真鍋さんのご自宅に飾られた、ある作家の詩。
2021年 10月 07日
インタビューでは、料理上手、運転上手の奥様のことを強調されていたが、もちろん、内助の功も重要だと思う。
そして、ご本人がおっしゃるように、常に好奇心を持ち、好きな研究に打ち込んでこられたことも大きな要素に違いない。
心身とも健康を維持するという意味で、その精神面の秘密をうかがえそうな記事があった。
朝日新聞の、ご自宅の様子も紹介する記事から引用。
朝日新聞の該当記事
真鍋さんが言葉を濁す「日本へのメッセージ」記者が感じた切なる願い
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プリンストン=藤原学思2021年10月6日 18時00分
自宅の壁には、井上靖の詩の一節が飾られていた。
5日、米東部ニュージャージー州。プリンストン大学から車で5分の場所にあるその家には、朝から大勢のメディアが詰めかけた。
同大学上級研究員の真鍋淑郎さん(90)。地球温暖化の予測法を開発し、米時間の早朝、ノーベル物理学賞の受賞が決まった。
午前8時ごろに着くと、家の中から英語でインタビューをしている様子が漏れ聞こえてきた。しばらく待ち、日本の新聞社や通信社、テレビ局とともに中に入る。えんじ色のセーターを着た真鍋さんが、頭を下げて出迎えてくれた。
《南紀の海はその一角だけが荒れ騒いでいた……》
リビングの壁に、そんな書が見えた。調べると、井上靖が新聞記者時代、三重・熊野を訪れた際に書いた「渦」だった。
テレビ局の記者がマイクを向け、「おめでとうございます」と語りかける。
「いまねえ、英語でね、インタビューしたんですけど、やっぱり日本語で聞いていただいて、日本語で答えなければ、インタビューでは役に立たんと思いますので」
意外だった。
1931年に生まれた真鍋さんは東大大学院を修了後、58年、米国に渡った。97年にはいったん日本に帰国し、科学技術庁(当時)の地球温暖化予測研究領域長のポストに就いたが、2001年に辞任した。
当時の記事を読むと、日本の縦割り行政を批判し、「長く米国にいた私は適役ではない」と語っている。
その記事を取材の準備に読んでいた。だから英語の方が話しやすいのではないかと、勝手に思っていた。
朝日から、リビングの写真もお借りした。

右が、井上靖の「渦」。
ちなみに、左は、白鳥省吾の詩。
「渦」の内容を、井上靖文学館サイトから引用したい。
「井上靖文学館」サイトの該当ページ
「渦」
静かな初冬の日、藍青一色に凪いだ南紀の海はその一角だけが荒れ騒いでいた。波浪は鬼ケ城と呼ばれるその岬の巨大な岩壁を咬み、底根しらぬ岩礁のはざまはざまに、幾つかの大きい渦をつくっていた。むかし鬼が棲んでいたと伝えられる広い岩のうてなの上に立って、私は刻(とき)の過ぎるのも忘れて、ただ刻まれては崩されている渦紋の孤独傲岸なマスクに心うばわれていた。
そこの旅から帰り、都会の喧噪な生活の中に立ち戻ってからも、私はよく、夜更けの冷たいベッドの中で、そこ遠い熊野灘の一隅の黯い潮の流動を思いうかべることがある。そんな時きまって思うのだ、あそこには鬼が棲んでいたのではない、棲んでいた人間が鬼になったのだと。そしていまこの瞬間もまた、あの暗褐色の濡れた肌へに息づき、くろい潮のおもてに隠見しているに違いない名知らぬ藻の、この世ならぬ碧(みど)りの切なさを見つめていると、真実、いつか鬼以外の何ものでもなくなっている己が心に冷たく思い当るのであった。
なぜ、己が鬼以外の何ものでもなくなっている、と表現したのだろうか。
「観光三重」サイトに、解説があったので、引用する。
「観光三重」サイトの該当ページ
文壇に出る前、大阪の毎日新聞で記者をしていた井上靖は、詩の創作に励んでいた。『渦』は彼が熊野市を訪ねたときのことを書いた一篇。作中には、荒れ騒ぐ波、巨大な岸壁、岩礁が作りだす大きな渦など、鬼ヶ城の厳しい風光が巧みに描かれている。井上は、鬼が棲んでいたと伝えられるその岬に出会い、己が戦争を経て鬼になっていたことに気がつく。しかし後の発表となる『死と恋と波と』では、逆に人間性を回復してくれる穏やかで美しい熊野の海を描いている。
静と動の大自然は、作者を魅了し、作者の叙情をかき立てた。藍色の静かな海、その一角を崩す荘厳な岬は、当時と少しも変わらず、誰かが訪れても深い感動にひたることができる。
井上靖の経歴をWikipediaで確認すると、戦争前後は、このようになっている。
Wikipedia「井上靖」
1936年(昭和11年) - 京都帝大卒業。『サンデー毎日』の懸賞小説で入選(千葉亀雄賞)し、それが縁で毎日新聞大阪本社へ入社。学芸部に配属される。日中戦争のため召集を受け出征するが、翌年には病気のため除隊され、学芸部へ復帰する。なお部下に山崎豊子がいた。
戦後は学芸部副部長を務め、囲碁の本因坊戦や将棋の名人戦の運営にもかかわる。
1950年(昭和25年) - 『闘牛』で第22回芥川賞を受賞。
自伝的な小説もあるようなので、戦争体験も記されているのかもしれないが、私は、ほとんど井上靖の作品を読んでいないので分からない。
日中戦争での経験が、鬼ケ城と荒波を見ることで思い出され、人が鬼になる、そして、己が鬼以外の何ものでもなくなるという思いを募らせていたのだろうか。
どんな場所なのか、鬼ケ城についてもWikipediaから、文章と写真を拝借。
Wikipedia「鬼ケ城」
鬼ヶ城(おにがじょう)は三重県熊野市木本町にある海岸景勝地。国の名勝(「熊野の鬼ケ城 附 獅子巖」〈くまののおにがじょう つけたり ししいわ〉)の一部である。
熊野灘の荒波に削られた大小無数の海食洞が、地震による隆起によって階段上に並び、熊野灘に面して約1.2km続いている。志摩半島から続くリアス式海岸の最南端で、これより南はなだらかな砂浜の海岸(七里御浜)へと変わる。東口から山頂へ通じるハイキングコースには桜が植えられており、春には4種類の桜が次から次へと開花して長期間花見が楽しめる。
1935年(昭和10年)に国の天然記念物に指定された後、1958年(昭和33年)に獅子巌が追加指定され、名勝および天然記念物「熊野の鬼ケ城 附 獅子巖」となった。ユネスコの世界遺産『紀伊山地の霊場と参詣道』(2004年7月登録)の一部。また、日本百景に選定されている。

これが、鬼ケ城の獅子巖か。
真鍋さんが、井上靖の「渦」という詩の書をリビングの壁の飾っている理由を、私なりに考えてみた。
真鍋さんの研究は、世界で初めて「大気の流れ」と「海洋の循環」を結合した結合気象モデル(「真鍋モデル」と現在では呼ばれている)を構築したことだ。
そのモデルにコンピュータによるシミュレーションを駆使して、二酸化炭素など温室効果ガスによる影響による地球温暖化の予測の精度を上げた。
まさに、鬼ケ城には、「海」と「大気」そのものの出会いがあるように思う。
そして、「渦」は、気候を象徴する。
台風、低気圧、天気予報で、渦を見ないことは、滅多にない。
真鍋さんは、大自然の営みには人間は勝てないのだ、ということも感じていたのかもしれない。
そして、井上靖が詩に込めた思い。
鬼が棲んでいたのではなく、棲んでいた人が鬼になる。
それは、自然環境を破壊し続ける人間の残酷さ、狂気を、真鍋さんに感じさせていたのではなかろうか。
地球的な視野で、そして、長期的な視点で研究を続けてきた真鍋さんにとって、政治の世界に、そして、国と国との争いごとに見出す人間の“鬼”の顔を忘れないことが、大きな精神的な支えになってきたのかもしれない。
あくまでも、私の勝手な推測である。
