一度だけ生で聴いた、仁鶴の高座の思い出。
2021年 08月 20日
スポーツ報知から、引用。
スポーツ報知の該当記事
笑福亭仁鶴さん、骨髄異形成症候群のため84歳で死去 「四角い仁鶴がまあるくおさめまっせ」
2021年8月20日 17時0分スポーツ報知
上方落語を代表する関西芸能界の大御所、笑福亭仁鶴(しょうふくてい・にかく)さん(本名・岡本武士=おかもと・たけし)が骨髄異形成症候群のため、17日に大阪府内の自宅で死去した。84歳だった。葬儀・告別式は親族で行われた。特別顧問を務める吉本興業が20日、明らかにした。お別れの会は未定。
(中 略)
ここ数年は闘病生活を送っていた。17年6月に、約50年間連れ添った妻・隆子さんが死去。その直前の同5月から「―生活笑百科」を体調不良で欠席した。読売テレビ「大阪ほんわかテレビ」のレギュラーも降板はしないまま、休演が続いていた。18年10月、吉本が主催する京都国際映画祭のオープニングであいさつしたのが最後の公の場となった。
奥さん没後、相当落ち込んでいたとの話もあり、心配していたが・・・・・・。
生の高座は、一度だけ聴いている。
11年前、2010年2月6日の、相模原市民会館での独演会だった。
『道具屋』と『崇徳院』の二席を楽しんだ。
その時の記事を振り返る。
2010年2月6日のブログ
一席目。
仁鶴『道具屋』(14:33-14:57)
この噺はうれしかった。仁鶴健在の証だった。もちろん往年のエネルギッシュな芸とは違うが、古希を過ぎても十分に現役であることを、前座噺を見事に演じて証明してくれたように思う。隣に店を広げる下駄屋が脇役として効果的だったし、それぞれの道具で客と珍妙なやりとりをするのだが、安心して聞けたし笑えた。
間違いなく、これまで私が聴いた『道具屋』のベストである。
そして、二席目と、全体の感想。
仁鶴『崇徳院』(15:37-16:11)
実は時節柄『初天神』を期待していた。マクラの話題が正月から七草と続いて、「やった、『初天神』か」と思わせておいて、百人一首の話からこちらのネタへ。しかし、この噺も十八番のひとつ。しっかりとした芸で、あらためて仁鶴が元気であることを確認した。
ともかく、仁鶴が期待通り、いや期待以上であった。吉本興業が今後戦略的に落語に力を入れるということも影響しているのかもしれないが、上方落語の重鎮は、まだまだ現役である。昭和12(1937)年1月28日の生まれなので73歳。談志の一歳年下、小三治の二歳年上である。「どんなんかなぁ~」の時代から年月を経ており、もちろんあのエネルギッシュさやスピード感は消えて“枯れ”てはきたが、持ち味は十分に健在である。決めのセリフで表情豊かに口だけを動かす定番の演技には、思わず笑ってしまう。
その日のことは、どこで昼食を食べたかなども含め、結構覚えている。
スポーツ報知の記事には、仁鶴が吉本の所属だったので、松竹芸能所属の師匠六代目松鶴の跡を継がなかったことも報じられている。
松鶴襲名について、筆頭弟子の仁鶴が、一門を集めて語った内容などを、以前、松枝の本から紹介した。
2012年6月18日のブログ
一度だけだが、仁鶴の高座を聴けたことは、大事な思い出だ。
とはいえ、もう少し、あの四角い顔に出会いたかった。
今頃、愛妻隆子さんが、「あら、思ったより早かったわね」と迎えているのだろう。
仁鶴さんの落語を最初に生で聞いたのは、小2の時だったか。親に連れられて行ったうめだ花月でのこと。当時既にTVで人気者でした。その時に、短い噺だったとは思いますが、演題までは記憶していません。
その後、数回生で聞いています。枕が少々エロなんです。「池田の猪買い」「青菜」は記憶しています。
隆子姫(と仁鶴さんは奧様の事を呼んでおられました)とご一緒にTV出演されていた事も。お二人の間にはお子さんがいらっしゃいませんでした。
私が子供の頃、関西ローカルで「仁鶴とあそぼう」という朝日放送の大喜利番組がありました。まだ若手のザ・パンダの4人と(途中で林家小染と桂文珍が抜け、桂小軽と笑福亭仁扇に交代)コメディNo.1の6人で、きん枝チームと八方チームで対抗戦。三味線担当だったのが、今の林家染丸(当時染二)。
仁鶴さんがこのメンバーを上手く纏めておられました。
「妻に先立たれた男は長生きできない」と巷でよく言われますが、三途の川の渡し船で、鬼の船頭から「隆子姫が待ってるよ」と聞かされて大喜びかもしれません。
まだこちらの世界で高座に上がって欲しかったけれど。
本当に、もっと長生きしていただき、その高座に接したかった。
山茶花さんほどの高座体験はありませんが、11年前の高座に縁があったのか、幸運でした。
吉本じゃなければ、七代目松鶴でしたね。
しかし、仁鶴という名前を大きくしました。
今頃、隆子姫と再会しているのでしょう。
