9.11に思う、グアンタナモ収容所のこと。
2022年 09月 11日
2001年のこの日、ニューヨーク時間午前8時45分、日本時間午後9時45分のことだった。
一年前、9.11を前にして、私自身のあの頃のことを振り返った。
2021年9月10日のブログ
昨年映画『モーリタニアン 黒塗りの記録』について、原作からの補完を含めて書いたシリーズ最後の記事で、グアンタナモ収容所を紹介した。
2021年11月30日のブログ
繰り返しになるが、あの収容所について、映画の原作で振り返りたい。

河出書房新社サイトの該当ページ
映画の舞台でもあるグアンタナモ収容所について、原作の日本語版訳者、中島由華のあとがきから引用。
本書はGuantánamo Diary by Mohamedou Ould Slahi, edited by Larry Siems(Littele, Brown and Company, 2015)の翻訳である。
キューバ南東部に位置するグアンタナモ湾にアメリカの海軍基地がある。米西戦争後、スペインから独立したキューバ新政府によって、アメリカが租借することを認められたものだ。その後、ルーズベルト政権時代の1934年に改めて条約が締結されると、アメリカ側の放棄、あるいは両国の合意がないかぎり、無期限に租借できると決まった。キューバ革命の成功のあと、キューバ新政権から返還を要求されるようになったのだが、アメリカはその条約を楯にし、グアンタナモ基地を使用しつづけた。
2001年の911アメリカ同時多発テロのあと、このグアンタナモ基地内に設けられた収容所に「テロ容疑者」が大量に送りこまれるようになった。アメリカは、「テロとの戦い」の名のもとに、テロへの関与が疑われる人びとを世界各地でとらえ、グアンタナモに集めた。領土外のグアンタナモでならば、捕虜の人道的待遇を義務づけるた国際条約は適用されないという見地から、事実上、被拘禁者を無期限に拘束することも、残酷な方法で尋問することもできるというのだ。
実際のところ、グアンタナモに拘禁された人びとはどのように扱われてきたのだろうか。それをまざまざと伝えてくれるのが、2002年に無実の罪でそこに収容され、いまだ釈放されていないモハメドゥ・ウルド・スラヒ氏が、2005年の夏から秋にかけて執筆した手記である。その文章は、アメリカ軍の検閲によってところどころ黒く塗りつぶされているものの、いま、まさにグアンタナモの独房に入れられている人物の声であることもあって、たいへん貴重なものだ。
グアンタナモとは、そういう場所だったのである。
外務省サイトの「わかる!国債情勢」の中、「キューバの選択~カストロと社会主義」に、地図があったので、拝借。
外務省サイトの該当ページ

オバマもバイデンも、任期中に閉鎖を目指すと言った。
キューバも返還を求めている。
しかし、このグアンタナモ収容所は、いまだに閉鎖されていず、現在も37人が収容されている。
ブッシュ政権は、アルカイダ、そして、オサマ・ビンラディンを捕らえるとしてアフガニスタンを攻撃した。
あの刺激的な映像でばかり振り返るのではなく、あの後、どんなことをアメリカ政府が行ったのかも、忘れてはならないと思う。
ご指摘の通りです。
清和会で対米従属を一気に加速したのが小泉であり、その後「2012年体制」に継承されました。
かつて自民党保守派の傍流だった清和会が、いまや最大派閥となった背景に、統一教会問題も絡んでいます。
