「つらいことがあったら芸だと思いなよ」八代目桂文楽ー朝日新聞「折々のことば」より。
2022年 09月 13日
ということで、帰宅し、ユウの散歩をし、一杯やったら、長い記事は無理(^^)
今日の朝日新聞の「折々のことば」で、鷲田清一は、八代目桂文楽のことばを選んでいた。
これが、その画像。

その言葉。
「つらいことがあったら芸だと思いなよ」
この言葉の出典も紹介されている。
暉峻康隆の『落語藝談』所収の対談だ。

暉峻康隆『落語藝談』(小学館ライブラリー)
もう少し、その前の部分を本書から紹介したい。
暉峻 馬生君(古今亭志ん生の長男)がこの二、三年めっきりよくなりましたね。
文楽 ええ、よくなってきました。彼のお父っぁんが具合が悪くなったでしょう。ああなったところへもってきて、人の稽古をするようになりました。
暉峻 いいことですな。
文楽 自分のためですからね。
暉峻 ただね、このあいだ馬生君と会って一杯飲んだときに、「おまえさん、たいへんよくなったけれども、どうも顔を動かしすぎる」と言ったんです。顔を必要以上にクシャクシャするんですよ。そうしたら「いや、先生すみません。実は・・・・・・」と言うんで聞いてみると、近眼(ちかめ)がひどいらしいんですね。そばへ寄らないと、だれだかわからないくらいに見えないものだから、顔を動かさないと、向こうもよく見えないんじゃないかと思うから、ついそうなっちまう。
文楽 彼もこの節、たいへんに席亭に認められるようになり、連中も認めました。
暉峻 そうでしょう。このごろのお客はフリのお客が多いんでね。はなし家の通って来た筋道を知らないんですよね。だから「おまえさん、近ごりめっきりよくなったよ」と言われるのが、どんなにうれしいかわからないと思う。ところが、このごろのお客はその日だけなんだ。つき合いは。昔ながらの常連のお客がいなくなったから、いま聞いてるはなし家が、まえに比べてどうよくなったか、ちっともわからない。そんな、一ぺんこっきりのお客を相手にしていい気になっちゃだめなんだなあ、
文楽 だめなんです。あれが二ツ目になったときに、いつも新聞を広げましてね。「どうも師匠、あがるたびにあいつ新聞を広げてる。あの新聞をよさせるはなし家はねえのか」って(笑)。
この後、名人と言われ、幻の二代目円朝だった初代円右の息子、二代目円右の話題になる。
トリの息子の前に上がった父親が、せがれはどうせまずいが、どうか帰らずに聞いてやってくださいとお客さんに頼んだとのこと。
そうすると、せがれが楽屋にいて、
「あんなこと言ってやがる。うちの親父、あれだから困る。売りものにキズをつける、こんなばかな話は・・・・・」。
ばか野郎だね。こいつは。もったいないじゃないか、円右師匠がてめえのせがれだと思えばこそ、舞台でそう言ってるのに、そういう勘違いをするんですからね。実にあきれかえっちゃった。そのとおりの死に方しましたよ。これはばかで一生を終わっちゃいました。「名人に二代なし」というのはそこのところですな。
暉峻 そういう話を伺いたかったんですよ。つまり、はなし家の生き方ね、心意気というもの。
文楽 そうなんですよ。ひとことで言えば、なんか自分のつらいことだとか、さぶい(寒い)ことだとか、悲しいことだとか、おかしいことだとか、ああ、こんなくやしいことはないと思ったことなどは、上の人に訴えるでしょう。そうすると、「それ、おまえ、芸だよ」よくそう言われましたがね。こんどはあたしがいうようになった。弟子がまずいつらしてるときがある。そうすると「おまえ、芸だよ。そうやっておれは育てられてきた。つらいときがあったら芸だと思いなよ」と。そのあきらめが一番いいんですね。ひと口に言っちまえばそれでおしまいですけれどもね。なるほど、味わえばそうなんですよ。
ということで、この言葉、つらい、さぶい(寒い)、おかしい、くやしいなどの思いを、上の人に訴えた結果、返ったきたのが「それ、おまえ、芸だよ」だったということ。
表層的に考えると、これは、上の人の「逃げ」と思えないこともない。
しかし、文楽は、その言葉に、語る上の人の人生の重みを感じたに違いない。
果たして、今、つらい、さぶい(寒い)、おかしい、くやしいなどの思いを上の人に訴えるという状況は、どれほどあるのだろう。
まず、せいぜいが、友人や、同僚に、訴える、のではなく、つぶやく、のが精一杯ではないか。
もし、上の人に訴えたら、果たして、どんな答えが返ってくるのだろうか。
芸人の世界は、たしかに一般社会とは、違うだろう。
しかし、共通して重要なのは、どんな質問だろうが、どんな答えだろうが、上下双方の間に信頼関係があることではなかろうか。
そうであれば、饒舌ではなくても、その言葉の背景にある語り手の人生の重みが伝わるはずだ。
文楽の言葉のことを追いかけて、古典芸能の世界のみならず、日常生活における、対人関係、コミュニケーション問題を思う夜だった。
