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白井聡著『長期腐敗体制』より(13)


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白井聡著『長期腐敗体制』

 6月10日に角川新書から刊行された白井聡著『長期腐敗体制』から、十三回目。

 著者の白井聡は、1977年生まれの思想史家、政治学者で、『永続敗戦論ー戦後日本の核心』などの著作がある。

 目次を確認。
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 □序章 すべての道は統治崩壊に通ず
       ー私たちはどこに立っているのか?ー
 □第一章 2012年体制とは何か?
       ー腐敗はかくして加速したー
 □第二章 2012年体制の経済対策
       ーアベノミクスからアベノリベラリズムへー
 □第三章 2012年体制の外交・安全保障Ⅰ
       ー戦後史から位置づけるー
 □第四章 2012年体制の外交・安全保障Ⅱ
       ー「冷戦秩序」幻想は崩壊したー
 □第五章 2012年体制と市民社会
       ー命令拒絶は倫理的行為であるー
 □あとがき
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 巻末に説明があるが、第一章から第四章は、2021年3月から6月に朝日カルチャーセンター中之島教室で行われた連続講座「戦後史のなかの安倍・菅政権」の講義録を元にしている。
 その内容を全面的に改稿し、他の章を書き下ろしたとのこと。


 引き続き、第三章 2012年体制の外交・安全保障Ⅰー戦後史から位置づけるー、からご紹介。

 前回は、天皇を中心としていた「国体」は、アメリカを中心とするものに変わったものの、親米保守は、対米従属派と自立派とに明確に分かれているというより、グラデーションでつながるものであるという著者の指摘を紹介した。

 そして、その国体は、形勢・衰退・崩壊の三つの段階を踏むという捉え方をする著者の見解を引用する。

 保守本流と保守傍流

 第一段階は国体システム形成期で、人的には対米従属レジームの第一世代に当たります。この第一段階は敗戦からおおよそ1970年代初頭までの長い期間ですから、第一世代を誰に代表させるべきかは難しい問題です。誰が戦後日本の基本線を引いたかという観点から順当に考えれば、代表者になり得るのは吉田茂、岸信介でしょう。あるいはこの時代が潜在的に持っていた可能性の体現者として、異端的な石橋湛山を挙げる考え方もあり得ます。ただ、ここでは後世への影響の強さを中心に考えてみたいと思います。
 日本の親米保守を分類する際、よく保守本流を保守傍流という言い方をします。保守本流は、いわゆる吉田茂スクール(吉田学校)の人たちです。この流れに属する首相経験者としては、岸の後に総理大臣になる池田勇人や、岸の実弟である佐藤栄作がいます。岸、佐藤兄弟は、弟は保守本流のほうに行き、兄は保守傍流のいわば親玉になっていくという興味深い分裂を呈します。田中角栄はそのキャリアが官僚出身者中心の吉田スクールとはまったく異なるものの、対外政策がハト派的で、改憲にあまり興味がないという観点からして、どちらかというと保守本流です。それから宮澤喜一や、今の自民党の中で言うと岸田文雄首相の属する宏池会系が、保守本流です。
 保守本流は経済を重視します。イデオロギー的な主張はあましせず、吉田茂の吉田ドクトリンに忠実です。吉田ドクトリンとは、平和憲法を持つのだからできるだけ軍事から遠ざかりたい、という立場です。アメリカは武装しろ、冷戦を手伝えと言ってくるから、そのお付き合いはするけれど、積極的には関わらない。国防費・軍事にお金を使わなくていいので、その分を全部経済発展に注力できる。この戦術が当たって戦後日本は発展したのだ、と長らく言われてきました。
 これに対して、保守傍流は岸信介によって代表されます。岸は、金儲けさえうまくできればいいという、吉田茂的な保守本流は堕落した考え方だ、一国の独立という理念を閑却している、と考えます。そして、軍事を否定している戦後の憲法は、真の独立を得るためには欠陥があるという考え方から、改憲の立場をとります。岸に代表される潮流は、国権主義的、右翼的だと言われ、自民党の中で主流になることは少なかった。岸の後、福田赳夫などが一応保守傍流のほうに数えられました。また中曽根康弘も派閥的には保守本流でなく、国権主義的な傾向もあったので、どちらかというと傍流に数えられます。ただし、中曽根政権の頃は田中派が実質的な支配力を持っていましたから、田中曽根内閣などと呼ばれたわけです。この保守傍流が、今の清和会に続いていいます。

 というわけで、現在最大派閥となった清和会は、長らく、傍流に過ぎなかった。

 そして、岸田文雄がリーダーとなった宏池会は、本来は、防衛費・軍事への費用を極力抑えて経済を発展させようとする、吉田ドクトリンを継承してきたはずだった。

 どちらも、過去形になったのは、本流と傍流が、逆転したからである。

 とはいえ、果たして、戦後の保守本流と保守傍流には、そんなに大きな違いがあったのだろうか。

 この後、著者は、吉田茂と岸信介に、大きな違いはないと記している。

 戦後日本の自民党支配をこのように、コントラストをつけて保守本流と保守傍流に分ける見方が永らく常識として通用してきました。
 しかし本流と傍流はそこまで違うものなのでしょうか。本質においては違わない、言い換えれば吉田茂と岸信介はさほど変わらない、というのが私の見方です。よく吉田は護憲派だった、岸は改憲派だった、と捉えられますが、それは違います。そのように見てしまうと、あたかも吉田茂は心の底から戦後憲法に価値を見出し、それを決して変えてはならないと考えていたかのようです。それは全然違うのですから。

 著者が、なぜ吉田茂が護憲派、岸信介が改憲派と捉えてはいけないとするのかは、次回ご紹介。
 

 自民党の派閥に関しては、以前も書いたことがある。
 ほぼ一年前にも、総裁選を前に書いた。
2021年9月18日のブログ

 Wikipediaから「宏池会」「清和会」の引用もしていた。

 そもそも、自民党の派閥は、政策の違いということよりも、権力闘争の結果、と考えた方がよいように思う。
 今になって、なおさら、そう思う。


 系図的なものはないかと探したら、五年ほど前の東洋経済オンラインで、参考になる記事を見つけた。

東洋経済オンラインの該当記事

自民党の「派閥」はなぜ求心力を失ったのか「一強」時代の今、ひもといておきたい歴史”
 という見出して、一橋大学大学院社会学研究科教授の中北浩爾によるもの。

 その記事の中に、同教授の著作から引用したという系図があったので、拝借。

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 なんとも、自民党という木は、多くの枝分かれをしてきたことか。

 さて、この枝分かれの原因は、政策の違いによるものなのか、それとも権力闘争の結果なのか。


 なぜ、かつて本流だった宏池会が傍流となり、以前は傍流だった清和会は本流となったのか。

 本書からも、ある程度の答えが見出せるように思う。

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by kogotokoubei | 2022-09-15 12:57 | 今週の一冊、あるいは二冊。 | Trackback | Comments(0)

あっちに行ったりこっちに来たり、いろんなことを書きなぐっております。


by 小言幸兵衛
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