小田嶋隆著『三十六計、九条に如かず』(『九条どうでしょう』所収)より(4)
2022年 07月 09日
前の記事で書いた昨夜の中学の同級生との会合(飲み会^^)では、さすがに、昨日のあの事件のことも話題になった。
ちょうど夕方6時に始まる少し前に、元総理の死をスマホで知った。
詳細は明かせないが、私も含め四人とも、政治的な姿勢は、反自民、反安倍である。
その理由はいくつもあるが、その一つは、憲法を改正(改悪)し、戦争のできる国にしようとする自民党の象徴的な人物であったこと。
あらためて、九条に関する本。

『九条どうでしょう』(筑摩文庫)
『九条どうでしょう』は、毎日新聞から第一次安倍内閣が発足した2006年に単行本が初版、2012年10月、第二次安倍内閣発足直前に筑摩で文庫化された。
四人の書き手によるアンソロジーの中の小田嶋隆「三十六計、九条に如かず」から四回目。
あらためて、前回「危険な理屈はどっちだ」からご紹介した内容を再確認。
九条は日本の国防政策の基本方針として十分に現実的かつ有効だ。九条のもとで、十分に国は守れる。
理由は、戦後からこっち、われら日本国民が、六十有余年の間、ひとたびの戦争も経験せず、具体的な侵略の脅威にさらされることもなく、平和のうちに暮らしてきたという実績を挙げれば足りる。
「これまで大丈夫だったから、これからも大丈夫だなんていうのは、無責任だ」
という人々があるかもしれない。
が。コトは国防だ。
新機軸や新体制を試すよりは、現状がうまく機能しているのなら、現状維持が一番だ。安全第一。徐行運転。平和ボケと言わば言え、だ。
小田嶋は、「戦争の準備」をしたり、「軍事的な示威行動」をやらかすのは、いたずらに緊張を高める、愚の骨頂、と切り捨てる。
拙ブログに本日早朝、中朝露の核弾頭を搭載したミサイルの標的の一つが日本であり、九条がこのままでは、そういった世界情勢の対応できない、という主旨のコメントを頂戴した。
私の考えは、そのコメントへの返信に書いたが、日本に米軍基地があるから、標的になっているわけで、戦争が出来る国に憲法を変えることは、何ら解決にはつながらない。
さて、小田嶋はこの章を、次のように締めくくっている。
憲法第九条の条文を厳密に解釈すると、現状の日本よりもさらに丸裸な軍事的空白ができあがるというのも、また、痛々しい事実ではある。
虚心に読めば、意味論滝には、九条は自衛隊の存在を容認していない。
さらに言うなら、日米安保条約もかなり真っ黒なグレーゾーンにはいる。
ということはつまり、九条の理想を真正直に実現すると、モロな「非武装中立」の一大実験国家が極東アジアに出現することのなるわけだ。
・・・・・・と、どうなるのだろう?
こりゃ、大丈夫なのだろうか?
正直な話、見当がつかない。
軍事の専門家でもない私のようなものには、「非武装中立は可能か?」という質問は、重すぎる。
だって、SFみたいだし。
ぶっちゃけて言えば、個人的には
「案外大丈夫なんじゃなかろうか」
という感じを抱かないでもないのだが、それはそれとして、一国の国防を
「案外大丈夫なんではあるまいか」
みたいな感覚に委ねるだけの勇気は私にはない。やっぱしダメだった時のリスクが大きすぎるがゆえに。
ので、
「わかりましぇん」
と言っておく。
小田嶋隆ならではの、文章。
「平和ボケ」で何が悪い、という主張も小田嶋ならではだが、私はその意見に同意する。
世界で唯一の被爆国である日本は、核の抑止力という際限のない兵器開発競争に与するのではなく、日本国憲法による実績を今後も継続させる努力をすべきだと思う。認知症でボケるではない。平和に大いにボケたいと思う。
さて、次は「憲法の役割って」の章から。
大事な章なので、長くなるが、全文をご紹介。
さて、以上に展開した立論には、実はちょっとしたアナがある。
具体的に言うと、私が設定している「九条の有効性」は、実際のところ、条文を字義通りに解釈した時の理論的な帰結(つまり非武装中立)に立脚したものではなくて、「憲法違反スレスレの憲法解釈のもとで実施されている軍事政策」(すなわち、自衛隊+日米安保体制)を前提としている点だ。
理屈にうるさい向きは、
「九条が有効だというのなら、九条が説くところの非武装中立の実現を強く主張すべきだし、骨抜きになった九条を元にその有効性を主張しているのなら、九条そのものの現実性は、言下に否定しなければならないはずだ」
と言うだろう。
おっしゃる通り、私の言っていることは、少しく矛盾している。
が、「憲法の現実性」というステージでは、私の言っていることは間違っていない。
どういうことなのかというと、憲法というのは、理想を表明する装置であって、刑法や民法といった実定法とは意味や性質が根本的に違っているということだ。
九条に限らず、憲法の条文は、いずれも「理想であって現実でない」話ばかりだ。
二十五条(いわゆる生存圏)が保障している「健康で文化的な最低限度の生活を云々」にしても、それができない国民が日本中にゴロゴロ転がっている現実を鑑みるに、空文と言えば言える。ってか、空文ですよね。ほぼ。
納税や教育の義務だってテンから無視している人々は絶対にいる。思想・信条の自由が完全に守られる道理だってありゃしないし、表現の自由なんてものはモロに絵に描いたモチだ。
それでも、そうした理想は高く掲げられなければならない。
というよりもむしろ、実現が困難であるからこそ、理想は力を持つことができるのであって、そうした理想を高々と掲げることこそが、憲法の第一義的な役割なのである。
それゆえ、「九条は青臭い理想に過ぎない。現実を見ろ」という批判は、九条の急所を突いたことにならない。
なるほど青臭い点についてはご指摘の通りだが、君たちは政治家が実現すべきは、憲法が示した理想を現実化する仕事だ、という、それだけの話である。
逆に言えば、まったく青臭い成分をふくまない100パーセント現実的な施策は、あえて憲法に載せる必要すら持たない。
憲法は理想である。
それが役割であるとする小田嶋の指摘は、重要だ。
現実とは違うから、憲法を現実に合わせようとすることは、憲法の役割そのものを否定することになる。
そして、アメリカ隷属の姿勢が、憲法改正を後押しする。
□自衛隊はほとんど軍隊であるから、そうであることを憲法に記す
□守ってくれる米軍のため、「集団的自衛権」という名の「軍事同盟」を憲法でも是認する
□緊急事態条項で、政権に批判的な行動を取り締まることを憲法で可能とする
などで改正(改悪)されたものは、とても、理想を宣言するのが役割、という憲法とは、あまりにも遠い。
「平和ボケ」で何が悪い!
「理想で、何が悪い!」
という小田嶋隆の九条への思いの紹介は、あと二、三回続く予定。
今夜、やはり、安倍晋三殺害事件のことに、ふれないわけにはいかない。
ニュースは、昨日の事件一色だ。
警備の問題に焦点が当たってきたが、それはそれ、問題の本質は別なところにあるのではないか。
警備など当日の現場の問題ではなく、犯人は、なぜこんな事件を起こしたかということについて、もっと時系列を遡って検証する必要があるのではないだろうか。
安倍晋三という一人の国会議員の殺害犯人について、その動機はあまり明かされていない。
今、犯人の供述を元に、分かっている範囲で時系列順で書こうとすれば、次のようなものだ。
なお、メディアでは「容疑者」と表現しているようだが、ほぼ確信犯であると思うので、犯人と書く。
(1)犯人の親族(母親?)が、ある宗教団体に入信し多額の寄付などで犯人の家庭は経済的な危機を迎えた
(2)犯人は、その特定の宗教団体への恨みがあった
(3)犯人は、その団体の代表者を殺害することを考えたが、それが難しいと判断した
(4)犯人は、安倍晋三が、その団体と関与していると思っていた
(5)犯人は、団体代表ではなく、安倍晋三殺害を思い立った
この宗教団体がどこか、というのはまだ明らかではない。
もちろん、その団体と安倍晋三との関係性も明らかにはなっていない。
しかし、上記のような犯人の動機が正しいのであれば、時系列的には、犯人の親が、ある宗教団体にのめり込んだがために家庭が崩壊した、ということが出発点になっているように察せられる。
その団体がどこかは分からないが、どんな宗教団体だろうと、そうした問題の源流を作り出す宗教法人による被害、そして、そうした問題に対する政治の在り方なども、今回の事件の真相を探るなかで、議論して欲しいと思う。
憲法問題とは別に、国民の日々に生活に関わる法的な問題は、いくつもある。
税の優遇などにより、宗教団体に反社会的組織にも似た活動を許す状況は、まったく改善されていない。
霊感商法など、人の弱みに付け込むことで信者の家庭が崩壊したり、オウムのように犯罪集団に子どもを奪われたりという過去の経験を、この国の政治はどう生かしてきたのだろうか。
ほとんど、問題は放置されたままではないのか。
それは、なぜか。
自民党と連立政権の相手は公明党だ。
その背後には創価学会という宗教団体がある。
重要な政権の相棒のことを考え、自民党としては、できるだけそういう話題を避けたい、そしてメディアは忖度して報道しない、ということなら、本質的な問題は解決しない。
真相を明らかにしようとしないメデイアはどういう圧力に屈しているのか?!
ネットでは信頼すべきサイトを含め、すでに宗教団体の名が明らかにされています。
テレビは、投票日の今日だけ緘口令なのか、それとも、隠し通すのか・・・・・・。
明日以降、その団体の名が明らかになるのなら、それは、メディアが作為的に自民党を有利にする行動をしていることになりますね。
