「小吉の女房2」が描いた、娘義太夫のことなど。
2021年 04月 30日
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新門辰五郎から勝夫婦が娘義太夫の見習いだった少女、お峰を預かることからの物語。
なんと、小吉の女房、お信が義太夫を演じるとは^^
あの時代のことを書いた岡本綺堂の『半七捕物帳』の内容を、落語のネタ『嶋鵆沖白浪』(その一部が『大坂屋花鳥』)に関する記事の中で、青空文庫をから紹介したことを、思い出した。
2012年11月14日のブログ
重複するが、あらためて引用したい。
*半七では「大阪」と表記されている。
青空文庫 『半七捕物帳』-大阪屋花鳥-
水野閣老の天保度改革は今ここに説くまでもない。その倹約の趣意がますます徹底的になって、贅沢物の禁止、色茶屋の取り払い、劇場の移転など、それからそれへと励行されたが、その一つとして江戸の娘義太夫三十六人は風俗を紊みだすものと認められ、十一月二十七日の夜に自宅または寄席の楽屋から召し捕られて、いずれも伝馬町の牢屋へ送られた。
「可哀そうだが、お上の指図だ」と、吉五郎は云った。半七もその召し捕りにむかった一人であった。
娘義太夫はその名のごとくに若い女が多かったが、大抵は十五六歳から二十二三歳に至る色盛りで、風俗をみだすと認められたのも、それが為であった。かれらは女牢でその年を送って、明くる天保十三年の三月、今後は正業に就くことを誓って釈放された。去年の冬から百日あまりの入牢じゅろうが一種の懲戒処分であった。
その三十六人のうちに竹本染之助というのがあって、年は若いが容貌きりょうはあまり好くなかった。彼女は半七に召し捕られたのであるが、最初から可哀そうだという吉五郎の言葉もあるので、半七は彼女が入牢するまで親切にいたわってやった。それを恩に着て、染之助は出牢早々に吉五郎のところへ挨拶に来た。半七にも逢って先日の礼を云った。
「どうだ、御牢内は……。面白かったかえ」と、吉五郎は笑いながら訊きいた。
「御冗談を……」と、染之助は真顔になって答えた。「わたくしは初めてですから、まったく驚いてしまいました」
「誰だって初めてだろう」と、吉五郎はまた笑った。「だが、男牢と違って女牢だ。そんなに驚くほどの事もなかったろうが……」
「いいえ、それが大変で……。わたくし共はみんな一つところに入れられて居りましたが、牢名主ろうなぬしは大阪屋花鳥という人で……」
「大阪屋……。島破りの花鳥か」
「そうでございます」
大阪屋花鳥は初めに云った通り、八丈島を破って江戸へ帰って来て、日本橋の松島町辺に暫く隠れていたが、去年の八月末に、木挽町こびきちょうの河原崎座で団十郎の芝居を見物しているところを召し捕られ、それから引き続いて入牢中であることを、吉五郎も知っていた。牢内の習慣として、罪の重い者が名主なぬしまたは隠居と称して、一同の取締り役を勤めるのである。その取締り役の威勢を笠に着て、新入りの囚人を苦しめるのが、かれらの悪風であった。
「成程、花鳥が名主じゃあ新入りは泣かされたろう」と、吉五郎は同情するように云った。「そうして、あいつが何をしたえ」
「とてもお話になりません」と、染之助は泣き出した。
入牢を命ぜられた娘義太夫三十六人は、いずれも年の若い女芸人であるから、暗い牢内へ投げ込まれて殆ど生きている心地はなかった。かれらの多数は碌々に飯も食えなかった。牢名主の花鳥はかれらに対して、最初の十日ほどは優しくいたわってくれたが、かれらが少しく牢内の生活に馴れて、心もだんだんに落ちついて来ると共に、花鳥の態度は、だんだん暴あらくなって来た。彼女は若い女たちに向って自分の夜伽よとぎをしろと命じたが、その方法の淫猥、醜虐、残忍は、筆にも口にも説明することが出来ないばかりか、普通の人間には殆ど想像することも出来ない程の忌いまわしいものであった。夜もすがらに泣いて惨苦を忍んだ者に対して、花鳥はその翌日必ず一杯のうなぎ飯をおごってくれた。
三十六人のうちで、その惨苦を繰り返したものは二十五人で、余の十一人は不思議に助かった。それは比較的に容貌きりょうのよくない者と、二十歳はたちを越えている者とであった。染之助も容貌の好くないのが意外の仕合わせとなって、一度も花鳥の凌辱を蒙らなかったが、他人ひとが惨苦を目前に見せ付けられて、夜も昼も恐れおののいていた。
「お慈悲に早く出牢が出来たので助かりましたが、あれが長くつづいたら、人身御供ひとみごくうにあがった二十五人の人たちは、みんな責め殺されてしまったかも知れません。鰻めし一杯ぐらい食べさせてくれたって、あんなひどい目に逢わされてたまるものですか」と、染之助はくやし涙にむせびながら云った。
鰻めし一杯ぐらいというが、その鰻めしが詮議物であると吉五郎は思った。彼は押し返して訊きいた。
「そうすると、花鳥の夜伽をした者には、そのあしたきっと鰻めしを食わせてくれるのだね」
「御牢内で鰻めしなんか食べるには、たいそうお金がかかるのだそうですが、毎日きっと誰かに食べさせてくれました」
「むむ、まったくたいそうな金持だな。それで若い女の子をおもちゃにしていりゃあ、娑婆しゃばにいるよりも楽だろう」
「本人はどうで重いお仕置になるのだと思って、したい三昧の事をしているのでしょうが、ほかの者が助かりません。この世の地獄とは本当にこの事です」
思い出しても恐ろしいように、彼女は身ぶるいして話した。染之助が帰ったあとで、吉五郎はなにか考えていた。
「おい、半七。花鳥という奴はひどい女だな」
「色気違いでしょうか」
「色気違いばかりじゃあねえ、なんでも酷むごたらしいことをして楽しんでいるのだろう。そこで、今の鰻の一件だが、娑婆で六百文くれえの鰻飯だって、それが牢内へはいるとなりゃあ、牢番たちによろしく頼まなけりゃあならねえから、べらぼうに高けえ物になって、まず一杯が一両ぐれえの相場だろう。女義太夫は百日以上も入牢していたのだから、毎日うなぎ飯を一杯ずつ食わせても百両だ。島破りの女が一年ぐれえの間に、何を稼いだか知らねえが、そんなに大きいツルを持っているというのは不思議だな。江戸へ帰って来てから、どうで善い事をしていやあしめえと思っていたが、あいつも相当の仕事をしていたに相違ねえ」
「そうでしょうね」
云いながら二人は眼をみあわせた。云い合わせたように、ある疑いが二人の胸に湧き出したのであった。
岡本綺堂が、同じ牢にいた娘義太夫の言葉として描く花鳥像は、あくまで彼の創作である。
天保の改革によって娘義太夫三十六人が牢に入れられたというのは事実として記録が残っているが、その時に花鳥が牢にいたかは、さまざまな記録を見ても、どうも時期が合いそうにない。
優れた作家は、いくつかの史実を元に、まるで事実のようなフィクションを描く。引用した部分から物語がスピードアップするこの一篇では、花鳥は島抜けの後にも大坂屋時代の馴染みだった男と悪事を働く者として描かれている。
「小吉の女房2」では、お峰の、「寄席に出たい」という言葉が、今の時勢もあり、胸に響いた。
お峰が、明治の世で義太夫の名手となったと、ドラマは伝えてくれた。
贅沢を戒めた天保の時代と、令和の今。
その背景は違っているが、芸人が寄席に出られない事態は、同じだ。
天保の改革は、改革とは名ばかりで、徳川幕府滅亡を早めた失策と言われる。
二年で終息した天保の改革。
果たして、コロナはいつ、収束し、寄席が多くの人で活気づくことになるのだろうか。
正義感の塊、小吉とのほほんとしたお信の夫婦。見ていて小気味よいです。嫌味な役柄も出来る様になった元ジャニーズの高橋和也。毎回笑わせてくれます。
娘義太夫の流れを組んでいるのが、ビートたけしさんのお祖母様。女義太夫を教えておられたそうですね。だから映画「DOLLS」は、文楽からヒントを得たみたいですね。橋下私人が大嫌いな文楽。
古ちんと沢口さんの息もピッタリ。きっと撮影の合間には関西弁トークで盛り上がっているんでしょうね。
東京も大阪と同じ道を歩んでいます。
人が街に出ていますし、密になっていますから。
その油断に変異種が襲っています。
「小吉の女房2」は、『夢酔独言』にはない、脚本家の創作部分が多いですが、天保のあの頃、十分に想定できる内容だと思います。
こういうドラマを見ると、ほっとします。
