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そろそろ「鎌倉殿の13人」からは、撤退かな。


 昨日の居残り会仲間のLINEで、「鎌倉殿の13人」の三谷脚本への批判や、視聴撤退の話題があった。


 私も、そろそろかな、と思っている。

 鎌倉幕府草創期の、武士たちやその家族の葛藤、朝廷支配を脱して新しい国の姿をつくろうとする息吹きを描くのではなく、義時と八重の淡い恋物語になりそうだから。


 八重については、史料が少ない。

 Wikipedi「八重姫(伊東祐親の娘)」から引用する。
 wikipedia「八重姫(伊東祐親の娘)」

概略
 『曽我物語』によれば、14歳で伊豆国へ流罪となり、在地豪族の伊東祐親の監視下で日々を送っていた頼朝は、祐親が大番役で上洛している間に祐親の三女(八重姫)と通じ、やがて男子を一人もうけて千鶴御前と名付けた。千鶴御前が3歳になった時、大番役を終えて京から戻った祐親は激怒し、「親の知らない婿があろうか。今の世に源氏の流人を婿に取るくらいなら、娘を非人乞食に取らせる方がましだ。平家の咎めを受けたらなんとするのか」と平家への聞こえを恐れ、家人に命じて千鶴を轟ヶ淵に柴漬(柴で包んで縛り上げ、重りをつけて水底に沈める処刑法)にして殺害し、娘を取り返して同国の住人・江間の小四郎に嫁がせた。さらに頼朝を討つべく郎党を差し向けたが、頼朝の乳母・比企尼の三女を妻としていた祐親の次男・祐清が頼朝に身の危険を知らせ、頼朝は祐清の烏帽子親である北条時政の邸に逃れたという。時政の下で暮らすようになった頼朝は、やがて時政の長女・政子と結ばれることになる。
 その後の祐親三女については、延慶本『平家物語』や『源平盛衰記』には記されていない。『源平闘諍録』では江間の元を出奔し、後年頼朝から呼び戻されて、その計らいで相馬師常と結ばれたとする。『曽我物語』では後に密かに伊東館を抜け出して頼朝のいる北条館を訪れたが、すでに頼朝は政子と恋仲になっていたため真珠ヶ淵に身を投げて入水自殺したとされる。
 最誓寺( 静岡県伊東市音無町)の伝承では北条氏と縁を結んだと伝えられている。
 上記の祐親三女と千鶴御前に関する記述は虚構の多い『曽我物語』や軍記物語の延慶本『平家物語』『源平盛衰記』『源平闘諍録』のみで、頼朝の流人時代を記した史料はなく、伝承の域を出ない。ただし、鎌倉幕府編纂書である『吾妻鏡』の治承4年10月19日(1180年11月8日)条と養和2年2月15日(1182年3月21日)条に、安元元年(1175年、頼朝29歳)の9月頃、祐親が頼朝を殺害しようとした所を、次男・祐清がそのことを告げて、頼朝が走湯権現に逃れたこと、挙兵後の頼朝に捕らえられた祐親が恩赦によって助命される所を「以前の行いを恥として」自害したことが記されており、頼朝と祐親の間に因縁があったことは認められる。
 伊豆の国市中条に八重姫を祀った真珠院がある。伊東市音無町には頼朝と八重姫が逢瀬を重ねたという音無の森の音無神社、八重姫が千鶴丸を祀ったとされる最誓寺などがある。

 この中で、三谷脚本が拠り所にしているのは、最誓寺の伝承、ということになるのかもしれない。

 また、Wikipediaには、こんな説が載っていた。
坂井孝一は「不明な点、論証できない点は少なくないが」「推論に推論を重ねることを承知の上で、いささか想像をめぐらしてみたい」と断った上で、八重姫が夫・江間の小四郎の戦死後、「阿波局」という女房名で頼朝の御所で働くようになり、江間氏の所領を受け継いだ北条義時と再婚して、北条泰時を産んだのではないかとの仮説を提示している。

 推論に推論を重ねての、この説に、三谷は、乗った、のかもしれない。

 史料がすくないから、脚色があるのは当然だろう。

 たしかに、断片的に残る史料において、阿波局と言う名は、義時の妹(大河では実衣)のことと、義時の側室の一人という史料の両方あり、いろいろと混乱させる要因はある。

 八重の嫁ぎ先の江間小四郎という名も、混乱の元かもしれない。
 

 しかし、史料の空白部分を埋める脚色が行き過ぎてはいけないと思う。

 初恋の人八重との関係を描くことが、義時を描くにあたって三谷は必要と考えたのかもしれないが、私は、そうは思わない。

 描くべきなのは、もっとたくさんあるわけで、義時と八重の恋物語を創作するのは、ある意味、若い人たちの視聴率を意識した迎合ではないのか。

 
 義時という人物は、頼朝挙兵直後は、まだ十代でもあり活躍の場は少なかった。
 しかし、後年、鎌倉幕府を北条の支配下にするため、宿敵を次々と倒していく人物である。
 父時政さえも、牧の方(大河の、りく)と一緒に伊豆へ追放されている。

 権謀術数を巧みにし、二代執権となった男だ。

 そういった冷徹な側面を描くことなく、大河には、初恋の人への思いを断ち切れない弱々しい男の姿がある。

 たしかに、長男泰時は正室の子ではないと伝わる。
 しかし、側室となった八重が生んだ、という史料は、存在しない。


 鎌倉幕府草創期の、北条と他の一族との戦い、息詰まる朝廷との神経戦、そして、承久の変など、焦点を当てるべき史実に基づくテーマはいくらでもあるし、それを元に、それぞれの人物の姿をどう描くかに期待していた視聴者は、やはり、そろそろ撤退するしかないのかもしれない。

 推論すべきテーマは、義時と八重のロマンスの他にも、いくでもあるはずだ。

 
 たとえば、昨日、NHK BSプレミアムの「英雄たちの選択」は、なかなか面白かった。
 13日に再放送されるようだ。
NHKサイトの該当ページ

 義時のひ孫にあたる五代執権の時頼が、果たして、自分が将軍となるべきか、執権にとどまり、朝廷から将軍を受け入れるべきか、というテーマだった。


 義時にも、今後、いくつもの選択の機会が訪れる。

 その時の彼の心理、決断、行動、周囲との軋轢などにこそ焦点を当てて欲しいが、期待は裏切られるのだろう。


 義時と八重のロマンスの他にも、いくつか疑問があった。

 たとえば、義経について。
 その後の頼朝の行動を正当化するためなのか、義経のネガティブな側面を強調するのには閉口する。
 亀の前騒動で、匿われている家を焼き討ちするのが、義経に命じられた弁慶とは。
 ありえない、と思う。

 兄の義円をそそのかしたり、義円の頼朝への手紙を破り捨てたり、とかも、考えられない。

 他に、伊東祐親の最期の描き方も、腑に落ちない。


 現代風の言葉遣いも、抵抗を感じてきた。


 観るたびに、「それはないだろ!」と思うようでは、ストレスがたまる。

 そろそろ、撤退かもしれない。


 昨日は、飲食店のバイトの昼間のシフトだった。
 店が、ある食事のキャンペーンをしていて、近隣の新聞のチラシも配布したことで、お客さんが途切れなかった。
 結局、30分ほど残業することになった。

 今日は会社もバイトも休み。
 連れ合いは、急遽午前中に仕事となった。

 彼女が帰ってきたら、一緒の昼食をとって、ユウをシャンプーで綺麗にして散歩し、トリマーに連れて行く予定だ。
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by kogotokoubei | 2022-04-07 12:18 | ドラマや時代劇 | Trackback | Comments(0)

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by 小言幸兵衛
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