中村哲『人は愛するに足り、真心は信ずるに足る』(聞き手 澤地久枝)より(6)
2021年 12月 30日
昨夜は、母と二人で、すき焼きの夕食だった。
夕方、足らない食材を私が買いに行き、私が鍋奉行を務めた^^
さあ、もうじきその鍋の残りで雑炊の朝食だ。

『人は愛するに足り、真心は信ずるに足る』
『人は愛するに足り、真心は信ずるに足る』の副題は「アフガンとの約束」となっている。
澤地さんが中村さんの活動を支援したいと思い、中村さんに会って本を出そうと考え、ようやく2008年と2009年に実現した対談を元にした本。
2010年に岩波から単行本が刊行され、今年9月に岩波文庫で再刊された。
六回目。
目次をご紹介。
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はじめに
Ⅰ 高山と虫に魅せられて
Ⅱ アフガニスタン、命の水路
Ⅲ パシュトゥンの村々
Ⅳ やすらぎと喜び
あとがき 澤地久枝
あとがきに添えて 中村哲
岩波文庫版あとがき 澤地久枝
[現地スタッフからの便り1] ジア ウルラフマン
[現地スタッフからの便り2] ハッジ デラワルハーン
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第二章「アフガニスタン、命の水路」からご紹介。
章の扉にある地図。

よみがえる大地
最初のインタビューが終り、中村医師が水路建設のさなかのアフガニスタンへ向かわれてすぐ、八月二十六日、現地で伊藤和也ワーカーの拉致、殺害の悲しい事件が起きた。
伊藤さんの柩につきそって中村医師は一時帰国。現地の空気の変化から危険を感じ、日本人ボランティアの一時帰国をすすめていたときの事件であった。中村医師は現地へ帰る途中のバンコクで急報を受けている。私たちの仕事は手をつけたばかりで、前途になんの見通しもなくなった。待つ。それしかないと心を決めたのだが、思いがけず十一月、中村医師は参議院から招かれて帰国された。内閣提出のテロ対策海上阻止活動に対する補給支援実施の案件である。
伊藤さんの死に同情の声は高く、犯人はタリバンと連日報道され、現地の実態は知らされないまま、日本国内に一種のムードが生れていた。
伊藤和也さんの死について、当時のAFPのニュースから引用。
AFPの該当ニュース
アフガニスタンで誘拐された伊藤さんの遺体発見 NGO関係者ら確認
2008年8月28日 1:41 発信地:ジャララバード/アフガニスタン [ アジア・オセアニア アフガニスタン ]
【8月27日 AFP】(一部更新、写真追加)アフガニスタン東部で日本の非政府組織(NGO)「ペシャワール会」の農業専門家、伊藤和也(Kazuya Ito)さん(31)が誘拐された事件で、事件が発生したクズクナル(Kuz Kunar)の地区長は27日、アフガニスタン警察が日本人男性の射殺体を発見したと発表した。
この地区長が遺体発見の数分後にAFPに語ったところによると、遺体は誘拐された伊藤さんとみられ、銃で数発撃たれた跡があるという。またこの地区長によれば、伊藤さんとともに誘拐され、数時間後に解放された伊藤さんの通訳兼運転手のアフガニスタン人も、伊藤さんの遺体を確認したという。遺体が発見された山のふもとにいた警察の報道官はAFPに対し、遺体は伊藤さんのようだが、確実に断定するため遺体を直接見るのを待っていると述べた。
一方、首都カブール(Kabul)の日本大使館職員は、アフガニスタン当局から、伊藤さんが武装勢力に殺害され遺体が発見されたとの連絡を受けたことを明らかにした。
伊藤さん殺害から十年後の西日本新聞からも引用したい。
西日本新聞の該当記事
アフガニスタンで復興支援に当たる福岡市の「ペシャワール会」スタッフ、伊藤和也さん=当時(31)=が現地で武装グループに殺害された事件から26日で10年を迎える。伊藤さんらの活動が礎となった取り組みは、同国の大統領も「復興の鍵」と認めるまでになった。治安は今も極度に悪く、日本人スタッフの活動に限界もあるが、住民に用水路建設のノウハウを伝えるなど支援の幅は広がりつつある。
「彼を忘れないことはもちろん、危機管理の重要性を常に考えていく必要がある」。22日、ペシャワール会の事務局で開かれた伊藤さんをしのぶ会。約30人を前に、福元満治事務局長(70)はそう強調した。
同会は2000年に起きた大干ばつを受け、03年に用水路建設を始めた。この年から参加した伊藤さんは作物の試験栽培などを主に担当。08年8月26日に武装グループに拉致、殺害された。
現地では今もテロが頻発する。事件後に日本人スタッフの大半が帰国し、その後の渡航もままならない。現地で継続的に活動するのは中村哲・同会現地代表(71)だけで、作業現場以外には外出しない。
そんな中、同会の活動は着実に実を結びつつある。これまでに建設、補修した用水路で潤う土地は福岡市の面積の約半分に当たる約1万6千ヘクタール。中村さんは2月、ガニ大統領から国家勲章を受けた際「探していた復興の鍵が、あなた方の仕事だ」と言われたという。
「アフガン各地が干ばつに苦しむ中で支援を続けていくことが、何より伊藤さんの弔いになるはずだ」と、中村さんは話す。
記事中にあるガニ大統領から受けた国家勲章が、中村さん襲撃の一因となった、という説もある。
本書からの引用を続ける。
参議院での証言を終えて、中村医師は「闘志」のかたまりのようになっていた。静かな火である。伊藤さんのことにふれるのは、傷に焼火箸をさすにひとしいように私は思い、弔意は口にしたが、「なぜ?」というたぐいの質問はしなかった。現地は落ちついているという、その作業の進捗状況からうかがった。
アフガン現地は、水路の第三次建設にかかろうとし、酷暑のもとで労働がつづいていた。第一期工事の十三キロの水路には、水が流れ、人が動物が水に寄ってくる。緑色の大地が姿をあらわしていた。
全員しろうとの集団である。中村医師はこれまで、帰国のたびに九州各地の用水や水路を見て歩いた。そこで見出した古人の知恵をアフガンに生かして切りぬけているし、アフガンにもまた古来からの生きる知恵があった。一つの例は蛇籠(じゃかご)である。コンクリートで護岸を築くところへ蛇籠を積んだ。現地の人たちはわが家を建てる礎石に泥や石を利用し、いわば石工の技術をもっている。針金を亀甲模様に編んでゆき、そうして作った網目状の「袋」に石をつめて蛇籠とする。形の一定しない蛇籠も、きちんと積まれると、きっちり直線を描く堤になった。水を引きいれ、さきへ水路を掘りすすむ。その背後に、確実に緑がよみがえった。確実に緑がよみがえった。護岸の強化には柳の一種が使われ、地下にのびた柳の蛇籠にからみついて、堤を強化するのに役立った。なによりも、緑の木々は天恵の救いのようだった。
蛇籠、日本の、そしてアフガンの古人の知恵、そういった用水路建設のご苦労について、次回は、お二人の会話からご紹介したい。
アフガニスタンは、今も、干ばつに見舞われている。
多くの国民が食糧危機に直面している。
中村哲さんの遺志を継ぐ人々は、用水路建設作業を続けているが、アフガンの地は、あまりにも広い。
ワーカーの人も必要だし、もちろん、お金も必要だ。
まさか、一昨日、中学の同級生のKさんがペシャワール会に入っているとは思わなかった。
私も入会を決めた。
もし、ご興味のある方は、「ペシャワール会」サイトの入会・寄付についての説明のページをご確認ください。
「ペシャワール会」サイトの該当ページ
中村哲さんを尊敬し、すでに行動していた同級生に会えたことは、今回の帰省の思いがけないご褒美だったように思う。
今日はペシャワール会報のことでも書こうかな。
