マーティン・ファクラー著『日本人の愛国』より(15)
2021年 07月 21日

マーティン・ファクラー著『日本人の愛国』(角川新書)
角川新書から6月10日付けで発行された、マーティン・ファクラーの『日本人の愛国』から最終十五回目。
引き続き、最終の「第八章 沖縄の人々」から。
琉球独立論
思い返せば、その萌芽は翁長さんの琉球語以前からあった。翁長さんに東京で会った前年、第二次安倍政権を発足させた安倍首相のもとで初めてとなる大型国政選挙、参議院議員選挙を取材するために、私は沖縄へ取材に向かった。
そこで私は沖縄県を拠点として琉球の独立を訴えて活動している政治団体、かりゆしクラブが開催した勉強会を取材した(かりゆしというのは、琉球語で「めでたい」という意味がある)。
このころ、沖縄の独立を求める声があがっていて、私は強い関心を引かれた。たとえば13年4月1日には衆議院沖縄2区選出の照屋寛徳議員が、自身のブログで「沖縄、ついにヤマトから独立へ」と題した記事を投稿している。
「私は、明治いらいの近現代史の中で、時の政権から沖縄は常に差別され、今なおウチナーンチュは日本国民として扱われていない現実の中で、沖縄は一層日本国から独立した方が良い、と真剣に思っている」
ブログのタイトル内で記された「ヤマト」は日本全土を、投稿中び「ウチナーンチュ」は沖縄の人をそれぞれ指す沖縄の言葉だ。
さらに5月には石垣市生まれの経済学者、松島泰勝龍谷大学教授らを共同代表(当時)とする学会組織、琉球民族総合研究学会が宜野湾市内で設立された。発足に向けたリーフレットには、設立趣意書より、としてこんな言葉が綴られていた。
「日米により奴隷の境涯に追い込まれた琉球民族は自らの国を創ることで奪われた主権を取り戻し、人間としての尊厳、島や海や空、尊い文化、先祖の魂(まぶい)、そして子や孫や仲間や自らの命を守ります」
なぜこのような動きが目に付くようになったのか。案内された那覇市内の市場近くに用意された会場には、20人ほどの沖縄県民が集まっていた。集まっていた人々はかりゆしシャツを着て、楽しそうに話していた。
「琉球民族総合研究学会」のサイトから、設立趣意書の冒頭部分を紹介したい。
「琉球民族総合研究学会」のサイト
琉球の島々に民族的ルーツを持つ琉球民族は独自の民族である。15 世紀半ばのポルトガル人、トメ・ピレスが書いた『東方諸国記』において、琉球民族はレケオ人、ゴーレス人と呼ばれ、「かれらは正直な人間で、奴隷を買わないし、たとえ全世界とひきかえでも自分たちの同胞を売るようなことはしない。かれらはこのことについては死を賭ける」と記述されている。また、琉球國はかつて独立国家であり、『歴代宝案』において明らかなように、アジア諸国と外交関係を結び、19 世紀中頃には欧米諸国とも友好条約を締結していた。
琉球民族というアイデンティティを学びながら、琉球はどうあるべきかを考える学会、ということか。
20人の集会は、その後どうなったのか。
話し合いが終わると、「さよならニッポン!」というコメディ映画を鑑賞した。独立戦争を起こす気配はまったくなかった。
なかには、熱心な人もいた。かりゆしクラブの屋良朝助さんは、琉球独立党の前党首として選挙に出ていて、集会の後に選挙運動に出かけた。商店街で「琉球共和国」の旗を持っている支持者たちの前に立って、買い物をしていた人たちに熱く語っていた。
「1972年に、沖縄はアメリカの植民地から日本の植民地に戻っただけです!」
私の好奇心はさらに膨らんだ。集会には、沖縄タイムスの元新聞記者、比嘉康文さんも参加していた。比嘉さんは、沖縄返還時にアメリカ軍基地を復帰前の状態で維持できるように日米間で確認された「5・15メモ」の存在を、マスコミで初めて指摘した沖縄の知識人の一人である。『「沖縄独立」の系譜ー琉球国を夢見た6人』(琉球新報社刊)の著書もある。
比嘉さんは、こう語ってくれた。
「今までは独立に言及したら笑われていました。でもアメリカ軍基地から解放される、唯一、かつ現実的な方法が独立なのかもしれません」
比嘉さんによると、1972年の沖縄返還のときにも、琉球独立論を訴える人がいたという。日本支配に戻るだけではなく、独立という選択肢もある、という議論を当時よく見海にした。しかし、沖縄を管轄していたアメリカ軍は、耳を傾けることをしなかった。
この集会は、20人ほどが参加する小さな政治運動だ。沖縄が近い将来、独立する気配はもちろんない。ただ、興味深いのは、その当時、選挙取材でさまざまな場所へ行って、いろいろな人と話したが、だれもが独立論を知っていたことだ。会話の中にも独立論が自然に出てきたこともしばしばあった。
「東京からの差別が止まらないなら、独立もあり」
という人もいた。独立論自体の支持率は低いものの、認識度は高いと分かった。
著者は、元沖縄県知事の太田昌秀さん(2017年に逝去)にも話を聞いている。
太田さんは「独立といえば、以前はお酒を酌み交わしながら議論するものだったんですけどね。今ではより真剣に受け止められています」と答えた。
太田さんも、鳩山政権の「最低でも県外」にまつわるゴタゴタを契機に、沖縄の人々が、自分たちは違う民族であるという認識が高まってきたと指摘していた。
沖縄の方々に、自分たちをどうみるか、どう理解するか、自分たちが何者であるかという考え方そのものが今、大きく変わりつつあると思う。ずっと隠されていた感情や考え方が再び表面化され、新しいアイデンティティが芽を出し始めている。
この新しいアイデンティティは、民族としてのアイデンティティ、つまりethnic idenntityである。それと同時に、日本国内で祖先が琉球先住民である方々の人数が相対的に少数であるから、minority identity、つまり少数民族としてのアイデンティティの始まりでもある。
著者は、こう指摘しつつ、アフリカ系アメリカ人を例に出し、彼らはminority identityを強く持ちながらも、合衆国の市民としてのアイデンティティも持つように、沖縄の人も、琉球民族としてのアイデンティティを保持しながらも、日本人としてのアイデンティティを捨てようとしない人も多いと記す。
著者は、本書を次のように、締めくくっている。
民族の違いを超越した愛国の概念を、日本も作り出すときにきているのではないだろうか。失われた20年の間に国力が衰退し、戦後積み上げてきた自信をも失いつつある。日本には、社会的な秩序が守られているところなど、外国諸国と比べて素晴らしいところが数多くあると外国人の私の目には映っている。
違う民族同士が共有できるアイデンティティをどう構築するか。戦後の日本は、植民地を手放して、平和的で平等な社会を作ってきた。弱肉強食の原理で動くアメリカと異なり、公平で思いやりのある、コミュニティのメンバーを大事にする国となった。日本の愛国のあるべき姿は、戦後の今までの成果に基づくのではないだろうか。
だからこそ、新たな愛国の定義を求めるのが問われてくるのだろう。政治t的な体制なのか。経済的な体制なのか。私個人としては、社会のあり方に答えがあるのではと考えている。沖縄で図らずも表出したアイデンティティの違いを乗り越えていくことは、21世紀の日本を前進させていくチャンスであると考えている。
あらためて、著者が日本人の美徳として挙げたことを並べてみる。
〇社会的な秩序が守られている
〇平和的で平等な社会
〇公平で思いやりのある
〇コミュニティのメンバーを大事にする
コロナ対策における失政、休業などで被害を受ける国民への不十分な補償、感染拡大中での強引な五輪開催、といった今の日本の状況で、果たして、上記のような日本人のアイデンティティは、まだ保持されているのだろうか。
この国を愛することは、決して、その政治体制を愛することではない。
少数民族であっても日本人としてのアイデンティティを大事にする人も含めて、誇ることのできる日本と日本人を愛することが、愛国心なのだろう。
相互扶助の精神を大事にし、競争することより協調することを優先し、弱者への思いやりを忘れない、そういう人たちが平和に暮らす国なら、大いに愛することができる。
そんなことを思いながら、このシリーズはお開きとします。
長々のお付き合い、ありがとうございます。
全体からすると、まだ独立への支持は圧倒的に少数派です。
これまでの独立党党首の選挙での獲得投票率は、1%程度なのです。
しかし、太田元知事のお話のように、酒の肴としての独立話が、より現実的な議論のテーマになってきました。
辺野古問題を含め、今後は真剣に独立が検討課題になるように思います。
マーティン・ファクラーさんがメインディッシュのコーナーにリモート出演
日本の大学で学ぶことになったいきさつほか、大竹さん壇蜜さんとお話しされています
日本語がクリアで聴きやすく感心しました
タイムフリーで聴取可能です(14時20分頃から)
