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山崎雅弘著『未完の敗戦』より(4)


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山崎雅弘著『未完の敗戦』

 山崎雅弘の新刊『未完の敗戦』(集英社新書、2022年5月22日初版)の四回目。

目次。
□まえがき
□第一章 狂気の再発ー東京オリンピックに暴走した日本
□第二章 「特攻」を全否定できない日本人の情緒的思考
□第三章 なぜ日本の組織は人間を粗末に扱うのか
□第四章 敗戦時の日本は何をどう反省していたのか
□第五章 日本が「本物の民主主義国」となるために必要なこと
□あとがき
*主要参考文献

 引き続き、第二章 「特攻」を全否定できない日本人の情緒的思考、からご紹介。

 前回は、2021年の『防衛白書』の表紙が、皇居外苑の楠木正成像にそっくりであることをご紹介した。

 後醍醐天皇に仕え、湊川の戦いで弟と刺し違えて亡くなった楠木正成の精神を、防衛省や自衛隊は、尊いものだと考えているのか。
 そういった考えが、あの戦争における悲劇を生んだのではないか、という問題提起だ。

 第二章冒頭から。

 《鹿児島の特攻関連博物館に共通する「情緒的」なトーン》

 ◆現代の我々は「特攻死」した若者とどう向き合うべきなのか

 太平洋戦争末期の1945年4月6日、日本海軍は陸軍航空部隊と共に「菊水作戦」という軍事作戦を開始しました。
 その内容は、4月1日に沖縄への上陸を開始したアメリカ軍とそれを支援するイギリス軍の艦船に対する、大規模で組織的な特攻、つまり航空機による体当たり攻撃でした。
 作戦名に付けられた「菊水」とは、楠木正成が後醍醐天皇から授かった家紋のことでした。後醍醐天皇は最初、天皇家の家紋である菊の紋と同じものを、楠木正成に下賜しようとしましたが、楠木正成は「身に余る」としてそのまま用いることを避け、下半分を水の流れとした「菊水紋」を自らの家紋としました。
 つまり、太平洋戦争における最大の特攻作戦において、楠木正成の家紋が、そのシンボルとして使われたのでした。この事実は、特攻という人命を軽視する異様な戦法と、楠木正成を美化礼賛する価値観が、共通する精神文化に属することを示しています。
 この菊水作戦において、日本軍は海軍と陸軍を合わせて1827機という膨大な飛行機に特攻を実行させ、この作戦だけで3067人が命を落としました。
 これらの特攻機の出撃基地として、重要な役割を果たしたのが、鹿児島県の鹿屋航空基地と知覧航空基地、万世飛行場などでした。現在、特攻隊員を偲んで知覧には特攻平和会館、万世には特攻平和祈念館があり、海上自衛隊の鹿屋航空基地内にある鹿屋航空基地史料館でも、特攻作戦を特攻機に関する展示物が公開されています。
 2019年10月、私は鹿児島へ旅行し、これらの特攻隊に関する展示を見学しました。それぞれの展示室には、出撃して還らぬ人となった若いパイロットの遺影と、遺書や遺品などが並び、端から端まで目にする作業は、精神的にとてもつらいものでした。

 本書に掲載されている、知覧特攻平和会館と万世特攻平和祈念館の写真。

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 他に、鹿屋の航空基地史料館と小塚公園慰霊塔の写真も紹介されている。

 引用を続ける。

 鹿屋や知覧ほど有名ではない万世の平和祈念館では、やがて二階の展示室に私一人しかいない状況となり、私はたくさんの遺影に囲まれた状態で休憩用のソファに座り、現代を生きる自分が「特攻死」した若者とどう向き合うべきなのかを考えました。
 まず疑問に思ったのは、日本軍の若い軍人たちが特攻で命を落とした行為を「戦死」と呼ぶべきなのか、ということでした。
 広義の「戦死」とは、戦って死ぬという意味なので、そう呼んでも間違いではないのでしょう。けれども、戦争における一般的な「戦い」とは、運が良ければ生き延びられるのが前提で、本人も上官も、そのさらに上の司令官も、兵士が敵に打撃を与えて自分は生き延びることを「望ましい結果」と考え、そうなることを目指します。
 最初から100パーセントの「死」を、上官とその上の司令官が兵士に要求するような戦法は、普通の軍隊では成立しません。兵士やその家族の国民が、それを許さないからです。成功する見込みがない不利な状況下で、兵士に敵軍への突撃を命令する上官や司令官は古今東西にいましたが、兵士が幸運にも生き延びることは否定しませんでした。
 しかし、先の戦争末期の大日本帝国の陸海軍は違いました。
 運よく標的の敵艦を沈めることに成功しても、兵士が生きて還ることを許さない。
 それが、特攻という戦法の実態です。戦う前から、すでに死んでいるのと同じです。
 出撃した時点で、特攻機のパイロットはもう死んだものと見なされます。あとは、敵艦への体当たりを成功させることで、その「死」に意味を持たせようとしたのです。
 特攻隊員の多くは、高校生や大学生、若手社員くらいの年齢の若者たちでした。
 その彼らは、敵ではなく、味方である上官や司令官に「死」を宣告された。
 形式的には「本人の志願」とされ、生き残った特攻隊員の中にも、特攻の出撃に意義を感じて覚悟した者が多かったと証言する人もいますが、兵士が同意や志願を拒む選択肢は、当時の日本には存在しなかったであろうと思います。
 そんな死に方を「戦死」と呼んで、あたかも戦争で避けられない人的損害のように一般化してしまってもいいのだろうか。特攻という「上官の命令による確実な死」を、それ以外の、敵軍の弾(たま)に当たるなどの「戦死」と同じように扱ってもいいのだろうか・・・・・・。
 ソファに座ったまま顔を上げると、特攻で命を落とした若者たちのモノクロ写真、つまり遺影がたくさん並んでこちらを見下ろしていました。
 もし彼らが言葉を発することができたら、私やその他の日本人に、何と言うだろう。
 特攻でよくぞ散華(戦死を美化して表現する大日本帝国時代の言葉ですが、元は仏教の用語)した、と褒められたいと思うだろうか。
 かわいそうに、と涙を流して欲しいと思うだろうか。
 それとも、自分がなぜそのような死を受け入れざるを得なくなったのか、その理由と構造をとことん究明して欲しい、と頼むだろうか。
 考え方は人それぞれだと思いますが、私は、三番目ではないかと感じました。
 それが、今この本を書いている大きな理由の一つです。

 あたらためて、特攻で若い命を落とした若者の思いの三択

 ①よく散華したと褒められたいか
 ②かわいそうにと涙を流して欲しいか
 ③なぜそんな死を受け入れざるを得なかったのかを究明して欲しい

 若者たちの立場でというよりも、著者や、著者と同じように、特攻という異質な「死」への大いなる疑問を抱く者なら、③を選ぶだろう。

 それは、著者のように、知覧や鹿屋の記念館を訪れたのなら、なお一層、その思いを強くするだろうと察する。

 例えば、「知覧特攻平和会館」のサイトの「特攻を知る」というページに、このような説明がある。 
「知覧特攻平和会館」サイトの該当ページ

特攻作戦に至る経緯

 第二次世界大戦は、1941年(昭和16年)12月8日、ハワイの オアフ島真珠湾にあるアメリカ海軍基地への奇襲攻撃によって開始されました。 日本の陸・海軍主力は、真珠湾攻撃の後、東南アジアに進攻しました。先に述べたように、当時東南アジアのほとんどの国々が欧米列強の植民地となっており、現地守備隊しか残っていなかったこともあって、奇襲攻撃が成功し瞬く間にオーストラリア北側の線まで進出しました。

 ところが、1942年(昭和17年)8月になるとアメリカを中心とする連合軍が態勢を回復し反撃に転じました。その後の日本軍は連合軍の強大な戦力に押され防戦一方になり、開戦から3年後の1945年(昭和20年)初頭になると、沖縄はもちろん日本本土も空襲を受けるようになりました。特に1945年(昭和20年)5月7日、同盟国であったドイツが降伏すると、連合軍の攻勢は日本だけに集中するようになり、日本全土が苦戦を強いられるようになったのです。

 当時、日本政府は沖縄を本土の最前線と考えていましたので、その最前線を守るために採られたのが、特攻作戦でした。

 この段階では、圧倒的な物的戦闘力に勝るアメリカの進攻を阻止する日本軍としては、兵士一人一人の精神力を武器とした特攻戦法しか他に手段がないとの結論に達したのでした。

 つまり、日本の軍人が命を懸けた特攻を重ねることで、アメリカ軍にも大きな被害を与え、そうなると嫌戦気運(戦争を嫌がる気持ち)が広がっていき、お互いに損害を出したくないから、そのうち停戦になるのではないか・・・という期待を、政府はしていたのではないでしょうか。

 肝腎な部分を再確認。

 “この段階では、圧倒的な物的戦闘力に勝るアメリカの進攻を阻止する日本軍としては、兵士一人一人の精神力を武器とした特攻戦法しか他に手段がないとの結論に達したのでした”

 この文章には、主語がない。
 いったい、誰が、そんな結論に達したのか?

 次の文章も、実に不思議だ。

 “日本の軍人が命を懸けた特攻を重ねることで、アメリカ軍にも大きな被害を与え、そうなると嫌戦気運(戦争を嫌がる気持ち)が広がっていき、お互いに損害を出したくないから、そのうち停戦になるのではないか・・・という期待を、政府はしていたのではないでしょうか”

 特攻によりアメリカに嫌戦気運が広がり停戦になる・・・なんてことを、当時の日本政府が考えていたとは、到底思えない。

 知覧には行ったことがない。
 しかし、こういった文章を読めば、その記念館が発するメッセージが、あの戦争を客観的な視点に立っているのではないことは、察することができる。

 上述した三択の中で、記念館が来場者に意図することは、若者たちに「よく散華した」と褒めるか、あるいは、かわいそうにと涙を流して欲しいのかもしれない。

 しかし、決して、なぜそのような死を受け入れざるを得なかったかを究明する、という施設ではないだろう。
 
 そのことについては、もちろん、著者も実際に見学した上で指摘している。
 その内容は、次回。


 一昨日のNHK「日曜討論」で自民党の茂木幹事長が、とんでもないことを言ったことが、ネットでも話題になっている。

 茂木は、消費税減税をしたら年金が三割カットになる、と国民を恫喝した。

 大ウソつきである。

 拙ブログ昨年10月19日に、消費税が社会保障に使われているという嘘について書いた記事が、参院選公示後にアクセスが増えていたが、昨日は茂木発言も影響したのか、アクセス数トップだった。
2021年10月19日のブログ

 
 昨年の記事では「全国商工団体連合会」のサイトの「全国商工新聞」から表やグラフを引用した。
全国商工団体連合会サイトの該当ページ

 あらためて、消費税導入前と導入後の社会保障について確認しよう。

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 消費税が導入されて、その結果が、これなのだ。

 消費税は社会保障に使われていると平然と言い切る人間は、何を根拠にしているのか。

 茂木幹事長の暴言について、メディアは、その発言をそのまま紹介するのではなく、事実やデータを元に批判すべきではないか。

 そうそう、思い出した。
 NHKニュースで、参院選候補者への改憲についてのアンケートに関して、自民党案の緊急事態条項が発令されるのが「大災害など」とだけしか言わなかったのは、まったく腹立たしい。


 これ以上書くと何の記事か分からなくなるので、これ位にしておこう。

Commented at 2022-06-29 10:17
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by kogotokoubei at 2022-06-29 11:24
>鍵コメさんへ

もちろん結構ですよ。
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by kogotokoubei | 2022-06-28 21:09 | 今週の一冊、あるいは二冊。 | Trackback | Comments(2)

あっちに行ったりこっちに来たり、いろんなことを書きなぐっております。


by 小言幸兵衛