国谷裕子著『キャスターという仕事』より(1)
2022年 05月 18日

国谷裕子著『キャスターという仕事』(岩波新書)
国谷裕子(くにや ひろこ)著『キャスターという仕事』から一回目。
本書は、2017年1月に岩波新書から発行された。
上のリンク先は、岩波書店の本書のページ。
そのページにある「読者のみなさんへ」に、著者はこう記している。
番組を離れて10か月が経ち,〈クローズアップ現代〉に自分なりの区切りをつけたいと思いました.私には,次に向かって進むために,番組とともに過ごしてきた時間を整理することが必要だったのです.番組との出会いと別れ.キャスターの仕事とは何かと悩んだ日々.記憶に残るインタビューの数々.そしてテレビの報道番組が抱える難しさと危うさ.偶然のようにしてキャスターになり,大きな挫折も経験し,そのことへのリベンジとしてキャスターをやめられなくなった私.番組を制作する人々の熱い思いに突き動かされながら,様々な問いを出し続けてきました.この本は,言葉の力を信じて,キャスターという仕事とは何かを模索してきた旅の記録です.
目次。
□第1章 ハルバースタムの警告
□第2章 自分へのリベンジ
□第3章 クローズアップ現代
□第4章 キャスターの役割
□第5章 試写という役割
□第6章 前説とゲストトーク
□第7章 インタビューの仕事
□第8章 問い続けること
□第9章 失った信頼
□第10章 変わりゆく時代のなかで
□終 章 クローズアップ現代の23年を終えて
前の記事で紹介したインタビューのある章から始めたい。
「第8章 問い続けること」の冒頭から。
アメリカのジャーナリズムとテッド・コペル
アメリカがベトナム戦争で敗北した1975年、私はアメリカで大学生活を始めた。ベトナム戦争はテレビによって生々しく報道された初めての戦争であり、テレビでの報道が終結の一翼を担ったとされている。加えて、国防総省がベトナム戦争を分析した秘密文書ペンタゴン・ペーパーズをニューヨークタイムズが掲載し、ワシントンポストもウォーターゲート事件をスクープ、ニクソン大統領を辞任に追い込んでいた。
このようなメディアに対する市民の信頼は厚く、この頃のジャーナリズムには意気揚々とした空気が満ち満ちていたように思う。ペンタゴン・ペーパーズの掲載に対し司法省は「国家の安全保障に関する問題である」として、ニューヨークタイムズに連載の差し止めを命じた。しかし、連邦最高裁は言論の自由を最優先し、政府には秘密報告書を差し止めることは出来ないとした。判決のなかで連邦最高裁のブラック判事は「自由かつ制限のない報道のみが政府の欺瞞を白日の下にさらすことが出来る」と述べている。ジャーナリズムが健全に機能したことで、ようやくベトナム戦争に終止符が打てたという認識が社会全体に広がっていた。そうしたアメリカの空気を肌で感じながら、私は学生生活を送った。
ペンタゴン・ペーパーズは、2017年に、監督スティーヴン・スピルバーグ、メリル・ストリープ、トム・ハンクスらの出演で映画化された。しかし、舞台は、ニューヨークタイムズによるスクープの後に秘密文書掲載に踏み切ったワシントン・ポスト。
ペンタゴン・ペーパーズに関する連邦最高裁の判決は、日本における、沖縄返還密約に関する西山事件の最高裁の判決と、あまりに対照的だ。
かたや、「自由かつ制限のない報道のみが政府の欺瞞を白日の下にさらすことが出来る」というアメリカと、行政機関が存在しないと主張する文書について「開示の請求者側に存在を立証する責任がある」と判断した日本の最高裁。
すでにペンタゴン・ペーパーズは、2011年に、7000ページ全文が公開されている。
沖縄返還交渉に関する日本の秘密文書が、公開されるのは、果たしていつのことなのだろう。
やみくもにアメリカを礼賛するつもりはないが、国谷裕子という女子学生は、新聞記者を目指していた私が関西の地で学生だったのと同じ頃、もっともジャーナリズムが輝いていたアメリカで、キャンパスライフを送っていたようだ。
そして、時代は、80年代へ。
1980年代、テレビは次第に衛星中継を通して世界中の人と生(ライブ)でつながることが出来るようになっていた。テッド・コペルがアンカーを務めるABCの<ナイトライン>は毎日、その日のテーマに関わる当事者や専門家などと結び、コペルによるインタビューを中心に構成されていた。相反する立場の人たちが画面を通して議論しており、私は毎回、当事者が生放送で語る言葉に聞き入っていた。
コペルは、短い時間のうちに複数のゲストに対して的確な質問を投げかけ、相手がはぐらかしたり、自分の言いたいことだけを答えると実に巧みに割り込み、質問に真正面から答えるよう促す。誰に対してもコペルの距離感は均等で、それぞれの出演者への質問がとてもフェアな姿勢で貫かれていると感じさせてくれた。
この後、ナイトラインは、ネルソン・マンデラ釈放五年前、アパルトヘイト撤廃の10年ほど前の1985年に、南アフリカから五日間連続の放送をしたことが紹介されている。
コペルのインタビューの相手は、アパルトヘイト撤廃運動の黒人指導者のツツ主教と、白人で南アフリカ政府のスポークスマンのボタ外相。
言葉を交わしたこともない二人を<ナイトライン>は出演させ、コペルが実質的に仲介しながら二人は初めて対話することになった。二人が互いに挨拶をするかどうか、コペルは息をのんで見守った。
ツツ主教「こんばんは。」
コペル「外相こんばんは。」
ボタ外相「こんばんは。」
コペル「外相、主教に挨拶をお願いします。」
沈黙。五秒ほどたってからー
ボタ外相「主教、こんばんか・」
ツツ主教「外相、こんばんは。いかがですか?」
この対話において、両者は互いに変わらなくてはならないことを認め合った。
テレビでの二人のディベートは大きなニュースとして伝えられた。政治、外交の世界で行われたことのなかった黒人指導者と政府代表との公けの対話が、両者を中継で結んだテレビが実現した意味は大きかった。
コペルは1998年に出した著書で、この放送が本当に南アフリカにとって良いことなのだろうか、そして生放送で二人が本当に対話してくれるのだろうかとても心配し緊張していたと書いている。テレビジャーナリズムが、対立する当事者たちについてより深く理解するきっかけを作り、またそれがインタビューという手段で実現したことは、テレビと言葉が持つ大きな可能性を示してくれた。
ツツ主教は、その後大主教となり、昨年暮れ、90歳で亡くなった。
1984年に、ノーベル平和賞を受賞している。
昨年亡くなってすぐに、Newsweekが、特集を組み、数々の名言を紹介している。
「Newsweek」サイトの該当ページ
もっとも有名な言葉を引用。
「不当なことが起きているときに中立を主張することは、抑圧する側を選んだということだ。象がネズミの尻尾を踏んづけているときに、あなたが中立だと言っても、ネズミはあなたが中立だとは決して思わないだろう」(オックスフォード・リファレンスより)
この言葉は、朝日新聞から北海道新聞に移り、長らくコラム「卓上四季」を担当した須田禎一さんの次の言葉を思い出させる。以前もご紹介したことのある『ペンの自由を支えるために』からの引用。
2020年9月3日のブログ
報道の中正、主張の公正、ということは、右と左との算術的中間、ああでもないこうでもないの曖昧性を意味するものであってはならない。また惰性的な生活意識に基づく“社会通念”の上に寝そべるものであってはならない。侵略者の暴力と被侵略者の暴力とが対峙するとき、被侵略者の側に立って報道することこそが、中正で公正なのだ。
今の日本は、ウクライナ、そして、アフガニスタン、ミャンマーといった国、地域の状況に対して、いったい、どんな立ち位置にあるのか。
「中立」という名の、まやかしの立場にいることが、ツツ元大主教や須田禎一さんの言葉から明らかではなかろうか。
敵対する当事者同士の対話を実現させたテッド・コペルの仕事は、その後の国谷裕子キャスター誕生に、大きく影響したと言えるだろう。
さて、次回は、少し前の章からご紹介予定。
飲食店のアルバイト、昨日は夕方からラストまで、そして、今日は昼間のシフト。
帰宅し、ユウの散歩に行ってから、この記事を書いた。
足腰が、少しだるい。
しかし、もうじき連れ合いが戻り、夕食で飲むビールが楽しみでならない。
肴が何かは、私には不明(^^)
