永井路子著『源頼朝の世界』より(1)
2022年 01月 29日
NHK大河「鎌倉殿の13人」を、今のところ、楽しんでいる。
つい他人が世話をやきたくなる「佐(すけ)」殿である頼朝を、大泉洋がうまく演じていると思う。
鎌倉幕府の草創期を描くNHKの大河には、「草燃える」(昭和54年)があった。
頼朝は石坂浩二、北条政子は岩下志摩、ちなみに、北条義時は松平健。
永井路子の『北条政子』や『炎環』(直木賞受賞作)などを原作としている。
ちなみに、永井さんは、鎌倉の名誉市民。
その永井路子の本を読んだ。

永井路子著『源頼朝の世界』(朝日文庫)
1982年に中央公論社から初版だった永井路子の『源頼朝の世界』が、昨年末に朝日文庫から再刊されたので、読んだ。
目次をご紹介。
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頼朝とその周辺の人びと
源 頼朝
北条政子
比企尼と阿波局
頼家と実朝
北条義時
逞しき東国武者
三浦一族
伊豆の軍団
武蔵七党
西国の権謀家たち
後白河法皇
源 通親
後鳥羽院と藤原定家
あとがき
源氏三代の乳母関係図
東国武士の分布図
参考史料・参考文献
解説(中公文庫版) 尾崎秀樹
解説(朝日文庫版) 細谷正充
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まず、源頼朝、その人について。
雪中彷徨
この白い世界はどこまで続くのか。冷たいのか暖かいのか、今は感覚もさだかではない。単調に体が揺れるにはどうしてなのか。母の胸に抱きとめられて揺すぶられているような陶然たる思いの中にずるずる引きこまれてゆくのを、もうどうにも止めることができない・・・・・・。
瞬間、大地がぐらりと揺れた。はっと我にかえって、危うく馬の背にしがみつく。気づいてみると雪の曠野に自分ひとり、先刻まで傍で励ましてくれた父や兄の姿はすでになかった。
ときに1159年(平治元)十二月二十七日の夜更けー。これが、この日はじめて歴史に登場した源頼朝の姿だった。
彼はそれまでの十二年の生涯に匹敵するほどの歴史を、この一日のうちに経験してしまった。父義朝の挙兵、初陣、敗戦、逃避行、そして落伍・・・・・・。、めまぐるしい変転に疲れきった彼は、東国へ落ちる道すがら、野路(滋賀県草津市)のあたりで、つい馬の背に揺られながら眠りこけ、父たちにはぐれてしまったのである。
このとき彼の味わった陶酔感は、凍死直前の幻覚症状であったかもしれない。危うくその妖しげな誘惑を逃れたものの、彼を待ちうけていたのは、死よりも恐ろしい孤独だった。気の遠くなるような白魔の世界に取り残されたこの姿は、まさに象徴的というよりほかない。その後稀有の命を長らえて約四十年間生きた彼は、動乱の歴史の中で、常に孤独の生涯を歩みつづけたのであったから。
今日1月29日は、旧暦十二月二十七日。
ということで、本書によれば、863年前の今日、頼朝が、はじめて歴史に登場したことになる。
引用を続ける。
頼朝が生まれたのは、1147年(久安三)、父は周知のとおり源義朝、母は熱田大宮司、藤原季範(すえのり)の娘である。が、この場合、大宮司すなわち神官と考えるよりも、熱田神宮領を支配する中流貴族と見たほうがいい。『尊卑分脈』によると季範の家は藤原武智麻呂(むちまろ)流で、すでにこのころ三河や尾張と何らかのかかわりを持ってはいたらしいが、当時の常として日常の生活は大部分都においてなされたいたようだ。季範の他の娘は上西門院(じょうさいもんいん)や待賢門院(たいけんもんいん)に仕える女房だったから、頼朝の母自身も、おそらく宮仕えをするうち、義朝と結ばれるようになったのではないか。
ということで、頼朝は、中流貴族の母の子であった。
頼朝の兄弟姉妹について。
同腹の姉が一人、弟が一人、姉を妹と見る説が多いが『吾妻鏡』に出てくる没年からすると二年年上である。弟は希義(まれよし)。ほかに異腹の兄弟は多いが、本当に同胞意識をもってつながっているのは、この三人だけだ。そのころのしきたりとして、男に複数の妻がいることはざらだったし、生まれた子供はほとんど母方で育つから、異腹の兄弟とは顔もあわせないことが多く、したがって兄弟意識は持てなかった。いや、時には彼らは恐るべきライバルになる可能性さえ持っていたことをつけ加えておきたい。
ご存知のように、義経の母の常盤御前は九条院(藤原呈子)の雑仕女(ぞうしめ)、つまり召使だった。
複数の妻の子供の序列は、母親で決まるため、中流貴族を母に持つ子供の中の長男、頼朝が嫡子となった。
さて、その頼朝と彼を巡る人々について、次回も本書から紹介したい。
頼朝が歴史に登場した旧暦十二月二十七日、私はこれから、伊豆でも鎌倉でもなく、飲食店のアルバイトに出かける。
日曜朝に再放送している「黄金の日日」を毎週見て、当時のセットが安っぽい事に驚きと、一方で出演者が超豪華なドラマだったと思い知っています。当時女子校に通っていたのですが、クラスメイト達が「昨日の根津さんが格好良かった」と騒いでいるのを「根津さん?」でした。私はその時間帯、中村雅俊さん主演の「青春ド真ん中」というドラマを見ていました。これは熱血教師ではなく、おちゃらけ気味の教師が主役でした。多分クラスはこの二つのドラマで二分していました。その後、この時間帯が「西遊記」になり、「草燃える」を見ることになりました。
「草燃える」で頼朝を演じていたのが石坂浩二さんで、妻の政子が岩下志麻さん。美男美女のコンビだと言われていましたね。前半が頼朝が主役、後半は尼将軍の政子が主役で、大河ドラマ史上初の女性が主役のドラマでした。
「草燃える」であらすじが分かっているので、比較的見やすいです。「平清盛」は2回程で挫折しましたけれど。ロケもセットが非常に良くできていて、草燃えるや黄金の日日の安っぽいセットとは随分違っています。
「真田丸」や「新撰組」の「三谷組」と呼ばれるメンバーが多く出演しているのも楽しみです。好きな俳優さんが多いので。今回もコントコーナーが楽しみです。
永井路子氏の著書は「歴史を騒がせた女」シリーズは、学生時代に読みました。永井氏は、私が中高時代に購読していたJotomo(旧名:女学生の友)という月刊誌の編集もされていたんですね。
「鎌倉殿」これからも楽しみです。
そうでしたか。
「草燃える」は、山茶花さんの青春を思い出す大河、だったんですね。
「草燃える」の俳優陣は、なんとも豪華でしたね。
「鎌倉殿」は、落語愛好家の皆さまも、結構、楽しんでいらっしゃるようです。
科白が現代風であることが、今のところは、分かりやすさという面でプラスになっているようです。
とはいえ、「~じゃん」が出たら、見るのを止めるかも^^
山茶花さんと一緒に「真田丸」ツアーをしたことを、思い出します。
石坂氏が怖い顔をしていたのを憶えています。
燃えるは萌えるでもあると知ったのは後年。情けない限りです。
>豪華な俳優陣
たしかによくも集めたものですね。金子信雄の清盛なんてぴったりです。
