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永井路子著『炎環』より(11)


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永井路子著『炎環』(文春文庫)

 永井路子著『炎環』から、十一回目。

 本書は同人誌掲載後に最後の章を追加して光風社から1964年10月に発行され、その翌年講談社(ロマン・ブックス)、そして、1978年に文春文庫で再刊された。
 1964年下半期第52回直木賞受賞作。

 四人の主人公による四つの章で構成されていて、鎌倉幕府成立前夜以降が、描かれている。
 章の名前と、その主人公は、次の通り。

  悪禅師---全成(頼朝の異母弟の一人)
  黒雪賦---梶原景時
  いもうと---北条政子、義時の妹の保子。全成の妻。
  覇樹---北条義時

 この四人を含む関係図。青い色をつけた四人が各章の主役。

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 引き続き、「覇樹」から、義時について紹介したい。

 NHK大河のお題になっている、「13人」は、いったいどんな状況から生まれたのか。
 頼朝亡き後について、引用。

 頼朝の死があまりに突然だったために、その直後から、鎌倉では死因をめぐって奇妙な噂がたち始めていた。
 義経、義仲、平家の怨霊。
 平家残党の刺客の襲撃。
 不慮の椿事とも言うべき落馬から床についたのだから、こうした噂が流れるのはやむを得ないことだったかもしれない。
 が、時政にとって聞きずてならないのは、
 ーどうやら北条殿も御所の死を願っていたらしい・・・・・・。
 という囁きがひそかに交されていることだった。北条殿は次第に言うことを聞かなくなった頼朝をもてあまし、御台所の生んだ頼家に望みをかけ始めていた、というのである。
 とんでもない話だ! 濡衣だ!
 時政は焦立った。頼朝が死ねば時政は将軍の舅という座からすべり落ちてしまう。それを恐れて、一番頼朝の回復を願っていたのは時政自身だったのだから・・・・・・。
 が下手に弁解すれば、噂好きの御家人たちはさらに薄笑いを泛べて腹の中で言うだろう。
 ーいやいや、時政殿、御所の若者頼家様は、あなたの孫ではござらぬか。
 が、これこそさらにとんでもない話だ。考えてもみるがいい、孫などというものは、煙たい祖父(おじい)と好きな女のい、どちらの言うことをよく聞くものかを・・・・・・。

 永井さんの『源頼朝の世界』巻末の「源氏三代の乳母関係図」を確認。

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 引用を続ける。

 突然時政の前に一人の若い女の顔が泛ぶ。小柄で愛くるしくて、いくらか蓮葉(はすっぱ)な女ー頼家の愛妾、若狭局の顔だ。そしてその顔に重なりあうようにして、髭の濃い赫ら顔の武将の顔が泛ぶ。若狭の父、比企能員(よしかず)である。
 ーむ、田舎侍めが、やりおるわ。
 あらぬ噂をたてておいて、時政を権力の座から外そうとは、髭面め、見かけによらぬ芸の細かさだ。
 比企は武蔵の豪族だ。能員の養母比企の尼は頼朝の乳母で、流謫時代も欠かさず生活の資を送り続けた人だ。その縁で頼家が生れると能員の妻が乳母になり、長ずると早速娘を側室に入れている。
 ー頼家との繫りは俺の方が古い。
 そう思っている能員である。

 この北条と比企の権力闘争の結果、妥協の産物として出来たのが、あの13人の合議制である。

 そして、頼家は、北条にも比企にも等距離を置く状況となり、自らの権力も奪われた。

 これは頼家が訴訟の裁決ができないほど愚かだったからではない。父の頼朝は武家の棟梁とはいいながら、むしろ公家的、京都的な性格が強かった。武家と公家との間に立つ危うさが逆に彼を支えていたともいえよう。草創期の武家社会にはそうした人間も必要だったが、いまは事情が変りつつある。単なる武家の象徴としての将軍家よりも、もっと逞しい土の匂いのする彼等自身の代表者の登場が望まれているのだ。
 が、具体的に比企か北条かということになると複雑な利害がからみあってどうにもならず、とどのつまりが合議制に落着いた。独裁好きな日本人の歴史の中でこれは珍しいことだが、一見合理的にみえるこの制度は彼等の野望の渦が苦しまぎれに生み出したものでしかなかったのだ。
 だから合議制は始まった時から、比企、北条の血なまぐさい相剋を孕んでいた。中原、三善などの吏僚派、下野常陸を押える長老八田知家、相模の軍団を握る三浦義澄、比企と同じく頼家の乳母夫(めのと)である梶原景時など、それぞれの利害を腹に抱えた連中をどう操るか・・・・・・時政が三浦義澄と組んで、義澄の甥和田義盛と並べて四郎を強引にその顔ぶれに押しこんだのはまず成功というべきかもしれない。
 このとき四郎は三十八歳。初めて政局の表面に現れたわけだが、格別意気ごんだ風もなく合議の座でも殆ど発言しなかった。時として議論が沸騰し戦場馴れした地声をはりあげて一座が怒鳴りあったりしても、切れの長い瞳で素早く一人一人の顔を追うだけで黙っている。
 ーしっかりしろ四郎、首を並べているだけでは何もならぬぞ。
 時政は苦りきっている。

 13人の合議制が始まったのは、頼朝が亡くなってから三ヵ月後、建久十(1199)年四月。

 当時の13人のうち、義時と年齢が近いのは、年齢不詳の比企能員を別とすると、和田義盛になるが、それでも、16歳も義時が若い。

 年齢の近い三浦吉村は、三浦一族から義澄、義盛が加わっているため、合議制メンバーに入っていない。

 合議制は一年も持たずに解体している。

 頼朝死後の混沌とした中で、北条と比企との権力闘争の結果に生れた合議制は、いわば、本格的な北条の攻勢が始まる前夜の、あだ花のような存在。

 合議制とはいえ、13人全員が揃って合議した形跡はない。

 なぜ、それが、NHK大河のお題になったのかは、不思議でもある。

 さて、その後、ようやく義時が、存在感を示すことになる。

 その内容は、次回。
 

 昨日は、飲食店のアルバイトが、シフトの関係で朝10時から夕方16時までだった。

 結構、足腰の疲れが残っている。
 自分が前期高齢者であることを、思い出させる(^^)

 今日は、夕方からラストまで。

 そろそろユウの散歩をして、出かけなきゃ。


 また、芸能人の訃報に接した。

 こういうことは、続くのだなぁ。

 金芝河に「老子」を読むよう勧めた恩師のような存在の重要性を痛感する。


 2024年のNHK大河は「紫式部」とのこと。
 また、原作のないドラマのようだ。
 私個人的には、興味のある時代、人物とは言えない。

 優れた時代小説を元にした、歴史ドラマは、しばらく出会っていない。残念だ。
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by kogotokoubei | 2022-05-11 13:54 | 今週の一冊、あるいは二冊。 | Trackback | Comments(0)

あっちに行ったりこっちに来たり、いろんなことを書きなぐっております。


by 小言幸兵衛
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