NHK大河「鎌倉殿の13人」における、いくつかの疑問。
2022年 03月 21日
「鎌倉殿の13人」公式サイト
冒頭は、義時が八重にふられるという、なんとも不思議な場面で始まった。
頼朝が二人を一緒にさせようとしたことを含め、首をひねる。
八重については、詳しい史料がないようなので、三谷脚本の創作だが、どうも腑に落ちない。
推論の一つとして、阿波局(義時の妹とは別人)として後に義時の側室になったのが八重ではないか、という説もあるようだ。
Wikipedia「八重(伊東祐親の娘)」
しかし、頼朝が義時の正室として勧める、というのは、無理があるだろう。
また、義経のそそのかしで、兄の義円が平家軍との戦いに向かい、結果として命をなくすことが描かれた。
義円が頼朝に宛てた手紙を義経が破り捨てるところを梶原景時が目撃していたために義経の悪事がばれ、頼朝に「心を鍛えよ」と諭されていた。この一連の経緯も、疑問。
義円は、そもそも鎌倉に来ていないのではないか、という説がある。
Wikipedia「義円」から引用する。
Wikipedia「義円」
治承5年(1181年)、叔父源行家が尾張で挙兵すると、その陣に参加。墨俣川河畔にて平重衡らの軍と対峙する(墨俣川の戦い)。この時、義円は単騎敵陣に夜襲を仕掛けようと試みるが失敗。平家の家人・高橋盛綱と交戦の末に討ち取られた。享年27。
なお、『吾妻鏡』には義円が頼朝のもとに赴いた記述がないため、義円は直接尾張に入り行家とともに独自に挙兵したと思われるが、頼朝が打倒平家の兵をあげた際にその指揮下に合流し、頼朝の命により援軍として行家のもとに派遣されたのではないかとする推測もある。
三谷脚本は、基本は『吾妻鏡』を土台にしているようだが、義経が義円をそそのかすというのは、やや度が過ぎた脚色だろう。
その後の、頼朝と義経との対立への伏線のつもりかとも思うが、これは、少し色を付けすぎたような気がする。
和田義盛に侍所別当を任ずる場面、それを告げるのが義時というのも、どうも納得できない。
そして、もっとも疑問に思ったのが、伊東祐親の最期だ。
平家側について頼朝と戦い捕縛され、三浦氏に預けられていた伊東祐親と次男祐清の親子。
政子の男子懐妊を願って、伊東祐親親子への恩赦が出されたのだが、頼朝は、祈祷していた全成から、恩赦だけでは足らないという話を聞く。
八重との間にできたものの殺された千鶴丸が成仏できていないのは、殺した人物が生きているからだ。このままでは男子懐妊とはならない、と。
千鶴丸は、伊東祐親の命で下人の善児が殺したのだった。
頼朝は、梶原景時に、伊東祐親を殺すよう命じた。
景時は、善児を自分の下人になれと言い、「へえー」と答えた善児は、幽閉先に赴き、平然と祐親と祐清親子を殺した。
う~ん、これって、やはり、腑に落ちない。
『源頼朝の世界』のシリーズを続けているが、その第16回目に、伊東祐親のことを紹介した。
2022年3月7日のブログ
重複するが、あらためて、あの本から確認したい。

永井路子著『源頼朝の世界』(朝日文庫)
伊東祐親の子供は、こうなっている。
伊東祐親
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河津祐泰 伊東祐清=比企尼三女 娘=北条時政 娘=三義義澄 娘xxx工藤祐経 八重
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曽我祐成 曽我時政
※=は婚姻、xxxは離縁
八重を三女とする説があるが、工藤祐経に嫁いだ後に離縁した娘を三女の位置にした。
さて、永井さんは、伊東祐親の最期と彼への評価を、こう書いていた。
そもそも、恩赦は、男子懐妊後、としている。
それから二年後、たまたま頼朝の妻の政子が身ごもったので、義澄はこれを好機として舅の祐親の恩赦を願いでた。その間に関東の総帥としての地位を築きあげていた頼朝は、気分的にもゆとりが出ていたろうし、また政子の安産を祈る気持ちもあって、即座に義澄の申し出を受けいれ、祐親に御所に出てくるようにと命じた。
喜んだ義澄は早速頼朝の意向をわが家に伝え、舅の出仕を待っていたところ、慌しく駆けつけてきた使は、祐親の自害を報じた。驚いた義澄は、急いでわが家に馳せもどったが、すでに祐親はこときれていた。
「今、恩言を頂いたが、生きてお目にかかろうとは思いませんので」
これが遺言であった。東国武士団のなかではきわめて異色な、反頼朝側の武士として、祐親は一生を貫きとおしたのであった。
いったん平家についた祐親は、武士の本文を貫き通し自害した、と思う。
そして、祐親の一途な血は、子の祐清にも伝わっていた。
祐親には、祐清(または祐長)という息子がいた。彼はかねて頼朝に好意をよせており、頼朝と娘の仲を割いたあの事件折、父親が怒りにまかせて頼朝にも危害を加えようとしたときも、こっそりこれを知らせて逃がしてやった。頼朝はこのことを忘れず、父を捕らえたときも、この祐清にはむしろ恩賞を与えようとしたのだが、彼は固くこれを拒んだ。
「父がすでの怨敵として捕らえられました以上、子である私がどうして賞にあずかれましょう。願うところは、一刻も早くお暇を頂き、上洛して平氏の軍に加わることだけです」
やむなく頼朝がこれを許すと、言葉どおり、平家の軍に加わり、北陸道で木曽義仲と戦って壮烈な戦死を遂げた。もっとも、『吾妻鏡』自体にもう一つ異説がのっている。
「父が死んだあとで、そのようなものを頂いたとてなんになりましょう。どうか私にはこのままお暇を賜りたい」
としきりに言うので、ついに彼も誅殺されてしまった、というのである。
いずれにしても、伊東親子が、反頼朝のラインを堂々とまもりぬいたことだけはたしかで、その壮烈さに感銘を受けたのか、むしろ頼朝側に立って筆を進めている『吾妻鏡』なのに、祐清のこの行為について、
「世以テ美談トセザルナシ」
と絶賛している。
この後、永井さんは、伊東氏は大局から見れば、時代を見る目がなかったと言えるが、祐親にしろ祐清にしろ、その生き方はじつにさわやかで、いったん臣従した平家に最後まで筋を貫いている姿は最も武士らしい、と評価しているが、同感だ。
ということで、昨夜の大河とは、伊東親子の最期は、大きく違う。
諸説あるとはいえ、少なくとも伊東祐親という人物には、自害が相応しいのではないか。
また、頼朝、北条側に立つ『吾妻鏡』が、祐清について異例の評価をしていることも忘れてはならないだろう。
そして、祐清の妻が、頼朝の乳母、比企尼の三女である。
頼朝が、祐清殺害を命じるのは、私には考えられない。
三谷脚本だから、科白の現代風の言い回しや、コメディタッチになるのは想定している。
しかし、通説から逸脱しすぎる脚色には、どうしても落ち着かなくなる。
さて、次回は、「亀の前」事件だ。
政子を、どれほど恐ろしく描くかが見どころか。
さて、今日飲食店のアルバイトが夕方からラストの20時まで。
明日以降は、21時閉店になる。
まん延防止等重点措置の解除で、一気に人出が増え、緊張感が緩み、感染再拡大になる気がしてしょうがない。
ウクライナ情勢もあって、まだまだ、不安なく桜を眺められる春は、来ていない。
こちらが集中して見てなかったせいか、ごちゃごちゃしてイマイチおもしろくなかったな。義経役の俳優がお粗末なのも気に入らない。そろそろ飽きてきたかな。
たしかに、いろいろ詰め込み過ぎですね。
三谷脚本は、頼朝挙兵時十七歳の義時をメインにすることで、いろいろ無理が出ているかもしれません。
三谷コメディと割り切って見るか、そろそろ離れるか、悩ましいです。
