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忘れてはならない、沖縄返還密約問題。

 明日、沖縄返還から50周年になる。

 さまざまなメディアが取り上げてはいるが、同じ50年前の、あの「密約」問題については、私の知る限り、あまり触れていないように思う。

 今の沖縄の不幸につながる密約があった事実を、埋没させてはいけないと思う。

 この記事、引用が多く長くなるのを、あらかじめお断りしておく。


 現在は更新が止まっている、兄弟ブログ「幸兵衛の小言」の古い記事と重複するが、ご容赦のほどを。

 2015年3月、密約があったことを後年証言した、元外務官僚吉野文六さんの訃報に接して書いた記事を、あらためて紹介したい。

 当時の共同通信「47NEWS」から引用。

沖縄密約認めた吉野文六氏が死去 元外務官僚

 1972年の沖縄返還をめぐる日米間の密約を政府関係者として初めて証言した元外務省アメリカ局長の吉野文六(よしの・ぶんろく)氏が29日午前9時10分、肺炎のため横浜市の自宅で死去した。96歳。長野県出身。葬儀・告別式は近親者のみで行う。喪主は長男豊(ゆたか)氏。

 東京帝国大法学部在学中、41年外務省に入省。駐米公使などを経て、71年1月~72年6月に外務省アメリカ局長を務め、米国との沖縄返還交渉を担当した。その後、外務審議官や駐西独大使を歴任。退官後は国際経済研究所の理事長を務めた。

2015/03/31 10:18 【共同通信】

 
 元毎日新聞記者の西山太吉さんが、まさに冤罪で罰せられた沖縄密約事件において、重要な証言をした人だ。

 吉野さんが、どのように真実を明らかにしたのか、北海道新聞の引用。

 2006年の北海道新聞の記事から。(太字は管理人)

2006/02/08(水)朝刊
1971年 沖縄返還協定 「米との密約あった」
佐藤首相判断で400万ドル肩代わり 外務省元局長が認める

 沖縄の祖国復帰の見返りに、本来米国が支払うべき土地の復元費用を、日本が肩代わりしたのではないかとされる一九七一年署名の沖縄返還協定について、当時、外務省アメリカ局長として対米交渉にあたった吉野文六氏(87)=横浜市在住=は、七日までの北海道新聞の取材に「復元費用四百万ドル(当時の換算で約十億円)は、日本が肩代わりしたものだ」と政府関係者として初めて日本の負担を認めた。

 この肩代わり問題は外務省密約事件として知られ、警視庁が当時の毎日新聞記者西山太吉氏(74)を逮捕、国民の知る権利をめぐる論議になった。

 四百万ドルは、米国が軍用などに接収していた土地を、元の田畑などに戻すための費用。「米国が自発的に払う」と同協定四条で決めた。一方、七条は、沖縄にあるとされる核兵器の撤去や、米国資産の買い取りのため日本が米国に三億二千万ドル払うと決めており、西山氏らは電文などをもとに「三億二千万ドルの中に四百万ドルが含まれている」と主張してきた。

  吉野氏は「当時のことはあまりよく覚えていない」と断った上で「国際法上、米国が払うのが当然なのに、払わないと言われ驚いた。当時、米国はドル危機で、議会に沖縄返還では金を一切使わないことを約束していた背景があった。交渉は難航し、行き詰まる恐れもあったため、沖縄が返るなら四百万ドルも日本側が払いましょう、となった。当時の佐藤栄作首相の判断」と述べた。

 また、日本政府が、円と交換して得た返還前の通貨、米ドルを無利子で米国に預託し、自由に使わせたことも明らかにした。金額には言及しなかったが、米側文書によると、連邦準備銀行に二十五年間無利子で預け、利息を含め計算上約一億千二百万ドルの便宜を与えたとみられる。

 これらの肩代わりや負担は、これまでマスコミや沖縄の我部政明琉球大教授(国際政治)が、米国の情報公開法で米側外交文書を入手し、指摘してきた。しかし、日本政府は否定し続け、情報公開もしていない。外務省は「現在、西山氏から当時の報道は正しかったと謝罪を求める裁判を起こされており、コメントできない」としている。

 我部教授は「証言が正しければ、米側外交文書を裏付けたことになる。日本政府は負担を三億二千万ドルと言っているが、米側文書によるとこのほか、基地の施設改善移転費などが七千五百万ドルあり、現在の巨額の思いやり予算につながっている。政府はきちんと説明すべきだ」と話している。

 こういう証言があったにもかかわらずの、2014年7月、最高裁第二小法廷(千葉勝美裁判長)は、西山太吉さんら原告側の逆転敗訴とした二審判決を支持し、上告を棄却し、西山さんらの敗訴が確定した。

 行政機関が存在しないと主張する文書について「開示の請求者側に存在を立証する責任がある」との初判断を示した、裁判官四人の全員一致の意見は、どう考えても政府の強い意向に沿ったものだろう。

 「臭いものに蓋」なのである。過去の歴史は、為政者によって、どうにでも作り変えられる。

 辺野古にしても、将来は政府側の暴挙を正当化するために、歴史を捏造しようとするだろう。


 当時の北海道新聞から、吉野文六さんの言葉を続ける。

 「西山さんの言ってることは正しい」

 吉野文六元外務省アメリカ局長は、続けてこう言って苦笑した。

  「だから機密扱いなんです」

 一九七二年、国会で横路孝弘衆院議員(現副議長)から「沖縄返還には密約がある」と追及された。証拠の外務省機密電文のコピーを持っているというので、電文の原本を持ち、国会内の小部屋で見せ合った。本物だった。

 秘話がある。吉野さんは、横路氏と見せ合う前に、総裁派閥佐藤派の実力者二人に相談した。そして二人の言葉に驚く。「おまえ、何言ってるんだ。外務省の電報なんて前からおれたちのところにもこんなに来ているぞ」

 政府与党は一体だから外務省が実力者に情報提供することはあるだろう。だが、もし、別ルートの情報流出が常時あったとすると、問題の様相はまったく異なってくる。
二人は故人となり、真相はやぶの中だ。

 電文を見せ合った直後、警視庁は、外務省女性職員が毎日新聞の西山太吉記者に国家機密を漏らしたとして、二人を国家公務員法違反の疑いで逮捕する。吉野さんは西山さんをよく知っていた。

 「新聞記者なら機密を書くのが本能でしょうから、西山さんのやったことは仕方がない。でも、交渉の最中に機密の話が漏れると、相手から信頼されなくなる。米国側から苦情を言われたわけではないですよ。だが、過程を明かさないのは外交の常識。西山さんの書いたことが真実かどうかという問題と、機密漏えいを司法が罰するかどうかは別問題です」

 事件で、毎日新聞を退社、現在北九州市に住む西山さんは反論する。

  「機密は権力の都合のいいよう、時には秘匿され、時には世論誘導のため漏らされる。外務省の立場には何ら拘束されず、新聞は過程を報道しなければならない」

  昨年「政府はウソをついた。報道は正しかった」と国に謝罪を求める民事訴訟を起こした。怒りは募る。

 「四百万ドルを肩代わりしたという吉野さんの言葉が本当だとすると、私の主張を事実上認めたことになる。米国の情報公開文書も正しかったということだ。先進国なら二、三十年もたてば公文書を公開する。日本はなぜしない」

 問題は四百万ドルにとどまらない。協定七条で日本側が負担する三億二千万ドルの内訳は、水道、電気など米国が造った資産の買取費一億七千五百万ドル、沖縄に貯蔵されていたとされる核兵器撤去費用七千万ドル、人件費増加分七千五百万ドルだ。しかし、吉野さんは言う。

  「はじめ米国が無償で沖縄を返すというので、佐藤首相も無償返還をバーンとぶち上げた。ところが、まず大蔵省が折衝を始めたら、米国はこれだけ日本でもってくれとリストを出してきた。外務省は驚きましたよ。三億二千万ドルだって、核の撤去費用などはもともと積算根拠がない、いわばつかみ金。あんなに金がかかるわけがない。費用を多くすればするほど『核が無くなる』と国民が喜ぶなんていう話も出た。三億二千万ドルの本当の内訳なんて誰も知らないですよ」

 マスコミや琉球大の我部政明教授らが米国の情報公開で調べた日本側の財政負担は、このほかに《1》円と交換した返還前の通貨、米ドルを二十五年無利子で米国に預金(一億千二百万ドル相当)《2》基地施設改善移転費六千五百万ドル《3》労務管理費千万ドル−がある。吉野さんは無利子預金については一部認めたが、他は「よく覚えていない」という。

 現役時代、国会答弁では、知らぬ、存ぜぬを繰り返してきた。だが今「もう年で記憶がない」と言いながら、知られていない背景説明を語り、固有名詞を次々に繰り出す。吉野さんはこうつぶやいた。

  「国会で『記憶にありません』と答弁したら、本当に記憶に無くなる。過去を振り返らないようになります。意識的に忘れようとする。大部分は不愉快なことですから。覚えていることを覚えていないというんだから」 (編集委員 往住嘉文)


 吉野さんは亡くなる前に、貴重な証言をしてくれたにもかかわらず、西山太吉さんの冤罪が晴らされることはなかった。

 今も変わらぬ為政者の横暴であり、沖縄の‘闇’の一つである。

 しかし、吉野さんの証言の貴重性は変わらないし、発言された勇気は、今も賛辞されて良いと思う。

 
 西山さんは、91歳で御存命だ。

 今年4月、時事通信のインタビューの記事が掲載されていた。
 引用したい。
時事ドットコムの該当記事

「私は犠牲者だが勝利者」 元毎日記者の西山さん―沖縄密約、事件から50年
2022年04月04日07時02分

 1971年6月の沖縄返還協定をめぐり、外務省の女性事務官から機密公電を違法に入手したとして、元毎日新聞記者の西山太吉さん(90)が国家公務員法違反容疑で逮捕された事件から4日で50年。西山さんが取材に応じ、「私は犠牲者だが勝利者。負けたのは国家だ」と振り返った。
「沖縄密約」半世紀 90歳の西山太吉さんが語ったこと【news深掘り】

 西山さんは、米軍用地の原状回復費400万ドルを日本政府が肩代わりするとした公電のコピーを入手。これを基に記事を書いたほか、社会党の横路孝弘衆院議員(当時)に渡し、横路議員が国会で追及した。72年4月4日、女性事務官と共に警視庁に逮捕され、78年に最高裁で有罪が確定した。
 交渉の当事者だった吉野文六・元外務省アメリカ局長は裁判で「密約はない」と証言したが、2006年に初めて密約の存在を認め、西山さんらが国に密約文書の開示を求めた訴訟でも同様に証言した。西山さんは、吉野氏に偽証があったとして「私は無罪」と強調。「あれは事件ではない。ないことを作り出した国家犯罪だ」と訴えた。
 議員に渡したコピーから情報源が特定され、女性も逮捕されたことには「記事では情報源を守るために電信文は載せなかった。あのような結果を招いたのは女性が自首したからで、想定していなかった」と悔やんだ。
 コピーを渡したことには「断腸の思いだったが、これは氷山の一角との認識から、国権の最高機関である国会で審議させるべきだと考えた。何も悪いことはしていない」と語った。
 その上で「あの時に取った方法はあれで良かった」と振り返り、「最後までうそをつき通したのが国だ。私は犠牲者だけど勝利者だ。今は赫々(かっかく)たる戦勲だと思っている」と総括した。
 5月で本土復帰50年となる沖縄については「在日米軍基地は日本の防衛ではなく、米国の対中けん制のための基地になっている。日本の沖縄ではなく、米国の沖縄なのが実態だ」と指摘。「共存共栄の日中関係をつくり出せば、沖縄は戦争の島から平和の島に変わる」と持論を語った。


 「戦争の島」なのか、「平和の島」なのか。

 その疑問は、私自身も沖縄を訪れて感じてきたことだ。
 
 私と連れ合いの唯一共通の趣味は、スキューバダイビング、だったと書くべきかな(^^)

 ここ十年以上は、潜っていないからね。

 かつて、盆暮れの休みに、二人で沖縄で潜っていた。
 ライセンスを取ったのも、冬の沖縄だった。
 
 最初に潜った時、まったく別世界を発見した思いがした。
 連れ合いは、肩の凝りが潜るとなくなる、と喜んだ。

 五年ほどは続けて、年に二回、潜りに行ったと思う。

 あの海の素晴らしさは、体験した者にしかわからないだろう。

 そして、あの沖縄に流れる、ゆったりとした時間は、さまざまなストレスから解放してくれる。

 戦争の悲惨さを物語る場所も、ほぼ訪れた。
 
 そして、基地の存在を知ると、なんとも言えない思いを抱いたものだ。

 ここは、平和なリゾート地であるのか、それとも戦争の爪痕が残ったままのアメリカの基地の町なのか。


 土曜の寅さんを今夜も楽しんだが、あのシリーズでは、やはり沖縄が舞台の第25作「ハイビスカスの花」が好きだ。


 あの沖縄に、米軍基地は、まったく必要がない。

 密約をしたことを、後年、佐藤栄作は悔やんでいた、とも言われる。

 吉野さんだって、後から、真実を告げたのである。

 「反省」という文字が、お二人の辞書にはあった、ということだろう。

 残念ながら、その言葉が辞書にない、あの人物のことは、いったん忘れよう。

 国としての過ちが、あの密約だったとも言える。

 現在の国のかじ取りを担う政治家も、今からでも遅くない、過ちを正そうじゃないか。


 50年を期して、真に平和の島に戻るための議論をすべきではないだろうか。

 憲法改正(改悪)など、とんでもないことである。


 メディアは、もっと、あの密約という歴史を報道すべきである。

 なぜ、今の沖縄の状態があるのか。それは、政治の問題だった。

 では、今から政治によって、まだ返還されていない、沖縄という「平和の島」を取り戻さなくてはならないのではないか。

Commented by Ponchi at 2022-05-14 22:32
 50年前の1972年といえば、国内でも様々な出来事があった年でした。
 札幌冬季オリンピック、あさま山荘事件、山陽新幹線新大阪~岡山間開業、大阪千日前デパートビル火災、横井庄一さん帰国、沖縄返還、佐藤栄作首相退陣と田中角栄内閣発足そして日中国交回復、鉄道開業100周年、北陸トンネル列車火災事故等、まだまだあったような気がします。
 私が中学生になった年でもあり、印象に残っています。思い起こすと、明るいニュースだけではなく、悲惨な事件・事故も多かったのだなと改めて感じています。

Commented by kogotokoubei at 2022-05-15 08:29
>Ponchiさんへ

私は高校生でした。
たしかに、何かとあった年ですね。
北海道に住んでいましたので、札幌五輪には行きました。中学生時代に転校した同級生に会ったことを思い出します。

厚木基地を離着陸する飛行機が、時折空の上を通過する場所に住んでいます。
気のせいか、ロシアのウクライナ侵攻以降、発着が増えたように思います。
沖縄の人々の日常を、少しだけわかる気はしますが、こんなもんじゃないでしょうね。
西山さんがおっしゃるように、一日も早く、戦争の島から平和の島になることを祈ります。

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by kogotokoubei | 2022-05-14 21:36 | 事件 | Trackback | Comments(2)

あっちに行ったりこっちに来たり、いろんなことを書きなぐっております。


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