映画「長崎の郵便配達」のこと(3)
2022年 08月 18日
とはいえ、雨も降っているし、どこに出かけるでもない。
こうやって、ブログを書いている。
この映画の最終三回目。
オリジナルサイトからお借りしたポスター。
映画「長崎の郵便配達」オリジナルサイト

この映画は、昨秋公開予定だったが、配給会社が決まらず、今夏の封切りとなった。
結果として、オリジナルサイトと、配給会社によって開設された公式サイトの両方がある。
こちらが公式サイト。
映画「長崎の郵便配達」公式サイト
予告編。
公式サイトから、この映画の概要について引用。
はじまりは1冊の本だった。著者はピーター・タウンゼンド氏。戦時中、英空軍のパイロットとして英雄となり、退官後はイギリス王室に仕え、マーガレット王女と恋に落ちるも周囲の猛反対で破局。この世紀の悲恋は世界中で話題となり、映画『ローマの休日』のモチーフになったともいわれる。その後、世界を回り、ジャーナリストとなった彼が、日本の長崎で出会ったのが、16歳で郵便配達の途中に被爆した谷口稜曄(スミテル)さんだった。生涯をかけて核廃絶を世界に訴え続けた谷口さんをタウンゼンド氏は取材し、1984年にノンフィクション小説「THE POSTMAN OF NAGASAKI」を出版する。 映画『長崎の郵便配達』は、タウンゼンド氏の娘であり、女優のイザベル・タウンゼンドさんが、父親の著書を頼りに長崎でその足跡をたどり、父と谷口さんの想いをひもといていく物語だ。
<あらすじ>
では、あらすじを続ける。
もちろん、ネタバレになるので、ご注意のほどを。
これまで、(1)ピーター・タウンゼンドのプロフィールや『長崎の郵便配達』執筆の背景、(2)イザベルと映画の監督川瀬美香との出会い、(3)ボイスメモ、(4)谷口さんの死、(5)イザベル、谷口さんのその日を辿る、(6)イザベル、谷口家訪問、(7)イザベル、田崎さんと会う、(8)坂と石段の長崎、までをご紹介した。
映画もカットバックがあり、必ずしも時系列ではないことは、ご容赦のほどを。
前回、次は、イザベルと夫、二人の娘の家族での長崎のことを書くと予告していたが、その前に、大事な場面をご紹介する。
(9)谷口さんフランスのテレビ出演の思い出
イザベルの回想。子どもの頃、父ピーターが谷口さんをフランスに呼び、テレビに出演してもらった。
イザベルは、父から「よく見えるから」とスタジオの裏で番組を見ていた。
そうすると、父が、いきなり谷口さんの上半身を裸にしたのだった。
イザベルは、強い衝撃を受けた。
当時のテレビ放送の一部は映画でも流れたが、裸の場面は、カットしたようだ。
どんな言葉よりも強く、原爆、そして戦争の酷さを、谷口さん、そして、ピーターは、視聴者に訴えたのだ。
(10)娘二人と原爆資料館へ
2018年の夏、イザベルの長崎訪問は、夫と娘二人、四人家族全員での旅だった。
イザベルは、娘と三人で、原爆資料館を訪れた。
そこには、被爆者を治療する映像も紹介されていた。
三人は、真っ赤な背中の少年が消毒されている映像に見入った。それは、谷口少年の記録そのものだった。
予告編から画像をお借りする。

米軍が、撮影したこの時の映像が、その後の谷口さんの人生を左右することになったのである。
この映画は、西日本新聞の谷口さんへのインタビューを中心とした連載企画「原爆を背負って」も参考にしている。
同企画の13回目から引用する。題は、「米国調査団の撮影 人生を変えることになる1枚」。
西日本新聞サイトの「原爆を背負って」
1946年1月31日、6人部屋の私の部屋に米兵が大きな機材を持って入ってきました。寝ていたベッドは通路のすぐそば。病棟の渡り廊下から電柱に登り、銅線を電線につないで引っ張ってきているのが見えた。銅線を機材につなぐと煌々(こうこう)とライトがつきました。家庭用のコンセントが普及していない時代、電源を直接電柱から取っていたのです。この記事には、同じ被爆者として、核兵器反対、反戦の活動を共にした仲間のことも書かれている。
米兵はうつぶせで横たわる私の背中の映像を撮影していました。このとき回していたのはカラーフィルム。今と違ってカメラの感度が低いため、撮影には大量の光が必要でした。真冬の寒いときでしたが、裸にされても寒くありませんでした。このときの自分の姿を見るのは、25年ほど後になります。背中を真っ赤な血で染め、苦痛に顔をゆがめる少年の映像と写真は、私の人生を変えることになる。まだまだ先の話です。
米国戦略爆撃調査団は、爆撃の効果を調べるために長崎、広島でカラー映像を記録しています。ペニシリンなどの薬の提供をだしに、被爆者の撮影を迫ったそうです。当時の大村海軍病院の院長が「どうせなら一番ひどい者を撮らせろ」と、私のほかに2、3人を撮らせました。
結果として、イザベルは、子どもの頃にフランスのテレビ局で受けた貴重な体験を、過去の記録ではあるが、娘たちに味わわせたと言えるのだろう。
(11)精霊流し、精霊船
2018年のお盆、長崎では恒例の精霊流しが行われ、初盆となる谷口さんの精霊船の奉納も行われた。
日本の伝統と文化に浸るイザベルと家族。
予告篇からの画像。


(12)浦上天主堂
イザベルは、浦上天主堂を訪れた。
フランス語が堪能な司教との会話からも、父や谷口さんのこと、被爆者の苦悩を知る。
被爆者の女性は結婚できないなどの差別に遭っていた。
予告篇から。

(13)家族
イザベルさんとご主人、そして二人の娘さんのが長崎、日本の旅を楽しむ姿も、少しだが挟まれている。
駅で、ビートルズのあの「アビーロード」のジャケット写真を真似る姿が微笑ましい。
家族で海で水遊びする様子などもあった。
予告編から。


この映画の、オアシス的な映像と言えるだろう。
(14)父の遺した言葉
父の足跡を辿る旅は、片手に書き遺した本、耳のイヤホンで父が語っていた言葉と一緒だった。
イザベルさんの旅は、なぜ、父は谷口さんを取材し、本を書いたのか、ということだったが、語り遺した言葉に、その謎を解く鍵があったようだ。
予告編から。


(15)谷口さんの遺した言葉
この映画が訴えるのは、やはり、谷口さんが遺した、この言葉なのだろう。
予告編より。

<感想など>
あらすじでは紹介しなかったが、映像では、郵便配達の自転車に乗る谷口少年をイメージした映像が、ところどころに、効果的に挟まれている。
公式サイトの画像を拝借。

この映画では、時間と空間ということを考えた。
谷口少年の映像は、現在は過去からつながっている、過去は終わっていない、という制作者のメッセージと私は受け取った。
そして、原爆、戦争がなければ、この少年は、健康に育っていたはずだ、という訴え。
そして、その時間のつながりを訴えることと、好対照なのが、空間のつながりだ。
日本と、イギリス、そしてフランスとの空間。
知人を通して谷口さんを知った川瀬美香監督は、2015年にアメリカまで谷口さんに帯同して、谷口さんが「No More Nagasaki No More War」を訴える映像を撮っていた。
しかし、原爆という重いテーマの映画化には、なかなか手がつかなかった。
そして、ピーターの『長崎の郵便配達』復刊運動のことから、イザベルを知り、会おうと決心。
そのイザベルは、父の書斎から、1982年に谷口さんを取材した際のボイスメモを見つけ、数十年ぶりに父の肉声を聞く。
父の長崎への旅を、ぜひ自分も辿ってみたいという強い思いが、川瀬美香監督を、フランスの家まで導いたように思う。
谷口さんを、第二次世界大戦のエース・パイロットが本に著したということを、どう受け止めるか。
残酷な運命を嘆くばかりではなく、自らの肉体を晒し、核兵器廃絶、反戦を訴えた谷口さん。
戦争の英雄としての過去を振り返り、世界を旅することで、自分がなすべきことを見出した、ピーター。
あえて、結論めいたことを書くことはしない。
この映画は、そういうことを、観た者に深く問いかける、ということが大事なのだと思う。
多くの方に観ていただきたい。
