「東京裁判」を見て思うこと。
2021年 08月 15日
朝6時から、4時間半ほどの長さだった。
「WOWOWプラス」サイトの該当ページ
WOWOWプラスの該当サイトから引用。
戦後日本の進路を決定づけた極東国際軍事裁判(東京裁判)の全容を、膨大な記録映像をもとに小林正樹監督が4時間半強の長さでつぶさに描いた渾身のドキュメンタリー大作。
1945年8月15日、日本はポツダム宣言を受諾して全面降伏し、ついに第2次世界大戦は終結。翌1946年、戦後日本を統治する連合国軍最高司令官マッカーサーは、日本の戦争責任を問うべく、極東国際軍事裁判所条例を発布し、太平洋戦争開戦時の首相・東條英機や思想家の大川周明ら、計28名がA級戦犯の容疑で、裁判にかけられることに。同年5月より、市ケ谷の旧陸軍士官学校の講堂を舞台に、いよいよ東京裁判が始まる。
これは、一昨年公開された4Kデジタルリマスター版「東京裁判2019」。
「東京裁判2019」のサイト
同映画公式サイトからも、引用。
アメリカ国防総省が撮影していた50万フィートに及ぶ膨大な裁判記録のフィルムをもとに、『壁あつき部屋』(56)や『人間の條件』六部作(59~61)などで戦争の非を訴えた、反骨の名匠・小林正樹監督が5年の歳月をかけて編集、制作した。客観的視点と多角的分析を施しながら「時代の証言者」としての“映画”を完成させたのである。83年に公開され、単に裁判の記録といった域を越え、日本の軍国主義の歩みと激動の世界情勢を照らし合わせながら、戦後38年当時の日本人に人類がもたらす最大の愚行「戦争」の本質を巧みに訴え得た本作は、第35回ベルリン国際映画祭国際批評家連盟賞をはじめ国の内外で絶賛された。
最初の公開は、昭和五十八(1983)年。
Wikipedia「極東国際軍事裁判」から、引用する。
Wikipedia「極東国際軍事裁判」
極東国際軍事裁判(きょくとうこくさいぐんじさいばん、英語: The International Military Tribunal for the Far East)とは、第二次世界大戦後、ドイツでニュルンベルク裁判が行われたのと対応して、連合国が戦争犯罪人として指定した大日本帝国の指導者などを裁いた一審制の軍事裁判のことである。東京裁判(とうきょうさいばん、英語: Tokyo Trial)とも称される。
ドイツの降伏後にイギリス、フランス、アメリカ合衆国、ソビエト連邦の4ヵ国が調印した国際軍事裁判所憲章を参照して極東国際軍事裁判所条例が定められた。11カ国(オーストラリア、カナダ、中国、フランス、インド、オランダ、ニュージーランド、フィリピン、ソ連、英国、米国)が裁判所に裁判官と検察官を提供した。弁護側は日米弁護士で構成された。極東国際軍事裁判に起訴された被告は合計28名であった[1]。1946年(昭和21年)5月3日から1948年(昭和23年)11月12日にかけて行われた。
Wikipediaから、最終的な訴因の部分を引用。
最終的訴因
当初55項目の訴因があげられたが、「日本、イタリア、ドイツの3国による世界支配の共同謀議」「タイ王国への侵略戦争」の2つについては証拠不十分のため、残りの43項目については他の訴因に含まれるとされ除外され、1948年(昭和23年)夏には、最終的には以下の10項目の訴因にまとめられた。
訴因1 - 1928年から1945年に於ける侵略戦争に対する共通の計画謀議
訴因27 - 満州事変以後の対中華民国への不当な戦争
訴因29 - 米国に対する侵略戦争
訴因31 - 英国に対する侵略戦争
訴因32 - オランダに対する侵略戦争
訴因33 - 北部仏印進駐以後における仏国侵略戦争
訴因35 - ソ連に対する張鼓峰事件の遂行
訴因36 - ソ連及びモンゴルに対するノモンハン事件の遂行
訴因54 - 1941年12月7日〜1945年9月2日の間における違反行為の遂行命令・援護・許可による戦争法規違反
訴因55 - 1941年12月7日〜1945年9月2日の間における捕虜及び一般人に対する条約遵守の責任無視による戦争法規違反
被告と量刑の部分をコピーして引用。


オーストラリア人のウェッブ裁判長は、天皇に戦争責任があるとする考えだった。

しかし、主席検察官のキーナンは、マッカーサーの意向を受けて、天皇の責任を回避させようとする。
印象的だったのは、キーナンが、何度も東條英機に天皇に責任がないことことを言わせようとする質問をする場面。
しかし、一度は、東條が天皇の責任を匂わせる対応をしてしまい、ウェッブ裁判長は、その発言を見逃さなかった。
キーナンは、あらためて東條に質問をし、天皇は開戦に反対だったが、やむなく認可したと発言させる。

文官で唯一絞首刑となった弘田弘毅。
あえて自分の意見を表明することなく、文官で自分が死刑にならないと収まらない、と極刑に甘んじた。

三国同盟締結の鍵を握った大島浩は、終身禁固となった。

映画は、裁判の後のベルリンの壁、ベトナムや中東など、新たな戦争のことで締めくくられる。
あの裁判で、いったい何が裁かれたのか、と問いかける。
見ていて、やはり、虚しさが募る。
開戦当時に海軍大臣だった嶋田繁太郎と外務大臣だった東郷茂徳の間の、なんとも見苦しい諍いには、開戦時に、適材を得ていなかったことを、再認識した。
あの裁判については、いろんな見解があるだろう。
もちろん、戦勝国による敗戦国への不公平な、一方的な裁判、という指摘もある。
重要なことは、あんな裁判が行われないようにしなければならない、ということだ。
4時間を超える映画は、逆説的ではあるが、この映画が作られたこと自体が不幸である、ということを伝えていたように思う。
