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望月衣塑子+特別取材班『菅義偉 不都合な官邸会見録』より(2)


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望月衣塑子+特別取材班『菅義偉 不都合な官邸会見録』

 菅官房長官時代の記者会見で、もっとも攻撃を受けた東京新聞の望月衣塑子記者と特別取材班による『菅義偉 不都合な官邸会見録』から二回目。本書は、宝島社新書から1月に発行された。

 望月記者による「序章 言葉なきリーダーの実像」の最期の部分を、ご紹介したい。

 SNSが閉塞した官邸に風穴を開ける

 私は、政治部に所属しない記者として2017年より官邸記者会見に出席するようになり、納得するまで食い下がって質問するという社会部や経済部時代にやってきたこれまでのスタイルで取材を続けた。そのことがなぜかメディアで話題になり、賛同や応援、あるいは圧力やバッシングを受けることにもなった。
 その経緯については『新聞記者』(角川新書)ほかいくつかの著書や記事でも書いてきたが、最近になって痛感しているのはSNSを中心とする国民の直接的な声が、世論をつくり、時の政権の政策判断にも影響を及ぼすようになっているという現実だ。
 史上最長となった安倍前政権においては、菅官房長官、二階俊博幹事長、麻生太郎財務相といった首相ポストが固定化され、安倍前首相が辞任した後も、その大まかな枠組みは変わっていない。官邸周辺には、いまも安倍政権時代の人間関係が色濃く残っており、政治部の記者たちも、菅首相や二階幹事長にはっきりものを言いにくい、「安倍、菅、二階、麻生側から言われたことは断らずマスト(絶対やらなきゃいけない)案件」(経産官僚)、といった雰囲気は根強くあると聞く。
 しかし、国民の声が直接反映されるSNSに「委縮」や「忖度」はない。私がこれまで自分のスタイルを続けることができたのも、賛同し後押ししてくれる一般の方々の声があったからだし、先に述べた安倍前首相の記者会見がわずかとはいえ変化したことや、黒川弘務・元東京高検検事長の違法な閣議決定による定年延長は行われたものの、その後、これを正当化する検事庁法改正法案は、広告会社の「笛美さん」が始めたツイッターデモ「♯検察庁法改正法案に抗議します」がコロナ禍の中でも一気に広がり、100万呟きを超え、最終的には法案は見送られることになった。SNSの力が確実に政治を変える原動力になりつつある。
 (中 略)
 記者クラブだけをコントロールしていれば何とかなるといったかつての官邸の姿に戻ることはできないのだ。そして同様にメディアもいま何を聞くか、聞いているのかという姿がされされる時代になった。本来、果たすべき仕事をしなければ、容赦なく世論からは厳しく批判される。そうした時代がすでに到来している。

 安倍、菅、二階、麻生は「マスト案件」という霞が関の雰囲気は、さまざまな不都合を生み出している。

 たしかに、今、SNSが大きな影響力を持つ時代になった。

 「笛美さん」は、昨年赤木俊夫さんの手記が公開された後、「♯赤木さんの再調査を求めます」、と発信していて、赤子雅子さんを大いに勇気づけてくれた。
 なお、森友事件に関するインターネットの再調査キャンペーンでは、35万を超える署名が集まった。ちなみに、その中の一つは私だ。

 私自身はツイッターでの発信は少ないが、コロナ禍において、フォローする方からの貴重な情報をいただいてきた。

 LINEは、居残り会LINEグループのおかげで、なかなか会えない居残りメンバーの方の近況などを毎日のように知ることができている。

 SNSは、時には人を貶めることもある。
 しかし、国民が声を上げる力にもなりえる。
 そのプラスの面を生かせるよう、こんなちっぽけなブログでも、発信を続けたいと思っている。

 さて、序章のご紹介はここまでとして、“1章 「菅話法」の本質”から。

 この章の冒頭は、昨年出版された著書『政治家の覚悟』(文春新書)において、2012年の旧版から削除された箇所があったことを紹介している。

 その削除の背景になったと思われる記者会見。

 2017年8月8日、官房長官記者会見で、朝日新聞の記者がこんな質問をした。
「『政府があらゆる記録を国民に残すのは当然で、議事録というのはその最も基本的な資料。その作成を怠ったことは国民への背信行為だ』と言っている、本に記している政治家を官房長官、ご存じですか」
 当時、国家戦略特区での獣医学部新設を巡り、2015年6月のワーキンググループの議事要旨で加計学園側の出席者の氏名や発言が記載されていなかったことが問題になっていた。
 質問を受けた菅官房長官は即答した。
「知りません」
 すると記者が畳みかけた。
「これ官房長官の著作に書かれているんですが、2012年の著作で表明されていた見解と、いま政府で現状起きていることを照らし合わせて、忸怩たる思いとか、やはりきちんと記録に残すべきだというお気持ちにはならないんでしょうか」
 菅氏は即座に反論した。
「私は残していると思いますよ。ワーキンググループは国家戦略特区制度の趣旨にかなうように運営し、非公式な説明補助者(加計学園幹部)の発言は議事要旨に掲載しないと、ご指摘のケースも通常の扱いであると」
 会見はここで時間切れとなったが、それまで誰も注目していなかった著書『政治家の覚悟』のなかに「ブーメラン」の要素が含まれていたことが初めて知れわたったのである。

 元本にある記述は、野党時代に書かれたもので、それは、大震災の際の議事録を当時の与党民主党が残していないことへの批判として書かれていた。

 しかし、改訂版からは、その部分を削除している。
 出版元の文藝春秋は、旧聞に属する内容なので収録しなかった、と苦しい言い訳をしている。
 著者の意向を反映したことは、間違いないだろう。

 次に、有名になったあの言葉について。

 論点ずらし「ご飯論法」の常習犯

 官房長官時代の菅氏は、「失言が少なく、守りに強い」と高い評価を受けてきた。だが、首相になってからというもの、野党の厳しい追及に対し、官僚の作成したペーパーを棒読みし続ける菅氏の姿に、かつての安定感はまったく感じられない。
 安倍政権時における首相や閣僚の数々の答弁を、「ご飯論法」と名付けたのは、上西充子・法政大学教授だった。
「ご飯論法」とは論点ずらしの手法で、「朝ごはんを食べたか」と聞かれたとき、パンを食べているのに「(コメの)ご飯は食べていない」と質問側の意図を曲解して答える、ごまかしの答弁を指す。「霞が関文字」とも呼ばれる官僚答弁でもしばしば見られる手法だ。
 もとは2018年、当時の加藤勝信厚労相(現・官房長官)の働き方改革関連法の審議における答弁に対し、上西教授が名付けたものだが、やがてこの欺瞞に満ちたレトリックが、安倍政権全体に蔓延していることが明らかになってきた。もちろん、菅氏も代表的な使い手の一人である。
 官房長官は首相を守るのが仕事と考えれば、ご飯論法もまだ罪は軽かったかもしれない。だが、首相となってからもそれを続けるとなると、その意味は大きく変わってくる。
 結局のところ、菅氏の安定感とは、不都合な質問には答えない、論点をずらす、質問させないという詭弁の論理に立脚したものであり、そのお膳立てをしていたのは菅氏を支える官僚たちだったというのが真実ではなかっただろうか。
 2020年9月、菅官房長官は「安倍路線の継承」を一大看板として、自民党総裁に選出された。しかしこのとき、菅氏の口からは、一国のリーダーとして何をしたいのか、日本という国の未来に関するビジョンは具体的に伝わってこなかった。
「私が目指す社会像、それは自助、共助、公助そして絆であります。まずは自分でやってみる。そして、家族地域で、お互いに助け合う。その上で政府がセーフティネットでお守りをする。こうした国民から信頼される政府を目指していきたいと思います。そのためには行政の縦割り、既得権益、そしてあしき前例主義、こうしたものを打ち破って規制改革を全力で進めます」
 だが、この抽象的なメッセージを記憶している人はほとんどいないだろう。コロナ対策の遅れで、規制改革にまで手が回っていないのが現実だ。

 自助、共助、公助という言葉だけは、望月記者の予想以上に、国民の知る菅総理の発言として知れ渡っているかもしれない。
 しかし、それは、決して肯定的な意味としてではない。
 公助は、自助、共助の後にようやく出番があるということは、政府は、土壇場まで国民を救おうとしない、という意味で伝わっているし、それは、菅政権の実態を物語っている。

 規制改革を進めるというが、具体的には何を対象にしているのか、これも大いに疑問だ。

 国民から信頼される政府となるには、そのリーダーが、国民の代理人である国会議員の質問に、誠実に答えることが求められるのだが、果たして総理就任後、どう答えてきたのか。彼は、「答えない」という姿勢ばかりを示してきた。

 データが示す「答えない」政権の姿勢

 菅首相の「答えない」姿勢を見える形で調査したデータがある。2020年12月5日に閉会した臨時国会。衆参両院の予算委員会において、学術会議問題、「桜を見る会」の問題について菅首相の答弁285回を検証すると、全体の2割以上にあたる67回が「答えを差し控える」「答える立場にない」といった説明を避ける表現だった。
「答えを控える」という表現に着目し、初めて過去のデータを調査したのは立命館大学の桜井啓太准教授(社会福祉学)である。
 桜井准教授は、学術会議問題について「答えを差し控える」という答弁が多用されていることをきっかけに、1970年から2020年10月8日までの国会議事録を精査。「お答えを差し控える」という答弁の数を調査したところ、昭和の時代は二桁、多くても年間100件程度で推移していた答弁回数が、2012年に発足した第二次安倍政権後に急増。特に2017年から2019年は年間500件を超えていた。
 かつては外交や防衛に関するごく一部の質問に対し「差し控える」という言葉が使用されていたが、安倍政権では森友・加計学園問題や「桜を見る会」の追及をかわすために「差し控える」が多用されていたことが分かる。
 菅首相もこの「答えない」手法を駆使していることは前述のとおりだが、安倍政権後の政治がいかに「説明しない」スタイルを押し通しているかが分かるデータである。
 
「個別の人事については答弁を差し控える」
「捜査中の事案につき答弁を差し控える」
 一体、何度この言葉を聞かされてきたのだろうか。これは「鉄壁のガースー」の正体だとしたら、あまりにもお粗末な話である。

 まさに、菅政権は、安倍政権を継承をしていることが、紹介したデータからも明白だ。

 「ご飯論法」も酷いが、都合の悪いことには「答えない」となると、これは民主主義そのものを否定する行為だ。

 国会議員は、あくまで国民の代わりに質問しているわけであるから、それは、国民を馬鹿にしているということだ。

 次回も、いかに官邸や国会で不都合な答弁が繰り返されてきたか振り返る。

 25日の聖火リレー開始に間に合わせるべく、一都三県の緊急事態は二週間、21日まで延長されるようだ。

 今日の国会で、再々延長を避けるために「全身全霊をあげて取り組む」と言ったらしい。
 ちょっと待ってくれ。
 これからの二週間でいったい何に「全身全霊」で取り組む、というのか。
 飲食店に休業要請をして、補償をするとでも言うのか。
 新たな「公助」を提示するわけではなさそうだ。

 一都三県以外の解除で、首都圏でも人出が増えている。

 それに対して、「全身全霊」で自助と共助を呼びかけるだけでは、まだまだ感染は収束に向かうことはない。

 二週間後、もし、感染が収束する様子のないまま解除しようとするなら、その時は、国民の「Why?」という質問に、答える義務がある。

 「差し控え」ることは、許されない。

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by kogotokoubei | 2021-03-05 12:59 | 今週の一冊、あるいは二冊。 | Trackback | Comments(0)

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by 小言幸兵衛