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三遊亭円窓で思い出すこと。

 三遊亭円窓が、9月15日、満81歳で旅立った。
 *「圓」は「円」に統一する。

 何か書こうとは思っていたが、つい時間が過ぎてしまった。

 生の高座には、あまり縁がなかった。

 ブログを始める前を含め、二、三回かと思う。

 調べたら、12年前、鬼丸の真打昇進披露の末広亭の高座『半分垢』が、私にとっては最後だった。
2010年10月8日のブログ

 なんと、トリの前、膝代わりだった。

 こんなことを書いていた。

円窓『半分垢』
会場で渡された出演者の予定に木久扇がなかったので、てっきり円窓の代演と思っていたらご登場。想像したよりは元気そうな高座。“五百席”の人である、どんなネタでもできるだろうから、その中からこのネタにしたのは、この人なりの鬼丸への戒めを含めた餞の言葉なのかと勘ぐったが、真偽のほどは分からない。


 八代目春風亭柳枝の弟子が、これで全員、天国寄席に移った。


 メディアの訃報の多くは、「笑点」に出演していたことを見出しにも使っているが、「五百噺」のことに触れている記事が少ない。


 やはり、私にとっては、「五百噺」の円窓であり、古典落語研究家としてのイメージも強い。

 時折、『抜け雀』のサゲについて書いた7年前の記事にアクセスが増える。
2015年5月15日のブログ

 その記事の中で、円窓の「五百噺ダイジェスト」から引用していた。
円窓五百噺ダイジェストの該当ページ
 あらためて、その内容を紹介したい。

 本来のサゲを知っており、このように主張されていた。
〔双蝶々曲輪日記 六冊目 橋本の段〕の吾妻の口説き句に「現在、親に駕篭かかせ、乗ったあたしに神様や仏様が罰あてて――――」というのがある。
[抜け雀]を演るほうにも聞くほうにもその知識があったので、落ちは一段と受け入れられたものと思われる。本来の落ちには隠し味ならぬ、隠し洒落があるのが、嬉しい。
 知識として、その文句のない現代のほとんどの落語好きは、ただ単に「親を駕篭かきにしたから、親不孝だ」と解釈をしてるにすぎない。
 胡麻の蠅と駕籠かきは旅人に嫌われていた。その「駕籠かき」から「親不孝」と連想させての落ちになるのだが、悪の胡麻の蝿と同じような悪の駕篭かきもいただろうが、いとも簡単に駕篭かきを悪として扱うのはどうかと思う。
 だから、浄瑠璃の文句の知識を念頭に入れない「駕篭かき」の落ちの解釈は危険そのものなのである。

 なんとも、真っ当な指摘なのである。

 そして、円窓で印象深いのは、あの(?)七代目円生襲名騒ぎの際、ブログで抗議したことだ。

 以前の記事でも紹介したことがあるが、該当ブログ「円窓の年月日輪」から、あらためて紹介したい。
三遊亭円窓師匠のブログの該当記事

2008年05月02日
円生(6) 5月2日 円楽(5)の横暴

 円生

 夜分、ソニーの京須さんより電話。
「今日の朝日新聞の夕刊に『円楽(5)の談で、〈鳳楽の円生(7)、楽太郎の円楽(6)の襲名〉が載っていた』」と。
 楽太郎の円楽(6)の襲名は問題はないのだが、鳳楽の円生の襲名は横暴の一語に尽きる。
 そもそも、円生の名は、6代目の死後、稲葉修大臣、円生(6)の未亡人、山本進(NHK)、京須偕充(ソニー)、それに円楽(5)の五人が連名して、「円生の名前はもう誰にも継がせない」という意をこめて「止め名」にした のである。
 この企画に奔走したのが、円楽(5)である。
 五人のうち、稲葉修大臣、円生(6)の未亡人は他界したが、他の3人はまだ生存しているし、その文書もちゃんと現存している。

 この襲名バトルは、円丈を含む三人の争いになるかと思いきや、立ち消えになった。


 また、ネットの活用においては、落語家の中でも、一、二を争う先駆け的な方だと思う。

 紹介したブログについて、こう紹介されている。

 あたしは落語に関することでしたら、なんでも大好き人間の一人です。
 最近は日本人に「落語の授業」を受けてもらおうと、張り切っております。
 「落語の中の教育論」を振りかざして(笑)、学校や塾、そして企業へと乗り込んで、落語人口の少子化を防ごうと、苦楽を味わっている最中です。
 サイト〔円窓落語大百科事典・だくだく〕を立ち上げております。
  http://www.ensou-dakudaku.net/
 覗いていただければ、ありがたい次第です。
 
 この「落語大百科事典・だくだく」のサイトは、残っていて、いろいろと勉強になる。
「円窓落語大百科事典・だくだく」


 学校の授業で投資を教えようなんて馬鹿な真似はやめて欲しい、教育の基本は、読み・書き・算盤だ、という記事を最近書いた。

 そして、円窓の主張するように、落語だって、投資(ギャンブル?)の方法を教えるより、ずっとためになる。

 ご本人の高座にはもう出会えないが、いち早くネットを活用し、多くの財産を遺してくれた三遊亭円窓に感謝し、これからもそのサイトで学ぼうと思う。

 今ごろは、天国で、最初の師匠柳枝や、その名跡を守った円生と、落語の話をしているのだろう。


 円窓さん、ありがとう。
 
Commented by saheizi-inokori at 2022-09-21 13:20
圓窓について拙ブログでも何か書いているかと思って調べたら、窓輝の親ということで名前を書いているだけでした。
この頃のブログはコメントが縦横に乱れ飛んで、私は褌と読んでいました。
14年前の記事https://pinhukuro.exblog.jp/8591474/、コメント欄の名前が懐かしいです。
Commented by saheizi-inokori at 2022-09-21 13:21
窓輝は、いまどうしているかしらね。
Commented by kogotokoubei at 2022-09-21 13:53
>佐平次さんへ

記事で紹介した円窓のブログ記事、そして、佐平次さんの記事、どちらも私がブログを始めた2008年という偶然。

窓輝は、何度か生で聴いています。
二枚目であることが、噺家の場合は、決して得ではない、という例かもしれません。
とはいえ、円窓を継ぐのなら、賛成です。



Commented by 寿限無 at 2022-09-21 15:11 x
「圓窓五百噺を聴く会」ばかりでなく、全国の小学校や中学校を回って「落語の授業」も行っていますし、創作落語も精力的でありました。
また、民話から題材を取った落語作りの「民話から落語へ」やシェークスピアの「ベニスの商人」を落語にした「胸の肉」などの演劇落語も作り、幅広く落語を探求していたように思います。
 俳句も趣味で「四九八句会(しくはっくかい)」を行っています。
   夏めくや湯上りのまま長電話  圓窓
 ご冥福をお祈り申し上げます。



Commented by kogotokoubei at 2022-09-21 16:44
>寿限無さんへ

そうでしたか。
落語を愛し、もっと多くの人に知ってもらおうと幅広く活動されていたんですね。
もっと、生で聴いておくべきだったと反省しています。
貴重な情報、ありがとうございます。
Commented by Ponchi at 2022-09-23 17:38 x
少々遅くなりましたが、圓窓師の思い出を述べさせて頂きます。
中学生の頃、板橋区高島平に居住しておりましたが、当時圓窓師が月一度のペースで地元喫茶店(ケーキ屋)で落語会を開いておりました。私は2~3回位しか出向けませんでしたけれども、両親はほぼ毎回のように聴きに行っていた記憶があります。
聞き覚えがあるのは「蚊いくさ」です。入門、そして真打昇進もほぼ同期のバイク仲間であった小三治師とは好きライバルだったようですね。
落語協会分裂騒動の煽りを受け、一時期芸が伸び悩んだ様子もあり、協会復帰時に小三治とは香盤が入れ替わるというペナルティも受けています。協会内の地位がもっと高くてもよかったはずなのですが、見事な話芸が数回でも聴けたことは良い思い出です。
Commented by kogotokoubei at 2022-09-23 20:33
>Ponchiさんへ

喫茶店(ケーキ屋さん)での落語会ですか。
噺家と客との、甘~い関係でしたね(^^)

「蚊いくさ」は、生で聴いたことがありません。
さすが「五百噺」の円窓ですね。

私は、元気な時期に聴く機会はなかったので、Ponchiさんが羨ましいです。

大切な思い出ですね。

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by kogotokoubei | 2022-09-21 12:57 | 落語家 | Trackback | Comments(7)

あっちに行ったりこっちに来たり、いろんなことを書きなぐっております。


by 小言幸兵衛