天狗党と徳川慶喜ー吉村昭著『天狗争乱』より(9)
2021年 06月 16日

吉村昭著『天狗争乱』(新潮文庫)
吉村昭著『天狗争乱』からの九回目。
巻末の地図の部分拡大図。

地図をもう一つ。「福井県立図書館・福井県文書館・福井県ふるさと文学館」のサイトのアーカイブにある、七年前に県立図書館で開催された「蜂起150年 水戸天狗党 敦賀に散る」という企画展の資料から、天狗党と幕府追討軍の配陣図をお借りする。
福井県立図書館・文書館・文学館サイトの該当ページ

東西南北が逆になっているが、天狗党と幕府追討軍の配置がよく分かる。
天狗党が駐屯する新保村と、加賀藩兵が陣を敷く葉原村とは、目と鼻の先の距離である。
加賀藩兵の監軍、永原甚七郎から天狗党への書状で、追討軍の指揮を一橋慶喜が執っていることを知った武田耕雲斎たち天狗党の幹部は、驚き、そして、悲しんだ。
何のために苦難して京都まで行こうとしていたのか。
水戸の門閥派による工作で幕府の賊徒とされてしまったが、慶喜にだけは彼らの思いが届くはず、という希望だけが、苦難の行軍を耐えさせてきたのではなかったのか。
その慶喜が、自分たちを討伐する幕府軍の指揮者であったとは・・・・・・。
「甚心痛」と書かれた武田の返書を眺める永原。
永原らは、その書状にやり場のない深い嘆きが文字の一つ一つにこめられているのを感じ、武田耕雲斎からの返書にどのように対処すべきか、話し合った。武田は、一橋慶喜に嘆願したいことがあって新保村まで来たので、加賀藩の軍勢と交戦する気持ちは少しもない、という。そのような姿勢をしめしている天狗勢に、一方的にこちらから攻撃をしかけるのは、はたしてどうか。
「武門の習いにそむく」
永原の言葉に、赤井も不破もうなずいた。嘆願の筋があって慶喜にも通じて欲しい、とあるが、その内容を知らねば慶喜につたえようがない。
「こちらの陣所に呼んできくことにしては・・・・・・」
その意見に、一同賛成したが、
「呼びつけるというのでは、われらが臆病と思われかねない。こちらから出向いてゆくべきである」
という意見も出て、永原が自ら出向くことに決定した。
この話し合いでは、幕府はもとより、慶喜からも容赦なく皆殺しにせよ、と命じられているのだから、天狗勢の嘆願など聞くことなく、ただちに攻撃すべき、という意見も出た。永原は、四日に大津で慶喜を中心に開かれた諸藩集まっての軍議で、天狗勢が抵抗の姿勢をしめさない場合、討つか討たぬかは、向かい合った藩の主将に一任するという評決があったことを持ち出して、周囲を納得させた。
永原は、使い番井上七左衛門、監軍付属帰山(かえるやま)仙之助、徒目付神田清次郎と従者をしたがえ、提灯を手に葉原村をはなれた。
新保村のはずれに篝火がたかれ、槍や銃を手にした天狗勢の見張りの者が立っていた。井上が来村の目的を告げると、見張りの一人が村の中に走っていった。永原たちは、槍をかまえた隊員たちにかこまれて立っていたが、やがて見張りの者がもどってきて、村はずれに近い民家に案内した。
部屋のい入って待っていると、陣羽織を着た二人の男が入ってきた。男たちは、天狗勢の幹部滝川平太郎、岸新蔵と名乗ったが、滝川は滝平主殿(とのも)、岸は根本新平の変名であった。
永原の問いに、滝平と根本は、口々に水戸藩領を脱出した事情を詳細に説明し、慶喜に嘆願したい内容も述べた。
永原らは、切々とうったえる二人の言葉を諒解し、嘆願の内容を書面にしてとどけて欲しい、とつたえた。
「武田伊賀守(耕雲斎)殿とお会いしたかったのだが・・・・・・」
永原が言うと、滝平が、
「御老体ゆえ、雪中の行軍で体調をくずしておられます。前もって申し上げなかった無礼を平にお許し下さい」
と言って、頭をさげた。
翌十二月十日の早朝に、滝平主殿が、約束どおり始末書と慶喜、永原あての心願書を葉原村の加賀藩の陣営にとどけた。
始末書には、市川三左衛門ら門閥派が水戸藩の実権をにぎり、藩主慶篤の名代として水戸にむかった宍戸藩主松平頼徳の水戸城への入城をこばみ、那珂湊を中心に戦となった事情が詳細に記されていた。ついで、江戸へゆこうとした頼徳がだまされて捕らわれ、天狗勢は頼徳が降伏したのを知って脱出し、この地まで来たことがつづられていた。慶喜への心願書には、尊王攘夷の実行を朝廷にうったえたいので、その真情を理解して欲しい、と書かれていた。
永原は、この書状を監軍調理役加藤九左衛門と辻政之助に託し、慶喜のもとへとどけるよう命じた。
永原は、諸藩に天狗勢を攻めないよう要請することを決めた。
加賀藩以外では、天狗勢のいる新保村に最も近く布陣しているのが、新保村の北方木ノ芽峠に迫っている福井藩と彦根藩だった。
その両藩の陣営に対し、永原は、井上七左衛門と帰山仙之助を使者に立てた。
井上と帰山は、途中の新保村で天狗勢本陣を訪ね事情を説明し、天狗勢が諒解し付けてくれた案内人と一緒に、木ノ芽峠の頂上付近の福井藩の陣地にたどり着いた。
井上は、鎧、兜に身をかためた、岡田喜八郎ら五名に事情を説明した。
岡田は、福井藩が長州征伐に出兵していて手薄であるので、彦根、丸岡、勝山、鯖江各藩の加勢を得ているが、と前置きして、
「わが藩は、容赦なく討ちとれという幕府の御命令にしたがう決意であり、彦根藩も同様であるはずである」
と、井上の申し出を拒絶した。
井上はかなねて要請したが、福井藩側の素っ気ない態度は変わらず、やむなく陣所を出た。
かれれは、峠をおりて新保村に入ると、天狗勢の本陣におもむいた。藤田小四郎と滝平主殿が、応接に出た。
井上は、福井藩に対する要請が拒否されたことを口にし、福井、彦根両藩勢が攻撃をしかけてくる公算が大きいことうをつたえ、
「決して御油断なさらぬように・・・・・・」
と、言った。
さらに井上は、表情をくもらせ、
「もしも、福井、彦根両藩勢と貴殿方の軍勢との間で戦となれば、わが加賀藩勢も攻撃に出なければなりませぬ。貴殿方との信義にそむくことになるが、武門の習いでやむを得ませぬ」
と、言った。
藤田はうなずき、
「お心のこもった御配慮、まことにかたじけなく存じます。木ノ芽峠方面への兵の手配は十分いたしますが、貴藩に敵対する気持ちはいささかもありません。もっとも、われらは嘆願がおとりあげいただけぬ折には、われらも死を決して戦います」
と、苦しげな表情で言った。
その悲痛な言葉に、井上たちは涙ぐんだ。
この場面、読む私も目頭が熱くなる。
果たして、福井藩、そして、水戸に対してはとりわけ遺恨のある彦根藩は、天狗党を攻撃するのか。
慶喜への嘆願書は、無事届くのかなどは、次回。
さて、高齢Wワーカーの私は、昨日に続き、今日も午後からラスト20時までの飲食店のバイトだ。
本来の23時閉店から三時間時短になっても、あまり売上が変わらないので、忙しい。
20日までのシフトは出ているが、それ以降、コロナ対策がどうなるか決まっていないので、シフト未定。
五輪開催の流れができつつあり、観客も入れるような話になっている。
私の務めるお店の近くには、ショッピングモールなどもあるのだが、人出はまったく減っていない。
これで、五輪開催、観客あり、緊急事態宣言解除、となれば、ますます、世の中から緊張感が消えていく。
最近の尾身さんや専門家の人々と菅総理との関係が、天狗党と慶喜の関係に重なって思えてならない。
