永井路子著『源頼朝の世界』より(9)
2022年 02月 21日
やはり、このドラマの原作と言える『吾妻鏡』に基づいている。
前の記事でWikipediaから紹介したような、広常がそれより前から頼朝側についていたという研究者の説は、踏襲しなかった。
劇的な演出としては、三谷脚本もありかな、という感想。
驚いたのは、鎌倉入り後の事件として前の記事で紹介した、頼朝の浮気相手、亀の前が登場。
江口のりこ、適役かもしれない。
さて、本シリーズ。

永井路子著『源頼朝の世界』(朝日文庫)
1982年に中央公論社から刊行され、昨年末朝日文庫から再刊された永井路子の『源頼朝の世界』から九回目。
目次を確認。
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頼朝とその周辺の人びと
源 頼朝
北条政子
比企尼と阿波局
頼家と実朝
北条義時
逞しき東国武者
三浦一族
伊豆の軍団
武蔵七党
西国の権謀家たち
後白河法皇
源 通親
後鳥羽院と藤原定家
あとがき
源氏三代の乳母関係図
東国武士の分布図
参考史料・参考文献
解説(中公文庫版) 尾崎秀樹
解説(朝日文庫版) 細谷正充
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今回は、「比企尼と阿波局」より。
以前掲載した、本書巻末の「源氏三代の乳母関係図」をあらためて確認。

頼朝の複数の乳母の中でも、比企尼(大河では草笛光子)一族が、重要な役割を果たしている。
本書から引用。
無名派は無力ならず
鎌倉時代は、女性史にとって不毛の時代のように思われている。たまたま登場する北条政子は悪女の典型ーつまりよほど変わり種の見本であって、あとは十把ひとからげの、従順な、もしくは愚鈍な、男の陰にかくれて生きた女しかいない・・・・・・と、そんなふうに考えられていた。
が、それは本当なのだろうか。もしかするとそれは、これまでの女性史研究者の怠慢で、そのころの本当の女性の姿をつかんでいないのではないか。たしかに鎌倉時代には、政子のほかに、めぼしい大スターはいない。すべて無名である。しかし無名ということは、決して無力と同義語ではないはずである。
ただ、困ったことに無名の彼女たちは、伝記がはっきりしない。何年に生まれ、何年に死に、どんな性格だったというようなことは、プライバシイを語るエピソードはほとんどない。
たとえば、ここにとりあげる比企尼(ひきのあま)も生没年は不詳、色が黒かったか白かったか、やさしいか頑固かなどということは、皆目わからないし、そのころの常として、名前さえ伝わっていないのである。
わずかに残っている手がかりをひろってゆくと、彼女はその名の通り、比企家の未亡人だ。比企氏は埼玉県の比企郡あたりを本拠とする東国武士団の一つだったらしく、夫人は比企掃部允(かもんのじょう)といった。彼女について注目すべきは、まだ夫が在世中、彼女が都にあって源頼朝の乳母(めのと)になったということである。
今までとかく無視されがちであったが、この乳母という存在は、平安末以後、きわめて歴史的にも政治的にも大きな意味を持つ。天皇家、公家、武家などのしかるべき家に子供が生まれると、この養育にあたるのは、生母ではなくて、すべて乳母なのだ。
なるほど、無名ではあっても、無力ではなかったのが乳母か。
幼い頃からの育ての母の存在は、江戸時代でも大きかった。
徳川家光の乳母の福、後の春日局が、それを物語っている。
引用を続ける。
彼女たちは生まれたばかりの若君につきそって、生活全体に気を配る。現実には、この乳母が必ずしも乳をふくませるとは限らない。乳を与えるのは別人でもよく、ーしたがって乳母は複数である場合がざらなのだがーさらに乳母の夫(彼も乳母夫-めのと-と呼ばれる)や子供(乳母子)ともども、若君の周囲をひしと取りかこんで、大事にかしずき育てる。この乳母集団は若君とまさに一心同体なのである。
「鎌倉殿の13人」のサイトから、比企尼やその親族の入った関係図を拝借。
「鎌倉殿の13人」のサイト

あら、亀もいる(^^)
安達盛長も、比企能員も、比企尼の娘婿だ。
昨夜の大河でも、安達盛長は、頼朝の側を離れず、彼を守る役割を果たしていた。
それは、頼朝が若君の頃から乳母子として面倒をみてきたから彼の性格もよく知り、挙動や発言に対し助言できるし、信頼も厚かったからと言えるのだろう。
頼朝にとって、乳母一族は、唯一心を許せる親衛隊、と言える。
それは、いくら妻政子の親とはいえ、時政が自分より先に船で安房に逃げていたことを考えても、よく分かる。
いったい誰が本当の味方で、誰が敵なのか。
そんな疑心暗鬼が、鎌倉時代前夜から、その先まで続くのである。
次回は、阿波局について。
