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中村哲『人は愛するに足り、真心は信ずるに足る』(聞き手 澤地久枝)より(16)


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『人は愛するに足り、真心は信ずるに足る』

 『人は愛するに足り、真心は信ずるに足る』の副題は「アフガンとの約束」となっている。

 澤地さんが中村さんの活動を支援したいと思い、中村さんに会って本を出そうと考え、ようやく2008年と2009年に実現した対談を元にした本。
 2010年に岩波から単行本が刊行され、昨年9月に岩波現代文庫で再刊された。
 十六回目。

 目次をご紹介。
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はじめに
Ⅰ 高山と虫に魅せられて
Ⅱ アフガニスタン、命の水路
Ⅲ パシュトゥンの村々
Ⅳ やすらぎと喜び
あとがき 澤地久枝
あとがきに添えて 中村哲
岩波現代文庫版あとがき 澤地久枝
[現地スタッフからの便り1] ジア ウルラフマン
[現地スタッフからの便り2] ハッジ デラワルハーン
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 引き続き、第四章「やすらぎと喜び」から。

 十歳で亡くなった、中村医師のご次男のこと。

  一人の父親

 2001年10月、国会での中村医師の証言には、万感のこもると思われる一節がある。「(アフガンが直面する)餓死については、自民党だとか共産党だとか社民党だとか、そういうことではなくて、一人の父親、一人の母親としてお考えになって、私たちの仕事に個人の資格で参加していただきたい」。
 訴える「一人の父親」の心中には、不治の病床の愛息の姿があったはずである。確実に生命の期限は近づく。すこしでも遊びにつれてゆき、楽しい思いをさせてやりたい。「代りに命をくれてやっても・・・・・・」というのが親の思いであった。だが、この父親にその「自由」はない。
 2002年12月、容態悪化。息子は死の二週間前まで精神状態は正常で、父の顔を見ると「お帰りなさい!」と明るく目を輝かせた。ついに痛みがはじまって、日頃我慢強い子が七転八倒した。「サリドマイド」は突発性の激痛に対して即効性がある。だが、入手は絶望的に困難だった。ハンセン病末期の痛みの特効薬として現地で使っているクスリである。日本では、それが手に入らない。ようやく手にし、処置のあと激痛はピタリととまる。死の二週間前だった。
 12月27日夕刻、昏睡状態に。深夜、呼吸停止。心臓停止。「脳ヘルニアによる延髄圧迫・脳死」と往診の医師立ち会いで判断した。
    「享年十歳、親に似ず優しい聡明な子であった」「翌朝、庭を眺めると、
    冬枯れの木立の中に一本、小春日和の陽光を浴び、輝くような青葉の肉桂
    の樹が屹立している。死んだ子と同じ樹齢で、生れた頃、野鳥が運んで
    自生したものらしい。常々、『お前と同じ歳だ』と言ってきたのを思い
    出して、初めて涙があふれてきた」「バカたれが。親より先に逝く不幸者が
    あるか。見とれ、おまえの弔いはわたしが命がけでやる。あの世で待っとれ」
    (『医者、用水路を拓く』)。
 息子を喪って、しばらくはその空白に呆然と日々を過したという。子どもは父親の夢枕にあらわれた。それは、母親の悲しみでもあったであろう。「背後を刀で刺された思いであった」と中村医師は語っている。

澤地 これは、またひどく立ち入った質問になりますけれども、伊藤さんのことがあったあとで、ご夫妻でどんな会話をなさいましたか。奥さま、何とおっしゃいました?
中村 自分も子どもを亡くしてますからね、「同情するしか、何もしてあげられないね」ということでしたね。
澤地 亡くされた息子さんは、先生ご夫妻が四回目の出産で男と女の双生児をさずけられたときの息子さんなのですね。脳の神経の難しい腫瘍で亡くなったんですね。何回か手術をなさったんですか。
中村 二回です。
澤地 診断が2001年6月。それから亡くなるまで、どれぐらい時間があったのですか。
中村 一年と五カ月。
澤地 それしかなかったんですか。非常にけなげに耐えられたそうですね、手術にも。
中村 ええ。ええ。
澤地 八歳と五カ月で発病といったら、ほんの子どもですよね。十歳にも満たないで。頭も全部剃られて、開ける手術ですか。
中村 ええ。
澤地 手術は、うまくいったんですか。後遺症もなしですか。
中村 手術はうまくいっても、どうしても運動神経を切らなくちゃいけないので、左の完全麻痺が起きました。
澤地 それは、もう治らないものですか。
中村 ええ。それは死ぬまで治らない。

  
 滅多に家族のことを話さない中村医師だったが、2008年8月と11月に続き、2009年2月の三回目の対談となり、澤地さんの人柄もあって、初めて、亡くなったご次男のことを話してくれたのだろう。

 ご子息は、手術で運動神経を切らざるを得ず、片手しか動かない状況でも、器用に物を作っていて、中村医師も一緒に、大工仕事で机や棚を作ったとのこと。

 幼い子を襲った病気は神経膠腫という腫瘍で、神経に沿って浸潤していく厄介な病気だったようだ。

 もはや絶望的な状況に陥った時、中村医師は、ペシャワール会の仲間に、「頼むから一ヵ月ぐらい休みをくれ」と言って、ご子息を病院から家に引き取った。

澤地 苦しいとか、痛いとか、助けてとか言いませんでした?
中村 言わなかったですね。
澤地 よく辛抱しましたね。
中村 そこが子どもらしくないところで、気を遣うんですよ。世話してくれる人に。周りが気を遣っていると。こちらが「あと何カ月もつだろうか」と心配していると、それを察するわけですね。子どもって、案外敏感だから。
澤地 敏感ですからねぇ。
中村 人間はいっぺん死ぬからって言いましたよ。
澤地 十歳で、そんなこと言うんですか。
中村 あの子が、言ったんですよ。
澤地 つまりは、慰めてくれているんですね。
中村 うん、そうでしょう。
澤地 自分を納得させるということよりもね。
中村 本人は、もう諦めるというか、受け容れていたんでしょうね。そうとしか思えない。ある程度子どもだましは通用しますけど、それは一時的なもので、あとは何事もなかったのごとく接する以外、ないわけです。

 1992年4月にお生まれになったご次男は、2002年12月に旅立った。

 十歳の子どもでありながら、最後まで気丈に、周囲の人への気遣いを忘れなかったご次男。
 なかなかできることではない。

 やはり、中村医師の血が流れていた、と言うべきなのだろう。

 中村医師にとって、辛い別れを一瞬でも忘れさせてくれるのが、アフガニスタンでの医療活動であり水路建設だったのかもしれない。

 そして、緑を取り戻した故郷に戻って来た家族の中に、ご次男と同じような年齢の子どもたちの笑顔を見た時、きっとご次男のことを思い出されたに違いない。


 その中村医師亡き後の、アフガニスタンは、今、どうなっているのか。

 先週21日の金曜日、NHK BSの「国際報道 2022」を観た。
NHKサイトの該当ページ

 サイトから引用。

国際報道 2022
アフガニスタン 経済制裁が招いた経済崩壊と飢餓
初回放送日: 2022年1月21日

▽緊迫ウクライナ情勢巡り米ロ外相会談 現地から中継▽過去最短の“終末時計”米の核戦略は▽北京五輪まで2週間 感染拡大を警戒▽トンガ噴火続報▽香港に眠る日本人

1973年のクーデターで亡命した最後の国王の孫にあたるナデル・ナイーム氏は、2002年祖父とともに平民として帰国し、国民の声が政治に反映されるよう活動を続けてきた。彼はタリバン復権後もアフガニスタンに残り、独自に新たな支援組織を立ち上げることを決意。各国の支援のお金がタリバン政権を介さないで、直接各地の民に渡るよう奔走している。国際社会からの経済制裁がアフガニスタンにもたらした惨状を伝える。

 ザヒルシャー元国王の孫、ナデル・ナイ―ムが、死に瀕した子どもに会っていた場面は、目頭が熱くなった。

 アフガニスタンへの経済制裁で、タリバン政権の資金凍結が、経済崩壊の大きな要因となっている。

 ナデル・ナイームは、国際社会からの支援が国民に十分行き渡らない事態を好転させる糸口はないか、とタリバンに面会を求めた。
 タリバンの報道官はナイームの質問に、「私たちはすべての力を注いで、この問題を解決するために尽力しています。たとえば、私たちは通過を安くしました。しかし、根本的に解決するには国際社会に資金凍結を解除してもらうしかないのです」と言う。
 ナイームが続けて、「国際社会が求めているのは、国際社会のルールを守ることです。一つは女性の権利、二つ目は包括的な政府をつくることです。問題を解くカギはどこにあるのか、タリバン政権が自ら探し出すべきなのではないでしょうか」と尋ねると、タリバン報道官は「タリバン政権になってから、政府の役人がどれだけ変わったと思いますか。わずか3%です。残りの97%は前の政権のままです。みんな包括的な政府をつくれ、と言いますが、それは一体どういうものなのか、誰も明確にしていない」など、従来の主張を繰り返すだけだった。

 もちろん、タリバン側にも国際社会の理解を得る努力は必要ではある。

 しかし、私には、タリバンのことを真に理解しようとせず、タリバン=イスラム過激派という短絡的な等式をあえて広めようとしている、アメリカの責任が大きいと思う。

 彼らは敬虔なイスラム教徒であるが、過激なテロ組織などではない。

 このまま経済制裁をやめないと、干ばつの影響を含め、アフガ二スタンの多くの人々が飢餓の危機に直面するばかりだ。
 

 次回も同じ章から、中村医師が、タリバンについて語る部分を含めご紹介したい。

Commented by Ponchi at 2022-01-24 21:20
 ユダヤ教、キリスト教、イスラム教間の対立は根っ子が同じだけに難しいでしょうね。同じ宗教間でも派による争いが絶えません。
 私の両親はプロテスタント系のキリスト教信者でしたが、カトリックに関しては批判的でした。比較的温和だった両親も信仰となると、不寛容になるものだなと感じました。
 私自身は亡父の方針から幼児洗礼も受けず、未だに入信はしていません。仏教に関心はあるものの、上座部・大乗あるいは特定の宗派を信仰する気にはなれないままです。
 極論ですが、宗教上の対立は表向きで、経済格差、はっきり言ってしまうと貧富の差が最大の原因ではないでしょうか。
 
Commented by kogotokoubei at 2022-01-24 21:27
>Ponchiさんへ

中村医師は洗礼を受けていますが、子どもの頃からご両親の方針で論語の素読もしていました。
医師は、キリスト教、イスラム教、仏教の共通性を、著書で何度も指摘されています。
私は、基本的に無宗教ですが、興味は仏教の方に傾いているかもしれません。
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by kogotokoubei | 2022-01-24 20:27 | 今週の一冊、あるいは二冊。 | Trackback | Comments(2)

あっちに行ったりこっちに来たり、いろんなことを書きなぐっております。


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