テレビは、どこに向かっているのか-山田詠美のコラムから思う、いろいろ。
2022年 01月 27日
落語居残り会仲間のIさんから、日本経済新聞の「あすへの話題」というコラムの、火曜日担当、山田詠美の記事を送っていただいていた。
Iさんが、筆者の中で山田詠美の内容がもっとも良いと居残り会仲間のLINEで教えてくださり、私も同感と返事をしたら、毎週送っていただけるようになったのだ。
Iさん、ありがとうございます。
しかし、山田詠美の担当は、昨年末で終了した。
これが、12月28日の最終回。

この内容、そのうちブログで紹介したいなぁと思っていて、つい、一ヵ月近く経った。
日経のwebで無料会員登録をすることで、「あすへの話題」も読むことができる。
このコラムを引用する。
日本経済新聞サイトの該当ページ
若返り最重要の国で 作家 山田詠美
あすへの話題
2021年12月28日
「上沼恵美子さんがホステスを務める料理番組が27年の歴史に幕」という記事が出ていた。あの番組、私も時々観(み)て、夕ごはんの参考にしたものだが、実は、父のお気に入りだったのである。
勤めていた会社を定年退職し、その後、再就職した職場も辞めて、悠々自適のリタイア生活を送って来た89歳。昼ごはんの続きのように、あの番組を観ている父を見て、尋ねてみた。全然、料理を作ったこともないのに、なんで、そんなに真剣に観てるの?すると、父が答えることには。
「おいしいものの出来上がる工程を学べるじゃないか」
ほお。死ぬまで勉強ってやつ? でも、これ、終わっちゃうかもしれないんだよ。
聞けば、視聴者の若返りをねらって番組を改編するのだとか。若返りって……若者、TVなんか、もう観ていないのでは? NHKの紅白歌合戦も「若返り」を目指して、出演者を大幅にチェンジ。それまで何十年も「紅白」を楽しみに年を越して来た層を遠ざけることが目的なんだろう。何故(なぜ)かって? 老い先短い視聴者のことなんて考えていても何の得にもならないから。だから、早急に「若返り」! 人間は放っといて、とりあえず何が何でも若返り!!
この国では(1)若くて(2)健常者で(3)都会に住んでいて(4)経済力があるという条件を満たせない人間は見捨てられる運命にある。
田舎暮らしで、運転免許証も返納した父と、ITどころか私の顔も解(わか)らなくなった母は、介護する妹がいなければ生きて行けない。私もやがて、そうなるので、来年は若返りにがんばるつもり(つもりだけね)。
このコラムで指摘されている、
(1)若くて
(2)健常者で
(3)都会に住んでいて
(4)経済力がある
の中で、私が該当するのは、(2)と(3)だけかな。
若くもなければ、経済「力」と言うほどのものはない。
もし、テレビが、上記の条件で番組をつくろうとしているのであれば、これは、ますます衰退の道を歩むことになるだろう。
特に、地上波テレビは、今、大きな危機を迎えているように思う。
BSもCSもあれば、ネットもある。
Netflixなどで映画も見る時代。
視聴率という指標が、もはや、番組の評価基準ではなくなっているのではないか。
録画を含め、人は、自分の都合で番組を見る時代だし、オンデマンドもある。
このままでは、地上波テレビは、ひな壇タレントによる、バラエティ化が進むばかりだ。
もう11年も前になるが、『THE MANZAI』や『らくごin六本木』『オレたちひょうきん族』、『笑っていいとも』などのディレクターやプロデューサーとして活躍された佐藤義和さんの『バラエティ番組がなくなる日』について記事を書いた。
2011年1月19日のブログ
佐藤さんは、その当時において、テレビの危機を訴えていた。
紹介した本の「序章」に、こう書かれていた。
ネタ見せ番組に、才能を感じさせる新しいコンビなどが出てくると、彼らの将来に期待をしたくなるだろう。しかし彼らが、ひな壇に座って、大きな笑いをとることはない。お笑いタレントそのものには可能性を感じたとしても、新しい笑いを生み出してくれそうな可能性を感じさせるバラエティ番組は皆無である。お笑いタレントたちの才能はまったく生かされていない。
この傾向は、十年後も、まったく変わっていないと言えるだろう。いや、ますます悪化している。
最終章には、そんなテレビが生き返るためのキーワードとして、落語への期待とともに、次のような言葉が並んでいた。
◇見えていない中高年へのアプローチ
◇社会を風刺しなければお笑いではない
◇時代のリズムをつかむ
◇ジャーナリズムの視点を取り戻す
残念ながら、一時代を築いた創り手の警句が、生かされたとは思えない。
ますます、中高年は見放され、社会風刺どころか権力におもねり、時代のリズムに取り残され、ジャーナリズムの視点を喪っているのが、今のテレビ、そして、テレビ業界と言えるのではないか。
父の四十九日法要と納骨のため帰省し、久し振りに北海道の実家で母と二人で大晦日の夜を過ごした時、BSでテレビ東京系の、懐かしい歌ばかりの番組を見ていたら、「こんな番組があったんだ。父さんと見るんだった」と、母がボソッと言った。
私も、今の紅白の歌は、半分以上、分からない。
そもそも、ここ数十年、見ていない。
果たして、テレビ制作者は、誰を相手に番組をつくっているのか。
山田詠美さんのお父さんのような視聴者を意識したことはないのだろう。
視聴者の若返りを図ろうとしても、その若者はテレビの前にいず、スマホを見ている。
そして、お気に入りの番組がどんどんなくなることで、中高年の視聴者も離れていく。
一家団欒で見るメディアとしてのテレビの存在は、過去のこととなり、個客として視聴者を考える時代。
録画してもCMはスキップする人が大半。
テレビチューナー内蔵のスマホが一般的になるのは時間の問題かもしれない。
広告主も、時代の過渡期で、メディアミックスを試行錯誤しているはずだ。
固定電話が消えていくように、家で固定されたテレビチューナーの存在意義もどんどん薄くなるだろう。
旧態依然とした経営方針では、もはやテレビ局は生き残れないと思う。
果たして、テレビ局の経営陣はどれほどの危機感を持っているのだろうか。
政権に批判的な番組が終了したり、キャスターが降板するという事態がここ数年相次いだ。
安倍総理時代、頻繁に食事をともにする人物の中に、テレビ局の経営陣の名も多く見かけた。
そういうメディアが、この危機を打開できそうには、思えない。
もしかすると、若返りは、テレビ局の経営陣にこそ必要なのかもしれない。
お道化ながらも時代の陥穽の在りかを探り当てています。
上沼恵美子の番組は料理の先生の見事な調理ぶりと、上沼の類稀なるコメント力にあります。好きな番組でした。
