争と戦後処理ないし秩序の回復(林吉永)
2.ウクライナ・ロシア戦争の省察(加藤朗)
3.戦争犯罪を裁く法体系を日本でも(伊勢崎賢治)
4.ウクライナ戦争の教訓は何なのか(柳澤協二)
おわりに―停戦協議の行方と日本の役割
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今回も、第四章 戦争を回避する日本としての国家像を考える、から。
前回は、主に加藤朗の言葉を紹介した。
加藤は、哲学者の浅田彰がテレビ番組で、プーチンのために命を捨てるなんてばかばかしい、だからみんな逃げろと言ったことについて、その後の同じ番組で、外務官僚を経て、柳澤と同様に内閣官房副長官補をやった兼原信克が出てきて、浅田彰の発言に対して、一言「卑しい」と言い捨てたということを紹介した。
加藤は、その後、戦争で父を失った寺山修司の短歌を引用した。
今一度、その歌を確認したい。
マッチ擦るつかのま海に霧ふかし身捨つるほどの祖国はありや
加藤がこの短歌を紹介したのは、彼の体験が背景にある。
彼が防衛研究所の教官だった約40年前、自衛官と同様に服務の宣誓文に署名しなければならないのだったが、そこには「事に臨んでは危険を顧みず、身をもって責務の完遂に務め」とあり、その時は、ばかばかしい、こんな国のために身を捨てるものかと思った、と語る。
憲法を普通に読めば、自衛隊は否定されている。矛盾した自己犠牲の組織である自衛隊について、もっとみんなで考えなければいけないと言う加藤は、今一度、寺山の短歌の「身捨つるほどの祖国はありや」を口にする。
加藤の話を聞いた後の林の発言から引用。
国を守るバックボーンを自衛官に与えられない現状
林 自衛官であったということ、幹部候補生学校長であった経験から、ただ今のお話について割り込ませていただきます。加藤さんのお話を私なりに表現しますと、自衛官が命がけで仕事をする、命がけで自分のミッションを果たす精神的バックボーンを使命感という言い方をしています。そして、使命感をどのように身につけるかということについては、核心を突く指導に悩みがあると思っています。
自衛隊では服務の指針として「自衛官の心がまえ(使命の自覚/個人の充実/責任の遂行/規律の厳守/団結の強化。1961年6月28日制定)」を示しています。「愛国心」や「武士道」は大東亜戦争の後遺症として敬遠されています。
私は、奈良にある幹部候補生学校の校長を拝命していたとき朝3時半ごろ、候補生を叩き起こして、お水取りで有名な二月堂まで私語を禁じ黙して約7km走って上がり、二月堂のそうそくの明かりのもとで僧侶が行っている勤行を背に夜明けを見せるのです。奈良盆地の上に漂う霧が晴れていくのを見せて、おまえらが守るのはこの故郷(ふるさと)だよって言う。やったのは、それだけです。その一つの情景に対する思い入れがあればいいと私は考えるんですよ。
今、加藤さんがおっしゃったように、自衛官は使命感のバックボーンを持ってない。持っていてもそれが本物であるかどうか誰も言い切れません。国を守るバックボーンを誰も与え切れないのです。そういうジレンマがまだまだあるのですかれども、現場の指揮官はなんとか知恵を働かせてやっている。その点から見ても、ウクライナの事態は非常にいい手本になると思います。
二月堂の朝焼けか。
ジレンマの中で、国を守ることを強いられる自衛官に贈る、林なりのメッセージなのだろう。
浅田彰の言葉を批判した人物への伊勢崎の反応から以降を引用する。
伊勢崎 その「卑しい」の発言主ですが、“無法国家”日本にとって、「戦え」と上官から部下や動員された国民に発せられる“命令”とは、上官責任が問われない「卑しい」ものであることを、元上官であるその方は思い知るべきですね。
僕だって、銃を取って戦う決意をするときはあるでしょう。そういう状況としては、まず自衛隊が力尽きて壊滅していること。そして、僕が家族と住んでいる周辺に敵の歩兵が散見され始めること。そんなときでしょうか。
林 伊勢崎さん、総動員はもう決まりですよ。東日本大震災のとき、24時間不眠不休で働くようにするために、7万人の自衛隊員を二つに分けたのですよ。半数で3万5000人。200名以上の死者が出た市町村は20を超えるわけですから、その隊員が、そこを捜索していった。3万5000人を20で割ったら何人になりますか。200名以上の死者が出ている市町村に均等割りすると、1750名の自衛隊員の災害派遣です。1000名以上の死者を出した5市町村も1750名の災害派遣です。それでは足りないんです。
伊勢崎 そうですね。
林 よろしくお願いします、その節は。
強制ではなく一人ひとりの自覚にできるか
伊勢崎 だけれども、もう一つ言っておかなければいけないのは、そのときに僕が銃を取るのは、政府に言われるからではない。そこが重要です。
柳澤 強制するのが正しいのかどうかということですね。
伊勢崎 国民に強制する前に敵と政治交渉しろ、と。それができない政府なら、逆にそっちに銃を向けるかもしれません。クーデターですね。僕は、そういうオルグは得意なので、とにかく、日本政府や日本の政治家が言い募る国家主権などには、“死んでも”命は賭けません、僕は。
林 そういう意味では、ウクライナをめぐっては、いいことしか伝わってないかもしれないです。けれどもというか、だからこそというか、刺激的ですね。
伊勢崎 当事国でもないのに、単なるバカ騒ぎ。ウクライナの悲劇を嫌中、従米、そして九条護憲などのポジショントークに利用するだけの熱狂。ただそれだけ。
柳澤 だから、加藤さんの言われた「身捨つるほどの祖国はありや」というのは、そこが一番本質的、根源的なところなんですね。戦前であれば、「万世一系の天皇、これを統治す」という神国日本の臣民として、それは当たり前だと教育勅語で叩き込まれてきたわけです。身を捨つるべきものはそこにあるという教育を受けてきたわけです。
しかし今どうするかといったら、それは本当に、一人ひとりが自分の胸に手を当て考えなさいということだと思うんです。本当に死んでも守りたいような社会なのかということです。
このたびの岸田のウクライナ訪問は、支持率低迷をなんとか食い止めるための、露骨なプロパガンダだ。
ゼレンスキーに、追加支援を約束してきた。もちろん、国民の血税がそれを負担する。
これは、間違いなくロシアと西側諸国のウクライナを舞台にした代理戦争なのである。
殺傷能力のない装備品などと言っても、それが、戦争を継続させるための支援であることは明白。
そして、ウクライナ戦争というショック・ドクトリン(惨事便乗型資本主義)で得するのは、紛れもなくアメリカの軍産複合体である。
昨年十二月に安全保障関連三文書を閣議決定したこと自体、私は違憲だと思っている。
相手国領域を攻撃して日本へのミサイル発射を阻む敵基地攻撃能力の保有ということを明記しているのは、先制攻撃の認可なのだ。
その敵基地攻撃のための米国製巡航ミサイル「トマホーク」の取得費二千百十三億円が2023年度予算に計上されている。
昨日は、別な本に関連して、ロッキード・マーティンの株価推移をご紹介した。
トマホークの製造元レイセオン・テクノロジーズは、一時業績不振だったが、ウクライナ戦争により持ち直した。
日本経済新聞サイトの該当ページ

ロシアのウクライナ侵攻は国際秩序を揺るがす暴挙、と岸田は言う。
この言葉自体は間違いではなく、多くの人が反対しにくいことであり、まさに日本維新の会の常套手段にも似ている言い方だ。
しかし、重要なことは、この戦争でもっとも利益を得ているのはアメリカの軍産複合体である、ということだ。
バイデンは停戦への姿勢を一切見せない。
昨日の記事で紹介したように、兵器産業のアメリカでのロビー活動は活発であり、バイデンにとっても重要な支援者なのである。
そのアメリカに盲目的に従属する日本。
米軍基地や自衛隊基地が敵基地攻撃能力を持つことで、その敵国(北朝鮮? 中国? ロシア?)から攻撃を受ける危険性が増す。
そして、この戦争によって加速する原油高や穀物などの物価上昇は、国民の生活を直撃する。
イギリスがウクライナに劣化ウラン弾を供与をするという。
泥沼化しつつある危機的な状況だ。
コロナだって、科学的な根拠なしにマスク外していいとか言うから、また増えてきた。
伊勢崎の言葉を借りるなら、私は、政府がどう言おうが、自分の意思でマスクをしている。
もちろん、インフルエンザだって流行が収まらないのである。
しかし、アメリカの兵器産業のことや、コロナ対策に関する政府への批判などは、もはや、メディアにはほとんど登場しない。
いつまでもMLBの小遣い稼ぎのイベントWBCの優勝に浸っている場合じゃないだろうと、つい、空気を読めない私は書いてしまうのだった。
第五章の「ウクライナ戦争の教訓は何なのか」(柳澤協二)から四つの教訓を要約して紹介したい。
①戦争で目的を達成することはできない
ベトナム戦争、イラク戦争、ソ連とアメリカのアフガニスタン侵攻も、ことごとく失敗している。
大国は、大国であるがゆえに戦争を楽観するのかもしれないが、いいかげん目を覚ますべきだ。
②戦争は、始まる前に止めなければならない
戦争は、報復の連鎖を起こす。戦争は相手の打倒、外交は相互の妥協である。
③抑止の論理が揺らいでいる
大国間戦争は、戦略核の応酬による相互確証破壊によって抑止されてきた。
それは、世界戦争を回避する理性が前提だった。大国間戦争を避けようとして中小国への戦争を防げなかった今回の戦争から学ぶことは、抑止とは違う手法で戦争回避の道筋を見出さなけでばならいということ。
④外交なくして戦争は防げない
アメリカは、ロシアが長年にわたって表明してきたNATO拡大に対する不満に対処してこなかった。
もちろん、それが戦争を正当化することはできない。
しかし、ロシアの安全保障上の不安、あるいは大国でありたいという願望を軽視せず、適切に対処していれば、戦争んぼ意思を封じ込める可能性はあった。そのための外交をしてこなかったことを反省すべきである。
では、このシリーズをお開きとする。
最後に、寺山修司の短歌を、もう一度。
マッチ擦るつかのま海に霧ふかし身捨つるほどの祖国はありや
