山本進さんという落語の名指南役を偲ぶ。
2022年 11月 06日
山本進さんという、落語の名指南役が旅立ったことを、拙ブログにいただいたコメントで知った。
朝日新聞の短い記事を引用する。
朝日新聞の該当記事
山本進さん死去
2022年11月6日 5時00分
山本進さん(やまもと・すすむ=芸能史研究家)4日、老衰で死去、91歳。葬儀は近親者で営む。
主に落語の研究に取り組んだ。著書・編著に「えぴたふ 六代目圓生」「落語の履歴書」「落語ハンドブック」など。
他の新聞によると、自宅での旅立ちだったようだ。
父が一年前に自宅で満99歳で老衰で亡くなったことには年が足らないとはいえ、91歳で自宅で老衰での旅立ちは、大往生と言って良いのだろう。
先日、円生の名跡に関する記事で、亡くなった円窓のブログから、「止め名」に関して連名した五人の一人であることをご紹介した。
2022年10月30日のブログ
その五人とは、稲葉修、圓生の未亡人、山本進、京須偕充、五代目圓楽だった。
ついに、存命なのは、京須さん一人になった。
訃報にある『落語ハンドブック』も持っているが、代表的な作品となると、やはり『落語の履歴書』になるのだろう。
同書については、約10年前に記事を書いた。
2012年10月17日のブログ

山本進著『落語の履歴書』(Amazon)
あの頃は、Amazonのレビューも書いていた。
※「ドートマンダー」という名義。
発行元の小学館の本書の紹介ページがこちら。
小学館のサイトの該当ページ
今は電子書籍用の案内文に、こう書かれている。
本書では、芸能史研究60年という著者が、戦国末期から現代まで、約400年の落語の歩みを一望。豊富な資料をもとに、「落語のようなもの」の誕生と発展、圓朝による「近代落語」の成立などを平易に解き明かします。さらに、いつも話題を呼ぶ「真打制度」の変遷や、人情噺/滑稽噺の精確な区分、寄席の看板の種類と意味など、長年のファンにも興味深いコラムを満載。笑いを主体としながらも、ただ笑わせればいいというものでもない、伝統を背負った話芸の深みに触れることができます。
10年前は、このように紹介されていた。
編集者からのおすすめ
累計200万部を突破したCDつきマガジン『落語 昭和の名人 決定版』の人気連載(全26回)に、時代別の名人列伝、噺の分類などのコラムを大幅加筆しました。タイトルの「履歴書」はもちろん、四代目桂米團治の名作『代書』から拝借しています。「ラクゴのギレキショーちゅうもんですけど、読んでもらえますでしょうか?」
この紹介文に合わせて拙ブログの記事の題は、本寸法の“ギレキショー”は歴史を書いて歴史に残る—『落語の履歴書』、としていた。
2009年に発行された『落語 昭和の名人 決定版』は、その後「完結編」が出てそれぞれ二十六巻。
懲りずに(?)「アンコール」が四巻。これでもかと「大トリ」で談志が一巻、合計で五十七巻発売されている。
若い落語愛好家にとっては、なかなか良い企画だったのだろう。途中からは「初出し」を表紙で謳うなど、気配りも向上したように思うが、音源をそれ相応に持っている者にとっては、厳選しての購入とならざるを得なかった。
私は第一回配本の古今亭志ん朝、第十一回配本の金原亭馬生、そして第二十二回の春風亭柳枝の三回しか買っていないので、山本進さんの連載が加筆されて本になり読むことができて、大いに喜んでいる。
というか、書籍化されるだろうと思っていたので、いつ出るかずっと待っていたと言ってよいだろう。
これが目次。
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はじめに
第一章 戦国末期~江戸時代 ー落語の始まりー
第二章 明治維新とその後 ー「近代落語」の成立ー
第三章 大正時代~太平洋戦争 ー激動の落語界ー
第四章 戦後~平成 ー復活かららブームへー
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起源から執筆当時の状況まで、これだけ分かりやすくまとめられた本は、他にないように思う。
10年前の記事と重複するが、あらためて山本進さんを、その著書を再読することで偲びたい。
第一章から、コラム的に挟まれる部分で、初代古今亭志ん生は、二代目円生襲名争いから生まれたことが、紹介されている。
◆初代古今亭志ん生[1809~56]—圓朝をうならせた写実
初代圓生の門には、ふたりのすぐれた弟子がいた。ひとりが立花家圓蔵、もうひとりを三遊亭圓太といった。「圓生」の師名をどちらが相続するか、競り合った結果、圓蔵が二代目圓生を襲名することとなったため、面白くない圓太は江戸を出奔、しばらく旅回りののち、古今亭志ん生(新生、真生とも)と名を改めて、江戸の高座に舞い戻った。
ただ、この逸話には疑問も残る。
天保年間に圓生が著し、初代正蔵が序文を書いた『東都噺者師弟系図』という三枚続きの刷物(すりもの)がある。天保七年(1836)正月の配り物と推定されているが、ここの物故者を含め約二七〇名の落語家の名前、師弟関係が記載されている。
この刷物に「志ん生」が見える。初代圓生はまだ元気なのだから、名跡争いに敗れて江戸を離れ、その後、志ん生になって戻ってきたという逸話とはいささか矛盾する。
もっとも、初代圓生がみずからの存命中、圓蔵を後継者に指名、面白くない圓太が飛び出した—と考えられなくもない。いずれにせよ「古今亭志ん生」という名前は、初代圓生の門人が、初めて名のったものであることは間違いない。
初代志ん生は、『九州吹き戻し』や『お富与三郎』を得意にし、幕末の名人のひとりとされている。
『九州吹き戻し』は落語に珍しく九州が出てくる噺で、江戸から肥後の熊本に流れた主人公が、数年後、便船で江戸へ帰る途中、台風にあって薩摩まで吹き戻されてしまうという一席。今聴くと、さほど面白い噺ではない。ただ、九州という土地への距離感や、旅の感覚が現代とはもちろん違う。志ん生は船が木の葉のように揺れる描写などを写実的に演じ、それが当時の観客に喜ばれたのではないだろうか。
若き日の三遊亭圓朝が、志ん生の『九州吹き戻し』を聴いて大いに感銘を受け、門弟たちに「あれだけの名人でなければあの噺はできない。お前たちは決してやっちゃいけないよ」と釘を刺したという話が残っている。ちなみに、志ん生が圓朝の噺を聴き、「(二代目)圓生はいい弟子を取った」と、その技量を認めたという逸話もある。名人は名人を知るということか。
山本進さんならではの、過去の関連資料を入念に調べた上での記述だと思う。
なお、『東都噺者師弟系図』は、誤字ではない。
国会図書館のサイトにある表紙の題が、これ。
国会図書館サイトの該当ページ

国会図書館で、こういう資料を発掘し、その時は小躍りしていただろう、山本さん。
執筆当時の平成の落語界については、こう書かれていた。
東西合わせて約730人
現在、プロの落語家は何人くらいいるのだろうか。
東京では落語協会・落語芸術協会・五代目圓楽一門・落語立川流と二協会二派があって、前座・二ツ目・真打総数で510人強。上方では、ほとんどの噺家が上方落語協会に加入しており、総数で220人ほどが活躍している。東西合わせて約730人という数は、落語史上で最大かどうかは確信ができないが、それに近いことは間違いないだろう。
戦後、東京では70人足らず、上方では10人そこそこで再出発したことを思えば夢のようで、頭数だけから見れば、近い将来が危ぶまれることはあるまい。
しかし、頭数ばかりで安心してはいられない。明治・大正・昭和期のような名人が、今後、はたして現れるだろうか。寄席という興行形態は、これからも続きうるものなのか。何よりも、急速に変化する社会に、落語という芸がついていけるかどうか・・・・・・不確定な部分は、あまりにも多い。
平成の名人として、山本さんは誰かの名を挙げていたのだろうか。
それとも、語ることはなかったのだろうか。
そして、本書は次のように締められている。
受け継いだ落語のすぐれた内容を今に生かすのが、話し手である落語家の仕事であり、また聴き手である観客の働きでもある。落語の質は落語家だけによって維持されるのではない。落語家と観客、両者が互いのレベルを高めたときにこそ、落語という芸能は真の姿を見せてくれる。
落語愛好家にとっては、実に意味深い文章。
山本進さんから見て、落語家のレベル、そして、聴き手のレベルは、昭和から平成、令和という時代の変遷の中で、上がっているのか、下がっているのか。
また、円生という大名跡の今後について、どうお考えだったのだろうか。
もうお聞きすることはできないが、どなたかがその言葉をお聞きだったのなら、ぜひ、お伝え願いたいものだ。
落語愛好家にとって、得難い指南役のご冥福を祈りたい。
今日は、二泊三日の北海道帰省とその後の飲食店のアルバイトでの疲労を予測(?)し、日曜恒例のテニスは、先週のうちに休むことを仲間に伝えていた。
足腰は、まだ重いので、良い休養となった。
午前中は、MLBのワールドシリーズ第六戦をテレビで見ていた。
ナ・リーグ第六位という、今年ルール改正がなければポストシーズンとは縁がなかったはずのフィリーズは力尽きたが、大にに楽しませてくれた。
アストロズが、ベイカー監督、バーランダーのワールドシリーズ初勝利というおまけつきの有終の美。
総合力の差、としか言えないのだろう。
さて、野球の季節はお開き。
もうじき、サッカーの季節が始まる。
私にとって落語の季節は、もっと感染が収束に向かい、末広亭の桟敷で飲食可能になるのを待つつもりだ。
それまでは、山本進さんお薦めの噺家を含め、音源を楽しむことにしよう。
