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白井聡著『長期腐敗体制』より(16)

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白井聡著『長期腐敗体制』

 6月10日に角川新書から刊行された白井聡著『長期腐敗体制』から、十六回目。

 著者の白井聡は、1977年生まれの思想史家、政治学者で、『永続敗戦論ー戦後日本の核心』などの著作がある。

 目次を確認。
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 □序章 すべての道は統治崩壊に通ず
       ー私たちはどこに立っているのか?ー
 □第一章 2012年体制とは何か?
       ー腐敗はかくして加速したー
 □第二章 2012年体制の経済対策
       ーアベノミクスからアベノリベラリズムへー
 □第三章 2012年体制の外交・安全保障Ⅰ
       ー戦後史から位置づけるー
 □第四章 2012年体制の外交・安全保障Ⅱ
       ー「冷戦秩序」幻想は崩壊したー
 □第五章 2012年体制と市民社会
       ー命令拒絶は倫理的行為であるー
 □あとがき
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 巻末に説明があるが、第一章から第四章は、2021年3月から6月に朝日カルチャーセンター中之島教室で行われた連続講座「戦後史のなかの安倍・菅政権」の講義録を元にしている。
 その内容を全面的に改稿し、他の章を書き下ろしたとのこと。

 前回は、第三章から、対米従属により対米自立を目指した岸信介の屈託について、ご紹介した。

 著者は、吉田茂や岸信介を、対米従属(親米保守)の第一世代、と形容している。

 同じ章から、その後のこと。

 中曽根康弘の挫折
 
 次に、「戦後の国体」の安定期、親米保守第二世代の話をします。戦後の国体の形成期を代表する存在が吉田と岸だとすれば、その状態が最盛期に達したのは1980年代、ジャパン・アズ・ナンバーワンの時代であり、その代表は、中曽根康弘だったと思います。
 中曽根と言えば、ロン=ヤス関係です。当時のアメリカ大統領ロナルド・レーガンが来日した際、中曽根は、東京の八王子のすぐ北に日の出山荘という古民家のような別荘を持っていて、そこにレーガン大統領夫妻をお招きし、お茶を点てたりしてもたなしました。レーガンは「おお、これが侘び寂びか」と感動したと言われますが、本当かどうかはよくわかりません。日米首脳の関係は特別だと盛んに喧伝され、演出されました。このエピソードをわざわざ紹介したのは、日米首脳の個人的に親密な関係というものが過度にアピールされるようになった、その始まりであるように思われるからです。
 米大統領夫妻を喜ばせて、中曽根もご満悦というわけですが、そこに忸怩たる思いはないのですか、と私は中曽根に問いかけたくなります。もちろん、外交儀礼として、また国益のために、友好国の首脳との良好な関係をアピールしたり演出したりすることに、それなりの必要性はあるでしょう。しかし、そこに何か過剰なものが透けて見えるとき、何か不健全で卑屈なものが存在することを感じずにはいられません。中曽根がレーガンを歓待したところまでは理解できる。しかし、んぜ私邸に招くのか。公人である米大統領に対して、公人である日本の首相がわざわざプライベートな領域をさらした、そこに過剰なものがります。
 そして、とりわけ中曽根のような人物が、米大統領に取り入るようにして喜ばせようとした姿には、気持ちの悪いものを感じざるを得ないのです。なぜなら、若い頃に、彼はこんなことを言っていたからです。
 「この憲法のある限り 無条件降伏続くなり マック憲法守れとは マ元帥の下僕なり」。
 これは「憲法改正の歌」(1956年)という歌の歌詞で、YouTubeなどで検索すると、聴くことができます。しょうもない歌ですが、作詞家の名前に誰がクレジットされているかを見ると驚愕します。そこには「中曽根康弘」と書いてあり、一番から五番まである堂々たる歌なのです。引用したのは、そこに出てくる歌詞の一部です。ここには、戦後憲法を、アメリカ、つまり勝者が敗者に押しつける形で制定し、それが今なお押しつけられているのだ、悔しい、という思いがストレートに吐露されています。


 「憲法改正の歌」は、たしかにYouTubeで見つかった。
 作詞中曽根康弘、作曲明本京静、その明本と安西愛子が、コロンビア合唱団をバックに歌っていた。



 これは、昭和31(1956)年4月13日に、東京宝塚劇場で自主憲法制定期成同盟が主催する発表会における収録かと思われる。

 この歌の2番は、戦後憲法が、天皇の地位保全を条件に押しつけられたものであるという内容。
 4番は、原子力政策の強化を訴える内容がある。

 思い出すことがある。
 日本の原子力政策において、中曽根は大きな役割を果たしている。
 兄弟ブログ「幸兵衛の小言」の2011年4月11日、3.11から一ヵ月後の記事で、三宅泰雄著『死の灰と闘う科学者』(岩波新書)から、昭和29年の国会で、原子炉予算案を成立させた人物の一人が中曽根であることを紹介した。
「幸兵衛の小言」の該当記事

 日本学術会議会員などが、原子力政策の危険性に忠告していながらも、強行的に成立した予算案が、原発を数多く設置することにつながっている。


 さて、日本国憲法を“マック憲法“”と呼んで毛嫌いし、自主憲法のために、このような歌の作詞までした中曽根康弘。

 こう言っていた人が、ロン=ヤスを演出したわけです。中曽根の実行した演出には、わが国の総理大臣はアメリカ大統領とこれほど仲が良いんですよ、と日本国民にアピールする大きな意味合いがあります。そこに透けて見えた卑屈さ、屈折、転向をどのように意識していたのかは、ついに最期の日まで語らずに中曽根は亡くなりました。
 アメリカからの自立の夢を語る代わりに、現実の中曽根は、日本をアメリカの「不沈空母にする」と発言したこともありました。アメリカが経済的に衰退していく過程で、アメリカが為替操作をさせろと言ってきたのがプラザ合意ですが、それを吞んだのも中曽根です。
 急激な円高をもたらしたプラザ合意が結局、後のバブル経済とバブル崩壊、日本の長期的停滞に結び付いたという有力な議論もあります。プラザ合意は、経済的な敗戦を意味したと言ってもいいわけです。
 中曽根にとって最も重要な理念であった対米自立は、はっきり「挫折した」と言っていいでしょう。さらには、対米従属が日本にとって得になるという構造そのものを、中曽根は結果的に全部壊しました。

 中曽根は、転向した、と言ってよいのだろう。
 
 とはいえ、まだ、対立従属による対立自立という思いは、強く残っていたはずだ。

 しかし、それは、冷戦構造があればこそ、だった。

 ロン=ヤスの相棒のレーガンは、反共主義的傾向が強く、平和共存路線ではなく、冷戦激化戦略をとった。

 アメリカは、ソ連のアフガニスタン侵攻に反対し1980年のモスクワ・オリンピックに参加しなくなり、ヤスの日本も追随した。

 ゴルバチョフが改革(ペレストロイカ)を進めるものの、長年ソ連に蓄積した矛盾は大きく、苦戦していた。

 その時、アメリカも経常収支と財政赤字の双子の赤字であえいでいたのだが、スターウォーズ計画という新たな軍拡競争を仕掛ける。

 これによって、さらに追い詰められたソ連は、レーガン政権任期満了退陣直後、崩壊した。

 スターウォーズ計画に使うお金など、一体どこにあったのでしょうか。それは大量の米国債購入によって日本が貸してあげたのです。
 つまり、東西対立があってこそ、日本はおいしい立ち位置にいられたのに、自ら進んでそれを手放したことになります。強力な共通敵としてのソ連が存在すればこそ、アメリカは日本をアジアにおける第一のパートナーとして庇護する具体的な動機がありました。ソ連の崩壊・消滅とは、その日本にとって都合のよいポジショニングが失われることを意味します、ですから、国際政治的な次元で見れば、自分たちに利する構造を、わざわざ自分で金を払って壊したのです。

 反共という共通因子があってこそ、対米従属による対米自立を目指すシナリオがあり得た。

 しかし、日本は、米国債を大量に買うことで、アメリカのスターウォーズ計画を支援し、その圧力も要因の一つとして、ソ連は崩壊した。

 日米共通の敵が倒れた。

 次回は、中曽根康弘の政治について、引き続きご紹介したい。
 たとえば、国鉄民営化は、いったい何のためだったのかなど。


 さて、現在である。

 臨時国会が始まった。

 岸田の所信表明演説にある経済対策を推進するには、まず、最初にやるべきことがあるはずだ。

 山際大志郎経済再生担当相の更迭だ。

 たった数年前の記憶があやしく、資料は一年で処分するなんて人物には、大臣はおろか、政治家としての資格はない。

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by kogotokoubei | 2022-10-03 21:27 | 今週の一冊、あるいは二冊。 | Trackback | Comments(0)

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