春風亭栄枝を偲ぶ。
2022年 02月 17日
春風亭栄枝の訃報に接した。
朝日新聞から引用。
朝日新聞の該当記事
落語家・春風亭栄枝さんが死去 83歳 「蜀山人狂歌ばなし」
2022年2月16日 16時40分
春風亭 栄枝さん(しゅんぷうてい・えいし=落語家、本名天津征〈あまつ・ただし〉)9日、急性腎障害で死去、83歳。葬儀は近親者で営んだ。
東京・西巣鴨生まれ。57年八代目春風亭柳枝に入門、73年真打ち、83年七代目栄枝を襲名。著書に「蜀山人(しょくさんじん)狂歌ばなし」。
百栄の師匠としても知られている栄枝。
私が好きな八代目春風亭柳枝の弟子の一人だった。
ちなみに、柳枝が亡くなった時、前座ばかり次の三人の弟子がいた。
春風亭枝吉は、六代目三遊亭圓生門下へ移り、その後、圓彌となった。
春風亭枝二だったのが、林家彦六門下へ移った栄枝。
春風亭枝女吉は、六代目三遊亭圓生門下へ移った、圓窓。
私が聴けた最後の高座は、五年前の浅草演芸ホール、二代目古今亭志ん五の襲名披露だった。
2017年10月16日のブログ
日曜だったが、雨でテニスが休みになり出かけた浅草だった。
こんなことを書いていた。
春風亭栄枝 『都々逸坊扇歌物語』 (15分)
久しぶりだ。小さなネタをいくつかふってから、十八番へ。
田舎の人が東京に出てきて、長命寺の桜餅を食べる時に、どうやって食べるのか聞いたら、皮をむいて食べるとのことで、隅田川の方を向いて食べた、というネタでも、会場からは笑いが起きる、実に良いお客さん達。ビートルズが来日した際に、林家三平がネタにしていた、オナラの温度は、ヘイ・ジュード、も結構受けたねぇ。
「七つ、八つでいろはを覚え、はの字が抜けて、いろばかり」なんてぇのも、オツ。
秋田藩佐竹公と扇歌との逸話なども楽しませ、しっかりとした高座。
昭和13年生まれは、志ん朝と同じだ。79歳の元気な姿を見ることができたのも、雨のおかげだなぁ。
残念ながら、その後、栄枝の高座とは縁がなかった。
都々逸や、狂歌なども好きだった噺家さん。
朝日の訃報にある著書を、紹介したことがある。
ちょうど蜀山人こと大田直次郎を主人公とする平岩弓枝の『橋の上の霜』を書いていた時に、蜀山人の狂歌を同書から紹介した。
2018年11月22日のブログ
2018年11月27日のブログ
そのすぐ後も、本書の記事を書いた。
2018年11月29日のブログ
2018年11月30日のブログ
2018年12月4日のブログ
この本から、栄枝がどれほど落語が好きだったかをご紹介していた。
あらためて振り返りたい。

春風亭栄枝著『蜀山人狂歌ばなし』
『蜀山人狂歌ばなし-江戸のギャグ、パロディーの発信源-』は、平成9(1997)年、三一書房から初版発行。
栄枝が、落語に魅了されていた頃のことから。
それはもう、三、四十年前のことになります。
昭和三十年代の頃は、私はすでに、落語、落語・・・・・・落語でなければ夜も日も明けない毎日でした。
朝から晩まで、もう頭の中は落語一筋の落語のことだらけ。落語家にどうしてもなりたくて、あちこちの寄席ばかりに行っていました。
当時、地元の巣鴨の高校に通っていた私は、学校が終わるとカバンを家に放り出して、入場料が五十円の池袋の演芸場や上野の鈴本演芸場にすっとんでいったものです。
その後、親のすすめで大学に通うのですが、これも数ヵ月籍を置き、教室で先生の講義も聴いたが、どうも耐えられないものでした。
ところで当時の寄席は、後に昭和の落語史に名を残すような大看板が出て、強烈な個性で高座が賑わっていました。
例えば、私を弟子にしてくれた春風てい柳枝、さらに古今亭志ん生、桂文楽、三遊亭圓生・・・・・・。
そしてそこで私はいろいろと感じたことの一つに、日本語はこうも面白く話すことのできる言語なのかと、ついつい大学の先生の話と比較してしまったりしたものです。どだいそんな比較のナンセンスなことは承知していますが・・・・・・。大学の先生ごめんなさい!
この本では書かれていないが、栄枝の父親は、苦学して師範学校に行き教員となって、校長まで務めた方で、栄枝が落語家になりたいと言うと、大反対したらしい。
大学をすぐに中退した時は、結構、大変な騒ぎになったと察する。
2017年の産経「父の教え」というシリーズで栄枝の記事が掲載されたことがある。
産経ニュースの該当記事
少し引用。
明治生まれの父は、幼い頃からしつけに厳しかった。書道で栄枝さんの筆に癖を発見すると、容赦なく鞭を振るって矯正した。儒学者、頼山陽の漢詩を口ずさみ、新渡戸稲造の教育論を熱く語り、常日頃から「学問が大事」と言い続ける厳格な父は、大きく怖い存在。反発するというより、落語やロックが好きな自分が認められるはずはないと思い込んだ。
結構、長い記事なので、ご興味のある方は、ご覧のほどを。
同じ明治生まれの父でも、志ん朝の父とは違って、頑固で厳しいその人の反対を押し切って落語家になった、栄枝。
父の姿への反動だったのはかはわからないが、なんともいえない柔らかい、優しい高座が好きだった。
ご冥福をお祈りいたします。
私よりも栄枝師に接する機会が多かったのは羨ましい限りですね。もっと聴いておけばよかったなと今さらながら後悔しています。
先代正蔵の弟子(預かり弟子も含む)で二回以上直に聴いたことがあるのは二代目正楽(紙切り)、先代文蔵、木久扇、春輔、好楽、藤兵衛、時蔵、正雀の8人でしょうか。
全く縁が無かったのは先代柳朝、林蔵の二人です。四天王の一人である先代柳朝を聴く機会が無かったのは悔やんでも悔やみ切れません。
先代文蔵を聴く機会に十回以上恵まれたのが唯一の救いでしょうか。
私は、積極的に寄席や落語会に行き始めたのが、志ん朝没後です。
とはいえ、現役で仕事をしていた頃は、そうは多く行けませんでした。
実は、先代柳朝も、先代文蔵の生の高座も知らないんです。
Ponchiさんが羨ましい限りです。
たしかに、初席は知らない噺家さんや色物の芸人さん達に会えるという魅力がありますね。
高座をゆっくり楽しむことはできませんが、芸人さんカタログをめくるような楽しさがあります。
栄枝は、なんとも言えない味のある噺家さんでした。
著書でも、その個性が発揮されていると思いました。
もう少し、寄席で会いたかったのですが、残念です。
