永井路子著『源頼朝の世界』より(3)
2022年 02月 02日

永井路子著『源頼朝の世界』(朝日文庫)
1982年に中央公論社から刊行され、昨年末朝日文庫から再刊された永井路子の『源頼朝の世界』から三回目。
平治の乱に敗れ、逃走の途中で平家側に捕らえられた頼朝は、伊豆に流された。
流人・罪人という言葉のイメージからは、みじめな生活を連想しがちだが、彼の日常生活はさほど窮屈なものではなかったらしい。寝ること食べること、乗馬、狩猟などには、制限がない。禁じられているのは財産(所領)を持つこと、家来を持つこと、伊豆の国外に出ること、公的な官職を持つこと。ーつまり社会人としての生活を否定された飼い殺し的性格を強いられていたと見ればいい。
家来を持てぬといっても、それは表向きのことで、日常の生活の面倒を見てくれる私的な家来にまで事欠いたわけではない。主として頼朝の側近にいたのは幼時に彼を育てた乳母(めのと)の子供たちである。
当時の乳母という存在は、今では想像もつかないくらい重要な意味を持つ。天皇家、あるいは公家・武家などのしかるべき家に子供が生まれると、有力な家臣の妻が競って乳母につく。この意味では実母は生みっ放しに近く、乳母は実母の家に住み込んだり、あるいはわが家に若君を連れていって、養育に専心する。このときは乳母の夫(彼も乳母夫-めのと-と呼ばれる)や子供(乳母子-めのとこ-)も家をあげてこの若君に奉仕する。
(中 略)
当時の有力者の家の嬰児は乳母族とでもいうべき集団にかこまれて育つのがふつうだったのである。そして、その子が成人して、しかるばき地位についた場合、乳母およびその一族が側近第一号として、蔭の実力者の地位を獲得する、というのは当時のお定まりコースであった。
ということで、乳母とその一族は、預った若君が出世することを願い、一所懸命に養育する。
本書巻末にある、乳母関係図を拝借。

乳母は、一人とは限らないのだ。
引用を続ける。
頼朝にもわかっているだけで四人の乳母がいる。十二歳で皇后宮少進、十三歳で右兵衛佐へと出世した彼を、乳母たちは希望に胸ふくらませて仰ぎみたことであろうが、平治の乱の惨敗によって、それらの夢はあっけなくしぼんでしまった。ただしそうなっても乳母たちは、決して若君を放りだしたりしない。ここが乳母という存在が、利害打算を据えながらも、それを超えた心情的一体感によってつながれているおもしろいところで、伊豆に流人になった彼を支えたのは、じつは彼女たち乳母集団なのである。
中でも比企尼といわれた女性は、頼朝の配流がきまると、夫ともども所領である武蔵国比企郡に下り、生活の資を送りつづけ、夫の死後も奉仕は変わらず続けられた。
実際に頼朝の許へ物資を運び、身辺の世話を受持ったのは彼女の娘の婿たちで、この中では安達(足立)藤九郎盛長が最も頼朝に密着しているようだが、尼の甥で猶子(ゆうし)になった能員(よしかず)や娘婿の河(川)越重頼、伊東祐清なども、何らかの形で頼朝と接触を持ったと思われる。
NHKサイトの「鎌倉殿の13人」のページにある人脈図・坂東で、安達藤九郎盛長(野添義弘)は、頼朝の従者として中央部分に配置され、比企能員(佐藤二朗)は、比企尼の娘の婿として配置されている。
NHKサイトの該当ページ
図を拝借。

本書の巻末の図では、比企尼を中心にして描いているので、安達藤九郎盛長は頼朝の近くに配置できていない。
「鎌倉殿の13人」のサイトでは、頼朝のすぐ近くに配置したが、比企尼の娘婿ということは描かれていない。
両方で補完している、という感じだ。
比企尼一族の他に、下野(しもつけ)の豪族八田宗綱の娘で同じ下野の豪族小山政光の妻、寒河尼と言われる乳母も、頼朝を支援していたとのこと。
なかには、そうではなかった乳母一族もあると書かれている。
相模の豪族、山内俊通(としみち)の妻、山内尼とは比較的疎遠で、その子経俊は、旗揚げの際に誘われたが、むしろ平家側についたらしい。
そういう例外はあるとはいえ、安達藤九郎盛長を筆頭に、乳母一族の力は、裸同然で東国に落ちてきた頼朝にとっては欠かせない存在だった。
それは、武力の面に限らなかった。
この他異色は、名前も伝わらない某女で、彼女の消息は伝わらないが、その甥、三善康信が都で下級官僚として仕えるかたわら、こまめに中央での政治の動きを頼朝に伝えてきた。彼はのちに平清盛が入内(じゅだい)すると、その中宮職の属(さかん、四等官)になっているから、上層部の情報にも通じていたようだ。頼朝は自分自身は伊豆の外に出ることは禁じられていたとはいえ、辺土にあっても中央の情報にはけっこう不足しなかったのである。
情報収集の面で、三善康信の存在は、小さくなかっただろう。
鎌倉殿の「13人」とは、頼朝亡き後の、「13人」の合議制に由来しているが、安達藤九郎盛長も、比企能員も、その中に入っている。比企一族の鎌倉幕府への影響は実に強いものになっていく。
しかし、その後・・・というのは、また後日ご紹介。
次回は、東国武士の挙兵前夜の状況などについてご紹介するつもりだ。
さて、今日も夕方からラストまでの飲食店のアルバイトがあるが、その前に、別な記事の下書きを進めるつもり。
その内容は・・・公開までは内緒にしておこう。
