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国谷裕子著『キャスターという仕事』より(4)

 バイデン米大統領が初来日し、日本政府もメディアも、歓迎ムードに溢れている、ような気がする。

 会談において岸田総理は、さらに、アメリカの兵器を購入することを約束したようだ。

 日本のマスメディアは、防衛費(軍事費)の拡大について、どう論評するのだろう。
 批判的な記事がそう多くはありそうな気がしないのである。
 
 核の傘による抑止力を含む日米同盟の強化・・・なんだ、「拡大抑止」って。
 沖縄の基地問題が改善されることは、なさそうだ。
 いや、今まで以上に、日本の米軍基地には、危険な武器が投入されることになるのだろう。

 バイデン大統領から、「改革された国連安保理」において、日本が常任理事国になることを支持するとの表明があったと、と岸田総理が語った。

 安保理の常任理事国は、現在、中国・フランス・ロシア・イギリス、そして、アメリカ。

 「改革された国連安保理」とは、中国とロシアを除いた上で、日本が代りに常任理事高入りする、ということなのだろう。

 そして、日米豪印四か国「QUAD」や、「インド太平洋地域枠組み(IPEF)」という、新たなアメリカ主導のグループ作りに、日本は巻き込まれていこうとしている。

 中国への脅威を共有する、ということのようだが、それって、喜べることなの・・・・・・。
 台湾有事で、軍事介入するとまで言ったが、そうなると、どこから爆撃機が飛ぶのか。

 今年11月で、満80歳のバイデンの、加齢による失言だとしても、そういう人物がアメリカのリーダーであることは、実に危険なことだ。

 日本は、独立国家のはずが、その老大統領が率いるアメリカへの隷属を、一層強めようとしていると言えるのではないか。

 アメリカの眼鏡で見ると、例えば、ロシアを一方的に非難することになる。

 しかし、ロシアからは、アメリカが、大嘘つきに見える。

 そういったことも、この本から確認することができる。

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国谷裕子著『キャスターという仕事』(岩波新書)

 国谷裕子(くにや ひろこ)著『キャスターという仕事』から四回目。
 本書は、2017年1月に岩波新書から発行された。

 目次。
 □第1章 ハルバースタムの警告
 □第2章 自分へのリベンジ
 □第3章 クローズアップ現代
 □第4章 キャスターの役割
 □第5章 試写という役割
 □第6章 前説とゲストトーク
 □第7章 インタビューの仕事
 □第8章 問い続けること
 □第9章 失った信頼
 □第10章 変わりゆく時代のなかで
 □終 章 クローズアップ現代の23年を終えて

 前回に続き、第2章から、国谷裕子というキャスター誕生前夜をご紹介しようと思っていたが、少し先の「第10章 変わりゆく時代のなかで」から引用したい。

 他のニュース記事の引用なども含め、長くなることを、あらかじめお断りしておく。

 まず、ある紛争の解決を目指した歴史上の人物について、本書から。

 進まない中東和平

 <クローズアップ現代>がスタートした1993年の9月、イスラエルとパレスチナが歴史的な和解をし、ホワイトハウスの前でイスラエルのラビン首相と、パレスチナ解放機構(PLO)のアラファト議長が握手をした。互いの存在を認めてこなかった両者が初めてお互いを認め和平に向けて動き出したのだ。

 1993年の合意はノルウェーが仲介し、会議の場所から「オスロ合意」と呼ばれる。

 ちなみに、当時のアメリカ合衆国大統領は、クリントン。
 
 クローズアップ現代は、この合意について、1993年9月14日に「46年目の和解」という題で放送している。

 しかし、和解は、そんなに生易しいものではなかった。

 それから7年後、国谷さんにとって、忘れられない、あの人物とのインタビューがあった。

 2000年8月21日放送の「合意か決裂か~アラファト議長単独インタビュー」である。

 アラファト議長の来日は、その前月の7月に行われたアメリカのキャンプ・デイビッドでの和平交渉の結果を日本政府に直接、説明するためとされていた。アラファト議長来日の直前には、イスラエルのペレス元首相が、バラック首相の特使として来日しており、両者は国際社会へのアピールを競い合っていたのだ。

 
 1993年のオスロ合意以降の中東問題の経緯を、BBCニュースのサイトを元に、確認する。
BBC.comの該当記事

□1993年9月:オスロ合意。ノルウェーの仲介で成立した、パレスチナとイスラエルの和平に関する合意。イスラエルとパレスチナ解放機構(PLO)は、パレスチナ暫定自治政府の発足、最終地位協定の発効に向けた交渉の継続など、和平交渉の枠組みに合意した。これにもとづき約20年間、和平交渉が続いたが、交渉の中断と関係悪化に至った

□2000年9月~2005年2月:第2次インティファーダ(イスラエルの占領に対するパレスチナ人の抗議運動)

□2014年4月:イスラエルとパレスチナの直接交渉、関係悪化で破綻

□2017年12月:トランプ米大統領、エルサレムをイスラエルの首都として認めると発表。パレスチナ自治政府はトランプ政権との外交関係を断つ

□2019年11月:トランプ米政権、イスラエル占領地区の入植地について、国際法違反とは認めないと方針転換。国際社会の多数意見と異なる見解を示す


 2000年8月のアラファト議長来日時のインタビューは、民放とNHKが競っていた。

 夏期休暇中の関西の実家から急いで東京に戻り、帝国ホテルの部屋で待機していた国谷さん。

 ホテルで待機して2時間半、午後9時半過ぎ、デスクが部屋に飛び込んできた。「NHKオンリーになった。あと10分でここに来る」。
 単独インタビューはこうして議長サイドとの直接交渉で実現することになり、アラファト議長は本当に10分後に私たちのいる1585号室に姿を現した。
 イスラエルとの和平交渉の最大の対立点は、聖地エルサレムの帰属問題であり、アラファト議長に妥協の余地はないのかが焦点となっていた。

国谷「この他の問題で合意して、東エルサレム問題を棚上げすることは考えられませんか。」
アラファト議長「できません。私は裏切り者にななれません。アラブ人、イスラム教徒、キリスト教徒を裏切ることはできないのです。」

 何らかの合意に達するために東エルサレム問題での妥協が求められていることをアラファト議長は十分に承知しているはずだが、エルサレムは首都としてパレスチナに完全に帰属すべきとの主張に終始した。
 長い歴史を持つ中東和平交渉は1993年のオスロ合意で大きく前進し、パレスチナは自治政府として成立した。そのときのイスラエル側の代表がイツハク・ラビン首相だった。ラビン首相とアラファト議長は94年のノーベル平和賞を受賞している。しかしラビン首相は、翌年、パレスチナ和平に反対する青年の銃撃で死亡し、和平はまたしてもその前進を止めた。

国谷「もし、ラビン首相がいまドアを開けて入ってきたら、彼になんと言いますか。」
アラファト議長「ラビンが? 私は彼が平和のために命を失ったことを決して忘れません。もし、彼がここにいたら、私はこの聖なる土地に平和をもたらすよう、これからも力を尽くしていきます。そしてあなたと結んだ合意を尊重していきます。そう、彼に語るでしょう。」

 中東和平は20世紀の合意はおろか、その後も激しい衝突を繰り返すなか、ヤーセル・アラファト氏は2004年に亡くなっている。

 オスロ合意の時のイスラエル外相で、ラビン、アラファトと共にノーベル平和賞を受賞し、後に首相になったシモン・ペレスも、2016年に亡くなり、いまだに、中東和平は実現していない。

 しかし、仲介したノルウェーの存在や、紛争解決を目指したアラファト、ラビン、ペレスといった人物のことは、忘れてはならないと思う。


 では、今の地政学上の最大の問題に関わることについて。

 「クローズアップ現代」では、モスクワからの特別番組を放送したことがある。

 逆戻りする世界

 国際政治の構図の変化の大きさを肌で感じる機会となったのがベルリンの壁崩壊から25年のタイミングで放送した2本シリーズだった。2014年11月5日と6日に連続してベルリンとモスクワから番組を放送した。かつて壁のあったベルリンからは「岐路の立つEU」、そしてモスクワからは「新たな冷戦は避けられるか」。タイトルからもわかるように、<クローズアップ現代>が始まったころ、理想に向かって走っていたEU(ヨーロッパ連合)は加盟国の間に広がった経済格差で軋轢が生まれ、EUに不信感を募らせる政党が支持を広げる事態となっている。またロシアとEU、ロシアとアメリカの関係も冷戦後最悪と言われ、プーチン大統領はアメリカに対する不信感を隠そうとせず、信頼や経済的なつながりを傷つけても安全保障上の利益を優先する姿勢をとるようになっていた。
 ロシアはいったいなぜアメリカに対してそれほど強い不信感を持つようになったのか、セルゲイ・ナルイシキン連邦議会下院議長に尋ねた。「ドイツ統一を認める条件としてNATOは拡大しない約束だった。今や旧ソビエト圏にまで拡大したNATOに脅威を感じる。それがヨーロッパの安全を脅かしている」とロシアの実力者は語った。
 各国でナショナリズムが台頭し、内向きで自国中中心主義的な傾向が強まるなか、それに翻弄されず国際関係の安定に向けてリーダーシップをとれる人が果たしているのだろうか。日本国内にいてはなかなか感じることが出来ない欧米とロシアの深い亀裂を目の当たりにして、地政学の時代に逆戻りしたように感じた。

 ロシアのウクライナ侵攻は、遠い日本にいると、突然始まったかのような印象を受けるが、実は、その兆候は、ずっと存在していた。

 プーチンのロシアにとって、旧ソビエト圏にまでNATOが拡大することが大きな脅威であったことは、事実だろう。
 ドイツ統一に際する約束を反故にしたアメリカは、ロシアからは大ウソつきなのである。

 当時の連邦議会下院議長のナルイシキンは、このインタビューから一ヵ月後、2014年12月に、アメリカによる広島、長崎への原爆投下について言及していた。
 J-CASTニュースの該当記事から引用。
J-CASTニュースの該当記事
米国の原爆投下は「人道に対する罪」 ロシア下院議長、唐突に検証求める
2014年12月26日18時46分

 広島と長崎に対する原爆投下をめぐり、ロシアで検証を求める動きが起きている。原爆投下は「人道に対する罪」で、「法的な評価」が必要だというのだ。
2015年が第二次世界大戦終結70年の節目にあたるというのがその理由だ。それでも唐突感は否めず、クリミア半島問題で冷え切った米ロ関係が影を落としているとの見方も出ている。

「人道に対する罪には時効はない」と「法的評価」求める
 下院議長の発言は国営イタル・タス通信が伝えた
発言の主は、セルゲイ・ナルイシキン下院議長。国営イタル・タス通信によると、2014年12月25日に行われたロシア歴史学会の幹部会で、2015年がニュルンベルグ裁判と原爆投下から70年目にあたることを指摘し、原爆投下については「法的評価」が必要だと述べた。

「この問題を弁護士や国際法の専門家と議論すべきだ。人道に対する罪には時効はないからだ」
ナルイシキン氏は原爆投下には軍事的合理性がないとみており、それが検証を求める理由になっているようだ。

「軍事的観点からは、2つの平和な都市に爆撃した理由はまったく説明されていない、というのが一般的な理解だ。2つの平和な都市への爆撃には恐ろしい特徴があり、数十万人もの丸腰の市民の命を奪った」

米紙は「歴史修正主義」を警戒
こうした動きには、すでに米国から警戒する声が出ている。例えばロサンゼルス・タイムズはナルイシキン氏の発言をモスクワ発で報じる中で、ロシアの国会議員の中で歴史の見直しが相次いでいることを指摘している。具体的には、アフガニスタン侵攻を非難したソ連議会(当時)の1989年の声明を見直したり、クリミア州をロシアからウクライナ・ソビエト社会主義共和国に移管する1954年決定を無効にするように求めたりする動きだ。
ロサンゼルス・タイムズでは、こうした動きの背景には米ロ関係の悪化があり、
「歴史を書き換えようとする動きは、全体主義的なソ連の共産主義時代の特徴だと警告する人もいる」
と指摘している。

 住民投票という形式上の手続きを経て、プーチンがクリミアの独立、ロシアへの併合を宣言したのは、2014年3月17日。
 西側諸国がロシアを批判することへの対抗措置として、アメリカの原爆投下を持ち出したということは明白だが、日本人は、原爆投下が「人道に対する罪」であるという指摘については、ロシアの言い分を肯定できるのではなかろうか。

 子供の喧嘩や夫婦喧嘩とは同様に語れないが、どちらにも、言い分がある。

 国谷さんが、“日本国内にいてはなかなか感じることが出来ない欧米とロシアの深い亀裂”を伝えることができたのは、ロシア側の言い分を聞きだしたからである。

 それは、同盟国アメリカについてマスメディアでの批判的な報道がほとんどない日本にいては、なかなか分からないことだ。

 決して、ロシアを擁護しようとは思わない。

 しかし、アメリカおよびNATO側だけを、無批判に肩入れすることも、誤りなのだと思う。

 
 今、バイデン大統領が初来日で、日本は、防衛費(軍事費)拡大により、アメリカから大量の武器を購入することを約束する。

 しかし、その日本の判断や行為が、ロシアからはどう見られているのか、という視点も、忘れてはならないだろう。
 

 2014年当時に連邦議会下院議長だったセルゲイ・ナルイシキンは、現在は、対外情報局(SVR)長官。

 ロシア第2の都市サンクトペテルブルクが、まだレニングラードと呼ばれていた1970年代から、プーチンに忠誠を尽くしてきた3人のうちの1人で、「レニングラードの亡霊」などとも言われている。

 今回のウクライナ侵攻に関わるニュースでは、侵攻3日前の2022年2月21日に、プーチン大統領が招集した安全保障会議での映像が印象的だった。
 プーチンから、ウクライナ東部の親ロシア地域の独立承認について意見を求められた際に回答に逡巡し、プーチンから「はっきり答えて」と問い詰められると、ナルイシキンは気が動転したのか、「独立承認」を「ロシア編入」と間違えて答え、プーチンから「そんな話はしていない」と苦言を呈された場面が国営メディアで公開され、海外にもその映像はネットを含めて広く伝わった。

 あの会議は長時間にわたるもので編集された上で国営テレビで放送された。ということは、あの映像が流れたということは、なんとも情けないナルイシキンの様子を、あえて視聴者に見せようという意図が、プーチンにあった、と察することができる。

 このナルイシキンが、なんとかプーチンの暴走を止めることができるのではないか、という推測、あるいは期待の声もあるようだ。

 また、他にも様々な憶測で溢れている。

 プーチンのブレーンは、レニングラード時代からの盟友であるナルイシキン、ニコライ・パトルシェフ安全保障会議書記、そして、アレクサンドル・ボルトニコフ連邦保安局(FSB)長官、そして、セルゲイ・ショイグ国防相の四人と言われている。

 ショイグは、「GRU」(ロシア連邦軍参謀本部情報総局)のトップであり、このGRUはSVRやFSBと違ってプーチンへの報告義務がなく、彼がクーデターを画策しているのではないか、という声もある。

 プーチンの体調に関する、さまざまな憶測も流れている。

 今後のロシアに、何が起ころうとしているのかは、推測の域を出ない。

 確実に言えることは、その危険性があったにも関わらず、アメリカとNATOが勢力を拡大してきたことが、ロシアのウクライナ侵攻の呼び水になった、ということだ。


 国谷さんが8年前に感じた以上に、この世界は、「地政学の時代」に逆戻りしつつある。

 紹介した国谷さんの文章を、あらためて確認する。

 “各国でナショナリズムが台頭し、内向きで自国中中心主義的な傾向が強まるなか、それに翻弄されず国際関係の安定に向けてリーダーシップをとれる人が果たしているのだろうか”

 これは、そういうリーダーシップをとれる人が必要だ、という祈りでもあるだろう。

 アラファト議長や、ラビン首相をイメージした言葉だったのかもしれない。
 

 叶わぬ夢とは思うが、その名の通りの「中立」な立場で、日本が平和に貢献することはできないのだろうか。

 例えば、ロシアとウクライナ問題の解決のために、日本が仲介し、「京都合意」ができたら、などと、夢想してしまうのである。

 そして、日中の友好関係を再構築し、日本でしかできない、国政平和のための役割を果たすことを、なぜ、目指さないのか。

 そう思う日本人も、決して少なくないと思うし、それこそが、日本が選択すべき道だと私は思う。

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by kogotokoubei | 2022-05-23 20:47 | 今週の一冊、あるいは二冊。 | Trackback | Comments(0)

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