落語『酢豆腐』から思う、いろいろ。
2022年 07月 04日
あの題が含んだ意味が、今はほとんど通じなくなった。
そのことを書いていた本があったなぁと思いながら、本棚からこの本を引っ張り出した。
こういうことは、電子書籍では、できないよ(^^)

大西信行の『芸人もしくはエンターティナー語録』は、九藝出版から昭和53年に発行された。
「あとがき」によると、大西が書き溜めたものを、出版社が集めて本にしてくれた、とのこと。
「初出一覧」には、こう記されている。
□はなし家語録 『落語研究会』プログラム 第七十七~百十六回(1974年7月~1977年12月)
□女芸人評判記 『婦人公論』(1974年1~12月号)
□おんなの楽屋 『婦人公論』(1975年1~12月号)
□落語の演出
ー落語のまくらとさげ 『国文学』(1977年3月号)
ー志ん朝の『酢豆腐』鑑賞 『話の特集』(1974年9月号)
ー小三治の『船徳』鑑賞 『話の特集』(1974年10月号)
ー入船亭扇橋の「前座修業」 『話の特集』(1974年11月号)
ー若い落語家に 『新劇』(1974年5月号)
そうそう、この志ん朝の『酢豆腐』の記事に、それはあったはずと読み直した。
大西は、志ん朝の『酢豆腐』を聴いて、“これは若ものたちのはなしだったのだと、いまさらながらに知らされた”、と書く。
改めてそうだったのだと、志ん朝が教えてくれた。理屈から言えばなにも志ん朝のを聴いて改めてそうと悟るまでもなく、若ものが集まってのおはなしだと、当然わかっていた筈だのに・・・・・・いままでそれをはっきりと感じさせてくれるやり方で『酢豆腐』を演じた落語家がいなかった。
そこに発見があって、その発見を志ん朝がさせてくれたということが、なんともぼくには嬉しかった。
ね、志ん朝ってなァ、いいはなし家なんだよーと、そう人に語れる材料がまた増えたから。
『酢豆腐』は、志ん朝より前は、何と言っても八代目桂文楽の牙城だった。
しかし、志ん朝によって、新たに、若者の噺として蘇った、と言えるのかもしれない。
また、志ん朝本人も、好きな噺だったのだと思う。

以前、何度かご紹介したが、『よってたかって古今亭志ん朝』(志ん朝一門、文春文庫)の巻末にある「古今亭志ん朝 主要演目一覧」を元に、合計396回の主要落語会で演じられたネタを数えた。
これには、主要なホール落語会、そして、二朝会や大須も含んている。
ご覧のように、『酢豆腐』は、『船徳』や『抜け雀』『明烏』などと並んで、四番目に多い九回演じられていた。
12回( 1) 愛宕山
11回( 2) 黄金餅・夢金
10回( 4) 付き馬・火焔太鼓・品川心中・化け物使い
9回( 9) 船徳・搗屋幸兵衛・富久・酢豆腐・抜け雀・大工調べ・三枚起請・
明烏・唐茄子屋政談
8回( 4) 井戸の茶碗・居残り佐平次・鰻の幇間・三年目
7回( 4) 大山詣り・厩火事・柳田格之進・お若伊之助
6回( 7) お化け長屋・文違い・干物箱・五人廻し・二番煎じ・宿屋の富・
芝浜
5回(14) 巌流島・お直し・今戸の狐・火事息子・子別れ・甲府い・
締め込み・茶金・お見立て・寝床・碁泥・刀屋・首提灯・四段目
4回(11) 粗忽の使者・猫の皿・小言幸兵衛・稽古屋・三方一両損・幾代餅・
宗珉の滝・佃祭り・もう半分・百年目・坊主の遊び
3回(12) 花見の仇討ち・そば清・高田馬場・試し酒・妾馬・駒長・
口入屋(引越しの夢)・崇徳院・三軒長屋・蒟蒻問答・文七元結・
水屋の富
2回(20) 王子の狐・風呂敷・錦の袈裟・替り目・らくだ・花色木綿・
中村仲蔵・おかめ団子・お茶汲み・雛鍔・ぞろぞろ・紙入れ・
たがや・御慶・へっつい幽霊・豊志賀の死・百川・真田小僧・
蔵前駕籠・浜野矩随
1回(38) 天災・元犬・粗忽の釘・ずっこけ・のめる・二人かしまし・
和歌三神・近日息子・蛙茶番・麻のれん・三助の遊び・たぬき・
つるつる・疝気の虫・因果塚の由来・宮戸川・夏の医者・
三人無筆・しびん・禁酒番屋・紺屋高尾・長屋の花見・
ちきり伊勢屋・素人鰻・首ったけ・佐々木政談・反魂香・
近江八景・代脈・堀の内・羽織の遊び・幇間腹・千両みかん・
野ざらし・あくび指南・強情灸・藁人形・時そば
約50年前、昭和48年6月28日の「二朝会」でも演じている。
先日聴いた一朝は、志ん朝に稽古をつけてもらったのか、どうか。勉強不足で、分からない。
大西の本に戻る。
『酢豆腐』ー代表的な落語である。
いかにも落語らしいと言ってもいい。
与太郎という呼び名が落語から生まれて、いつの間にか一般にも愚か者に対する呼称として通用するようになったごとくに、
「あいつは酢豆腐だ」
と、言えば、半可通のキザな奴とわかってしまった時代があった。それもついこの間まで、いまのようにブームという言われ方はしないでも、世間一般の人たちがもっと落語になれ親しんでいた時期が・・・・・・。
酢豆腐という言葉は国語辞典にもチャンと載っている。それだけ広く用いられた言葉になっていたということ。ただし、
「字引きひいたらね、酢で味つけした豆腐料理って書いてありやがった。つまり字引きつくったやつが酢豆腐なんだよね」
と、矢野誠一がケラケラ笑って話していた。さすがに改訂版の『広辞苑』にはチャンと、
すどうふ【酢豆腐】(知ったかぶりをする人が酸敗した豆腐を『酢豆腐という料理だ』と称して食べたという笑話から)知ったかぶり。きいたふう。半可通。
と、書いてあった。
けれども、それほどの代表的な落語でありながら、だれのを聴いたかと考えてみると、桂文楽以外に印象に残る『酢豆腐』を憶えていない。わずかに先代春風亭柳枝の『酢豆腐』くらいのものだろうか。
この先代柳枝は、私がその音源が大好きな八代目の柳枝だ。
私の持っている「新明解国語辞典」(第四版)では、こうなっている。
すどうふ【酢豆腐】〔落語で、半可通の主人公が腐った豆腐を食わされ、こう言った所から〕知ったかぶりをして人に笑われる者の称。
大西は、この後、志ん朝の『酢豆腐』の前半を振り返る。
若い衆が前の晩遅くまで飲んで騒いだ翌朝、暑気払いの酒を飲もうとする。
酒はあるが、あいにく肴を買う金が心細い。
何が食べたいか、というリーダー格の問いかけに、ある者は、刺身と言って叱られる。
「なにを言ってやんでェ。刺身のいいくれェのことはでれでも知っているよ。けど刺身を買う銭なんかあるかい」
「なくでも食べます」
「ふざけるな。高いものはいけないよ。ひとりが食ってひとりが食わねえなんてねァいけない。みんなの口に入って、あんまり腹にたまらねェで、ひょいとわきから見て見端がよくって衛生的だってものが、ないかねェ」
「あるよ」
「あるかい?」
「まず楊子を一束買ってもらいたいね」
「楊子ぐらい安いもんだ。それからどうするイ?」
「そいつを一本ッみんなに配って、それをこう口にくわえて酒を飲む」
「ふうむ・・・・・・?」
「わきから見るってェとうまいものを食ってるみたいに見えるから見端はいいし、腹にたまらなくでって、歯の掃除ができて衛生的だろう」
「殴るよ、ふざけるとー楊子くわえて酒は飲めるかー」
志ん生だな・・・・・・と、思った。
志ん朝のこのくだり、聴いていて、まざまざと志ん生を、それも元気な盛りの志ん生をぼくは感じた。
親子だから、と言ってしまえばそれっきりだが、それにしても、親と子だからではない共通の「芸の勢い」を、そこに感じて、なつかしく、嬉しかった。
似せようと、もし企んだら、似て非なるものが生ずる。
似せようとしないで志ん朝の高座に志ん生を見ることができた、この嬉しさ・・・・・・小三治から小さんになったばかりの五代目の高座を降りて行くそのうしろ姿、見送りながらあるお年寄りが、
「三代目そっくりでさァ、三代目の小さんにね、この人、そっくり」
嘆息まじりにそう言ったのを思い出す。
襲名をしたからではない、親子だからと言うのでもない、芸の継承がそこにあるのだ。
大西のこの文章、『話の特集』の昭和49(1974)年9月号掲載なので、同年5月29日の「落語研究会」を聴いた感想なのだろう。
志ん朝が、36歳。
大西が、この噺が若者のネタと強く感じたのも、頷ける。
なお、『酢豆腐』のことで本棚から取り出した本が、もう一冊ある。

『榎本版 志ん朝落語』(ぴあ)
榎本滋民さんの『榎本版 志ん朝落語』(ぴあ)だ。
この本からは、ずいぶん前に、このネタの系譜や志ん朝の高座の榎本さんの感想などを紹介した。
ご興味のある方は、ご覧のほどを。
2014年8月12日のブログ
酢豆腐が、半可通(知ったかぶり)を意味することを、知らない人が多い今の時代だが、ぜひ、復活(?)してもらいたいものだ。
そこでつい思うのは、自民党の幹事長や政調会長が、消費税が社会保障に使われている、と言っていること。
彼や彼女は、酢豆腐、なのか。
それとも、確信犯の嘘つきで、落語の登場人物なら、嘘八百を並べる弥次郎なのか。
また、候補者アンケートにほとんど無回答で、憲法改正や緊急事態条項のみ賛成としていた元おニャン子くらぶの候補者は、果たして、どう形容したらよいのか。
落語の世界なら、与太郎か・・・・・・。
しかし、酢豆腐の若旦那も、弥次郎も、与太郎も含め、落語の登場人物には、憎めない可愛さがある。
少なくとも、彼らは、戦争など争いごとを好まない人たちである。
参院選の与党候補者のような、可愛げのない人たちは、落語の世界に存在しない。
最低賃金を明確な目標値を示して上げようとすることもなく、消費税減税もせず、大企業や高額所得者への優遇税制を改正することもなく、しかし、血税で防衛費(軍事費)を増やし、憲法を改悪して戦争のできる国にしようとするような人物は、落語の世界には登場しない。
その姿が見つかるのは、時代劇の悪代官と越後屋の場面か。
落語のネタには、圧倒的に多くの善人が登場する。
大衆文芸を元にした時代劇では、勧善懲悪を描くために、悪人も重要な要素である。
『国家と教養』のシリーズ最後に、著者が、落語などの大衆芸能や大衆文芸によって、バランス感覚を養うことの重要性を指摘したことをご紹介した。
この参院選、有権者には、そのバランス感覚が問われていると思う。
八っつぁんや熊さんだって、血も涙もない丸太ん棒には、「べらぼうめぇ」と怒ることがあるのだ。
長屋の住人たちの視線、視点で有権者が投票するのか、どうか。
消費税を減税するなら年金はカットするという恫喝に、八五郎や熊五郎なら、きっと腕まくりをして怒るはずだ。
芸の継承なら喜べるが、自公与党の継承は、とても喜ぶことができない。
落語のことから、つい、現実に戻ってしまう、今日この頃。
お久しぶりです。
そうでしたか。
一朝の二ツ目時代には、まったく縁がありませんでした。
先代柳朝の音源も何席か持っていますが、『宿屋の仇討ち』など、実に良いですね。
また、少しづつ落語ネタも書くつもりです。
