北海道への帰省ー父の四十九日と納骨、約四十年ぶり実家での年越し(5)
2021年 12月 30日
実家から徒歩10分ほどの場所に、「道の駅」と博物館(「だて歴史文化ミュージアム」)などを含む「だて歴史の杜」がある。

二年前6月の帰省の記事でご紹介した通り、故郷は、亘理伊達家が開拓してその名を残した町だ。
2019年6月26日のブログ
「道の駅」と「ミュージアム」の間の広場には、大きな兜がある。

この場所は、思い出深い。
三年前、父を車椅子に乗せて散歩した際、写真を撮った場所だ。

伊達の歴史には、新たなページが加わっていた。

北黄金貝塚を含む「北海道・北東北の縄文遺跡群」が、今年7月に世界遺産に登録されたのである。
詳しくは、こちらの「伊達市教育委員会」で紹介されている。
伊達市サイトの該当ページ
同遺跡群のサイトから、「北黄金貝塚」に関する説明を引用する。
「北海道・北東北の縄文遺跡群」サイトの該当ページ
北海道南西部、内浦湾東岸の伊達市に所在し、標高10~20メートルの丘陵上に立地します。水産資源豊富な内浦湾に面し、後背地には落葉広葉樹の森が広がっていました。
集落には竪穴建物、墓、貝塚、水場遺構など多様な施設が見られ、貝塚からはハマグリ、カキ、ホタテなどの貝類や、マグロ、ヒラメなどの魚骨のほか、オットセイ、クジラなどの海獣類の骨も多く出土しており、漁労を中心としたこの地域の生業を示しています。
貝塚や住居は海進・海退などにより変化した当時の海岸線と連動して形成されており、自然環境の変化と生活域との関連性を示しています。また、貝塚と墓域が一体となった祭祀場が形成され、埋葬人骨を含む墓や、シカの頭骨を配置した動物儀礼の痕跡が確認されました。
湧水点近くの水場遺構からは、木の実をすりつぶすための大量の礫石器(すり石や石皿)が出土しており、そのほとんどが破損していることから、石器の廃棄に伴い祭祀・儀礼が行われたと考えられます。
本資産は、定住発展期前半の貝塚を伴う集落であり、沿岸地域の生業や、海進・海退といった環境変化への適応、貝塚や水場での祭祀・儀礼などの高い精神文化を示す重要な遺跡です。
ということで、故郷「北の湘南」伊達を語る時、覚えておくべき内容が増えた。
さて、これから、母と夕食だ。
内浦湾(噴火湾)の幸、帆立の刺身が待っている^^
うらやましいですよ。
たまたま、そういう巡りあわせだったのでしょうね。
今まで、夕食を一緒に食べながら母の昔話を聞いていました。
すると、なんと北黄金貝塚を最初に発掘したのが、母の女学校時代の恩師、峰山巌先生だと判明・・・・・・。
明日、もう少し調べて記事にする予定です。
