白井聡著『長期腐敗体制』より(12)
2022年 09月 10日
二つの島国で、国葬が話題になっているが、その違いの大きなこと・・・・・・。
その違いを招いたのも、「2012年体制」が大きな要因だと思う。
あらためて安倍晋三の功罪(功はあるか?)を確認するためにも、この本は有益だ。

白井聡著『長期腐敗体制』
6月10日に角川新書から刊行された白井聡著『長期腐敗体制』から、十二回目。
著者の白井聡は、1977年生まれの思想史家、政治学者で、『永続敗戦論ー戦後日本の核心』などの著作がある。
目次を確認。
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□序章 すべての道は統治崩壊に通ず
ー私たちはどこに立っているのか?ー
□第一章 2012年体制とは何か?
ー腐敗はかくして加速したー
□第二章 2012年体制の経済対策
ーアベノミクスからアベノリベラリズムへー
□第三章 2012年体制の外交・安全保障Ⅰ
ー戦後史から位置づけるー
□第四章 2012年体制の外交・安全保障Ⅱ
ー「冷戦秩序」幻想は崩壊したー
□第五章 2012年体制と市民社会
ー命令拒絶は倫理的行為であるー
□あとがき
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巻末に説明があるが、第一章から第四章は、2021年3月から6月に朝日カルチャーセンター中之島教室で行われた連続講座「戦後史のなかの安倍・菅政権」の講義録を元にしている。
その内容を全面的に改稿し、他の章を書き下ろしたとのこと。
引き続き、第三章 2012年体制の外交・安全保障Ⅰー戦後史から位置づけるー、からご紹介。
前回は、日本の保守政治家を、対米従属派と自立派に分類するのは分かりやすくはあるが、ことはそんなに単純ではないのではないかと著者が疑問を抱いていたことをご紹介した。
著者は、その政治理念が大きく変遷した政治家として石原慎太郎の例を挙げている。
さて、それでは、戦後の日本の政治は、どのような状況にあったのか。
「親米保守」の性格変化の考察を
思想家の内田樹氏がしばしば言うように、戦後日本の保守政治、親米保守政治のやろうとしてきたことは、理念的には「対米従属を通じた対米自立」であったはずです。現実には全然そう見えなかったとしても、少なくとも理念的にはそうでなければならなかったはずです。
つまり、東西対立という大きな構造が存在するなか、対米従属はほぼ運命づけられていた。その大本に日米安保体制があって、軍事的には従属させられています。ですが、その、させられているという所与の条件を活用することで、日本は国力を蓄えた。何のために蓄えるのかといえば、ナショナリズトを任じるのであれば、それはもちろん独立国たらんとするため以外ではあり得ない。つまりそれは、最終的には対米自立を意味するはずです。ではどうやって対米自立をするのかというと、それは対米従属を通じてだ、ということになります。これはきわめてトリッキーな戦術であるほかないわけで、逆説に満ちています。
逆説に満ち、矛盾があるので、その反映として「日本の対米従属とは本当のところ何なのか?」「日本は対米従属をさせられているのか? それとも自発的にしているのか?」という問題が出てきます。最初は敗戦占領で対米従属が始まるのですから、間違いなく「させられている」ところから始まります。しかし東西対立の下、アジアでナンバーワンのアメリカの子分だという地位を、戦災復興と国の再建、さらには経済大国への発展まで、日本はうまく利用しました。すると、おかしな言い方ですが、この従属に主体性が出てきます。従属させられているのではなく、自ら進んで、自己利益のために従属しているのだ、という話になってくる。
後述する吉田茂の吉田ドクトリンというものの論理がその典型です。「対米従属を通じた対米自立」というトリッキーな戦術、あるいは矛盾が、この自主的な従属(=自発的な自主性の喪失)という概念にまさに反映しているわけです。
このような状況の下では、従属と自立はそこに明快な線が引けるようなものでなく、グラデーションでつながらざるを得ない。そもそも簡単に切り分けられない矛盾に満ちた立場が、さらに歴史的に性格を変遷させてきた過程があります。それについて考察することが、戦後レジームを考察することにほかならないでしょう。
対米従属をしながら対米自立を目指す、というのは、寄生作戦とでもいえるし、コバンザメ戦術と言えるのかもしれない。
相手の力を借りて、自分は労力を使わずに遠くまで行くことができる。
しかし、問題は、ほど良いタイミングで寄生している相手から離れないと、どこまで行くかわからないということだ。
引用を続ける。
その性格の変遷、変態をどのように捉えるべきか。いろいろな見方があると思いますが、私の『国体論』の図式に従い、戦前も戦後も三つのピリオドに分けられるという見方を採りたいと思います。すでに述べましたように、国体の構造は、戦前は天皇が中心、戦後はアメリカが中心です。そのシステムは三つの段階を踏んできたー形成され、絶頂を向かえ、そして衰退、崩壊へ向かうーというと捉え方です。この見方から戦後の親米保守政権の展開がどう見えるか。
「国体」に関しては、第一章から以前に紹介したが、再度、一部を引用する。
2022年8月19日のブログ
「国体」とは、普通、戦前の天皇制国家のことを指します。それは明治期に、明治維新を実行した人たちが、新生近代日本の国家原理として天皇を頂点・中心とする体制をつくったことによって成立しました。この明治期に、天皇を中心に日本人は団結して頑張りましょうということで、飛躍的な大発展を遂げた。けれども、最終的には1945年、破滅的な戦争により潰れます。大日本帝国の天皇中心主義は、軍国主義、超国家主義、神懸かり的なファシズムの温床だと見なされて、GHQによる民主化改革の対象となり、天皇制は象徴天皇制への再編され、「国体」は死語になりました。
しかし、「国体」的なものは、実は生き残っているのです。それは戦後、「国体」の頂点を天皇からアメリカにすり替えたような形で機能するようになります。だから、「国体」は、それが形づくられ、発展し、そして壊れるというプロセスを二度繰り返していると見ることができます。
さて、この後、著者は、アメリカを頂点とする「国体」の変遷を詳述するのだが、その内容は次回。
天皇中心からアメリカ中心の国体に変遷したからこそ、いまだに、沖縄には米軍基地が残り、防衛費(軍事費)を増やしてアメリカから武器を買おうとしている。
安倍晋三の死について、トランプがすぐに過度とも思える弔意を示したが、それはそうだろう。
アメリカからの武器購入において、他の国では当たり前に行う交渉抜きに、日本はアメリカの言い値で、古い武器も含め買ってくれる大事なお客様なのだから。
二年ほど前、東京新聞社会部による『兵器を買わされる日本』(文春新書)のシリーズの中で、「対外有償軍事援助(FMS)」について紹介した。
2020年7月3日のブログ
あらためて、防衛予算の後年度負担にFMSが占める割合のグラフを確認しよう。

大山鳴動し中止となったイージス・アショアにしても、悪名高きオスプレイにしても、護衛艦を改修して空母化する前提となったF35にしても、このFMSでの購入である。
そのFMSでの兵器購入額は、年々増加するばかり。
その結果、防衛予算の「後年度負担」、別名「兵器ローン」も膨れ上がっている。
2019年度の後年度負担(兵器ローン)は、防衛予算(5兆2574億円)を上回った。
その中で、FMSが占める割合は、3割近くになっている。
2000年度に兵器ローン総額で3兆円弱、FMSの割合は、たった2%程度だったにも、かかわらず。
ここまで急増したのは、なぜか。
同書には、こう書かれている。
その兵器ローンの残高は1998年から第2次安倍政権が年末に誕生した2012年度までは3兆円前後で推移していた。だが、政権発足後から右肩上がりに増え続け、2019年度は予算ベースで5兆3613億円と、わずか6年間で一気に2兆1305億円も増えた。
兵器のセールスマンだったトランプが、安倍晋三のことを悪く言うはずはないのである。
そんな人物を、国葬で見送ろうとしていることを、国民が許すはずがないではないか。
さて、今日は10時からの飲食店のアルバイト、そろそろ出かけなきゃ。
