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赤木雅子・相澤冬樹著『私は真実が知りたい』より(10)

 昨日、森友事件のことが、久しぶりに国会でも追及された。
 東京新聞でも扱っているが、朝日新聞から引用。今日の朝刊一面の記事だ。
朝日新聞の該当記事

あるのに「ない」、財務省回答 森友文書、46件確認 麻生氏が公表
2021年3月3日 5時00分

 学校法人森友学園(大阪市)への国有地売却問題をめぐり、麻生太郎財務相は2日の衆院予算委員会で、情報公開請求された国と森友学園側とのやりとりなどを記録した「応接録」に関し、実際にはあるのに「不存在」として開示しなかった事例が計46件あったことを明らかにした。野党は開示義務を定めた情報公開法違反と指摘している。
 衆院予算委員会で立憲民主党の川内博史氏の質問に答えた。麻生氏は「財務省本省で9件、近畿財務局で37件」と説明した。
 川内氏が財務省から得た資料によると、46件は2017年3月22日~18年5月11日に決定されていた。
 財務省は18年5月23日、約950ページの応接録を国会に提出し、公表している。
 財務省が18年6月に公表した改ざん問題の調査報告書では、「情報公開請求により、森友学園案件に関する一連の応接録の開示を求められるケースも相次いだが、その都度、『文書不存在』を理由に不開示の決定を行ってきた」とあり、開示を拒んでいた事実は報告されていた。しかし、全体としての具体的な回数は明らかにされていなかった。
 森友問題をめぐっては、野党が17年2月、応接録などを開示するよう要求した。同月24日には、佐川宣寿・理財局長(当時)が衆院予算委で「交渉記録はない」などと答弁。しかし、報告書では、この時点で、「(財務省)理財局の総務課長及び国有財産審理室長は、森友学園案件関係の各種応接録が実際には残っていることを認識していたものと認められる」と記されている。
 川内氏は2日の衆院予算委で、「文書があると知りながら不存在とすることは、情報公開法違反ではないか」と問いただした。麻生氏は「情報公開法に照らして不適切だった」と述べたが、違法行為かどうかは明言しなかった。

 ひどい話だ。
 もちろん、これは情報公開法違反である。
 隠された記録は、公開されなければならない。

 まだまだ、森友問題は、終わってはいない。

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赤木雅子・相澤冬樹著『私は真実が知りたい』

 文藝春秋より2020年7月15日初版発行された『私は真実が知りたいー夫が遺書で告発「森友」改ざんはなぜ?』から十回目。
 本書は、森友関連の公文書の改ざんを強いられたことで心身ともに疲れ果て命を絶った赤木俊夫さんの奥さん雅子さんが、NHKを退職し、大阪日日新聞に転職した相澤冬樹記者の協力を得て出版したものだ。

 前回は、雅子さんが夫の俊夫さんの勤務先だった近畿財務局で唯一頼りにしていた俊夫さんお直属の上司だった池田靖氏が、雅子さんに「もう会えない」と言ってきたことから、事態が急展開したことをご紹介した。

 近畿財務局が紹介してくれた中川弁護士と進めていた裁判も、なかなか進まず、雅子さんは相澤さんに、人権派弁護士の大御所、阪田弁護士を紹介してもらった。

 俊夫さんの手記を読んだ阪田弁護士の雅子さんへの言葉「あんた、一人でつらかったやろなあ」の言葉が雅子さんに響き、弁護をお願いするこを決意。
 阪田弁護士は労災弁護の精通している松丸弁護士を紹介してくれた。

 では、その後の展開について、「第8章 運命を変えた弁護士の一言」から、ご紹介。
 なお、今回は、赤木俊夫さんの手記の一部ご紹介も含め、少し長くなることを、あらかじめお断りします。

 松丸弁護士は赤木さんの話を聞き、それまでの方針を知ってすぐさま指摘した。
「これはまずいですね。認諾されますよ」
 認諾とは、民事裁判で訴えられた方が訴え通りに金額賠償を認め、すぐに裁判を終わらせる手続きのことだ。賠償が目的ならそれでもいいが、この裁判は法廷で真相を明らかにしていくことが狙いだ。裁判がすぐに終わってしまってはその狙いが果たせない。
 中川弁護士の案では賠償額として百万円を請求することになっていた。お金が目的ではないから金額はいくらでもいいと赤木さんは思っていた。だが金額が安いほど、国は認諾しやすくなる。
 松丸弁護士は過去に自衛官の死をめぐる裁判で、国が原告の主張を認め裁判をすぐに終わらせた事例を経験している。自衛隊内部のことを探られたくないからだ。赤木さんの件も百万円では即座に認諾されてしまうだろう。ここは簡単に認諾できないように、むしろ高めの請求をしなければならない。
 一時間ほどの相談が終わる時、赤木さんは松丸弁護士に裁判をお願いするため、委任状を渡す段取りまで話が進んでいた。同じく過労死問題に詳しい生越照幸弁護士も弁護団に加わることになった。だが、裁判の準備に必要な関係書類は、すべて中川弁護士に預けてあった。
 相談が終わるとすぐに赤木さんは中川弁護士に、訴訟の準備を取りやめるよう連絡するとともに、預けた書類を週内にすべて引き取りたいと伝えた。中川弁護士にとって寝耳に水の話だったはずだ。

 さあ、新しい裁判チームが始動した。

 その後のことを、「第9章 提訴と手記公開 特ダネ掲載の舞台裏」よりご紹介。

 赤木雅子さんと相澤さんが松丸弁護士と話し合ったのは、2020年の1月22日のことだった。

 赤木さんが腹を決めたことで、準備は急速に進む。とはいえ、やるべきことはたくさんあった。

 雅子さんは、夫、トッちゃんの三回忌を迎える三月中旬に提訴したい気持ちだった。しかし、二月初めの時点で私は「記事の出し方」について赤木さんと一切話をしていなかった。
 それまではそもそも提訴に至るかどうか確証が持てなかったので、そんな話を出す状況になかった。また、うかつに記事の話をすると「結局それが狙いか」と思われかねない。切り出し方は慎重に考えなければいけない。一方で準備期間はもう一か月しかない。そろそろ記事の出し方も準備しないと間に合わない。
 まず、どこに記事を出すかだが、私の念頭には週刊文春しかなかった。

 相澤さんは、赤木さんに最初に会った際、手記を読んだ録音データを週刊文春に持ち込んで文字起こしをしてもらっている。
 しかし、記事にするのは、雅子さんの同意があるまでということで、ずっと待ってもらっていた。記事化については、文春側も大いに期待していた。
 もちろん、「文春砲」の威力で、多くの読者に提訴のことを伝えることも重要だ。

 ところが最大の難関は、赤木雅子さんの文春嫌い、ということだった。発端は、俊夫さんが亡くなって二か月後の月刊誌「文藝春秋」の記事だ。俊夫さんの実家のお父さんに取材して「手記」として出したものだが、雅子さんをはじめ親族から見て事実誤認と思われる内容があった。お父さんは「そんなつもりではなかった」と話し、文藝春秋に抗議したが、納得いく返答は得られなかった。それで文藝春秋が嫌いになった。同じ出版社から出ている週刊文春にも嫌悪感を抱くようになった。どうやって赤木さんに切り出すか?

 雅子さんは、中川弁護士と話を進めていた際は、朝日新聞かNHKを想定していた。

 相澤さんは、新聞やテレビもいいが、雑誌という方法もあること、そして、雑誌は電車の吊り広告を出すことで、より多くの人に見てもらえると話をふってみると、雅子さんは、それほど大きく抵抗する様子ではなかった。

 問題は、週刊文春が、果たしてどれほど大きく扱ってくれるかだ。

 相澤さんは、文春を訪ねた。

 話を聞いた週刊文春の加藤晃彦編集長は太鼓判を押した。「大きく扱いますので、ぜひうちで載せてください」
 その場で担当編集者も決まった。デスクの竹田聖さん。経験豊かなベテラン編集者だ。文春の本気度が感じられた。
  (中 略)
 次に赤木雅子さんに会った時、文春が記事掲載を確約してくれたことを伝えた。もう私たちの間では「文春に記事を出す」ことが既定路線になっていた。最大に関門をくぐり抜けた。次の関門は、これを提訴日に合わせて“特ダネ”として出せるかどうかだ。

 提訴については雅子さんは三月中という意向だったが、弁護団は依頼を引き受けてまだ一か月も経っていないことに加えて、他にもいろいろな裁判を抱えており、提訴は四月の見通しだった。

 俊夫さんの三回忌の法事が前倒しで三月三日に済んだ頃、提訴の動きをつかんだ新聞社が現れた。雅子さんが電話してきた。
「朝日新聞が提訴のことを知っているんですよ。私に話をしてきました。それも『四月に提訴する』だなんて、私の知らないことまで知っているんです。おかしいと思いませんか?」
 赤木さんの憤慨はわかるが、どこの記者もそれぞれにアンテナを張り巡らせて情報をキャッチしようとしている。提訴を察知する記者がいても不思議ではない。私は「ついに来たか」という思いだった。特ダネを出せるかどうかの瀬戸際だが、私からどうこうお願いできるものではない。
 でも雅子さんは自身の判断で動いてくれた。弁護団にかけあったのである。
「朝日が提訴は四月と言ってきました。でも私は三月中にしてほしいんです。夫の三回忌を済ませた三月中に」
 そう求められると弁護団も応じざるを得ない。文春の発売日は木曜日だ。提訴は三月最後の木曜日である三月二十六日と、いったんは決まった。

 ところが、この情報を、また朝日がつかんで接触してきた。
 三月十日に、急遽弁護団と雅子さんの会議が開かれ、相澤さんも呼ばれて参加した。
 
 大阪地裁のすぐ西側にある生越弁護士の事務所で雅子さんは切り出した。
「私は朝日に先に書いてほしくありません。相澤さんに文春で書いてほしいんです。提訴を一週間早めてください。十九日に」
 松丸弁護士が穏やかな表情で答えた。
「私たちは依頼者の意向に沿って動きますから。提訴は十九日にしましょう。あと九日しかありませんが、何とかなるでしょう。相澤さんの方は記事の準備は間に合いますか?」
 文春に合わせて破格の扱いだ。だが私はどうしても伝えなければならないことがあった。
「あの~大変申し上げにくいんですが・・・・・・その週は金曜日が春分の日で祝日になる関係で、文春の発売日が一日早い水曜になるんです・・・・・・」
 遠慮がちに伝える私の後を受けて雅子さんがすかさず言った。
「じゃあ提訴は十八日にしてください」
 それでなくても時間がないのに、さらに一日早まることになる。松丸弁護士と生越弁護士が思わず顔を見合わせた。それから松丸弁護士がゆっくり雅子さんの方に向き直って答えた。
「では、そうしましょう。何とか間に合わせます」
 こうして裁判の提訴は、週刊文春の発売日に合わせて三月十八日と最終決定された。私はすぐ文春編集部の竹田さんに電話した。
「提訴は一週間前倒しされました。十八日提訴です。記事も十八日掲載でお願いします」
「わかりました。編集長に伝えて紙面を空けてお待ちします」

 弁護団の提訴への準備、そして、相澤さんの5時間で一気に書き上げた記事は、なんとか期日に間に合うことができた。

 3月18日発売の「週刊文春」の記事、手記の公開については、昨年拙ブログでも紹介した。
2020年3月19日のブログ

 本書では手記全文が掲載されているが、昨年の拙ブログで紹介した、文書改ざんの部分から最後までを、あらためて紹介する。
 

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4.決算文書の修正(差し替え)
  本年3月2日の朝日新聞の報道、その後本日(3月7日現在)国会を空転させている決裁文書の調査の差し替えは事実です。

 元は、すべて、佐川理財局長の指示です。
 局長の指示の内容は、野党に資料を示した際、学園に厚遇したと取られる疑いの箇所はすべて修正するよう指示があったと聞きました。
 佐川理財局長の指示を受けた、財務本省理財局幹部、杉田補佐が過剰に修正箇所を決め、杉田氏の修正した文書を近畿局で差し替えしました。
 第一回目は昨年2月26日(日)のことです。
 当日15時30分、出勤していた池田靖統括官から本省の指示の作業が多いので、手伝って欲しいとの連絡を受け、役所に出勤(16時30分頃登庁)するよう指示がありました。
 その後3月7日頃にも、修正作業の指示が複数回あり現場として私はこれに相当抵抗しました。
 楠管財部長に報告し、当初は応じるなとの指示でしたが、本省理財局中村総務課長をはじめ田村国有財産審理室長などから楠部長に直接電話があり、応じることはやむを得ないとし、美並近畿財務局長に報告したと承知しています。
 美並局長は、本件に関して全責任を負うとの発言があったと楠部長から聞きました。
 楠部長以外にも、松本管財部次長、小西次長の管財部幹部はこの事実をすべて知っています。 
 本省からの出向組の小西次長は、「元の調書が書き過ぎているんだよ。」と調書の修正を悪いこととも思わず、本省杉田補佐の指示に従い、あっけらかんと修正作業を行い、差し替えを行ったのです。
(大阪地検特捜部はこの事実関係をすべて知っています)

 これが財務官僚機構の実態なのです。
 パワハラで有名な佐川局長の指示には誰も背けないのです。
 佐川局長は、修正する箇所を事細かく指示したのかどうかわかりませんが、杉田補佐などが過剰反応して、修正範囲をどんどん拡大し、修正した回数は3回ないし4回程度と認識しています。 
 役所の中の役所と言われる財務省でこんなことがぬけぬけと行われる。

 森友事案は、すべて本省の指示、本省が処理方針を決め、国会対応、検査院対応すべて本省の指示(無責任体質の組織)と本省による対応が社会問題を引き起こし、嘘に嘘を塗り重ねるという、通常ではあり得ない対応を本省(佐川)は引き起こしたのです。
 この事案は、当初から筋の悪い事案として、本省が当初から鴻池議員などの陳情を受け止めることから端を発し、本省主導の事案で、課長クラスの幹部レベルで議員等からの要望に応じたことが問題の発端です。
 いずれにしても、本省がすべて責任を負うべき事案ですが、最後は逃げて、近畿財務局の責任とするのでしょう。
 怖い無責任な組織です。

○刑事罰、懲戒処分を受けるべき者
 
 佐川理財局長、当時の理財局次長、中村総務課長、企画課長、田村国有財産審理室長ほか幹部
 担当窓口の杉田補佐(悪い事をぬけぬけとやることができる役人失格の職員)
 
 この事実を知り、抵抗したとはいえ関わった者としての責任をどう取るか、ずっと考えてきました。
 事実を、公的な場所でしっかりと説明することができません。
 今の健康状態と体力ではこの方法をとるしかありませんでした、(55歳の春を迎えることができない儚さと怖さ)

 家族(もっとも大切な家内)を泣かせ、彼女の人生を破壊させたのは、本省理財局です。
 私の大好きな義母さん、謝っても、気が狂うほどの怖さと、辛さこんな人生って何?
 兄、甥っ子、そして実父、みんなに迷惑をおかけしました。

 さようなら

 あらためて、読んでいて、目頭が熱くなる。
 この手記は、自ら命を絶つ、その日に書かれている。
 その時の赤木俊夫さんの気持を思うと、あまりにも切ない。

 俊夫さんの無念を晴らすため、雅子さんは戦っている。

 赤木雅子さんは、改ざんの経緯を書き残した、いわゆる「赤木ファイル」の存在を信じ、裁判官が強制的に文書の提出を求めることのできる「文書提出命令」を国に対し出して欲しいと、裁判所に申し立てた。
 俊夫さんは生前、妻の雅子さんに繰り返し「自分のやってしまった犯罪行為はすべて書き残してある」と語っており、上司だった池田靖氏も、改ざん前、改ざん後の比較が分かりやすく書かれたファイルがあることを雅子さんに打ち明けていた。
 2月17日の法廷で前回に続き本人が意見を読み上げた。
 国が、そのファイルの存在の有無について回答する期日は、3月22日。奇しくも雅子さんの誕生日になった。

 赤木俊夫さんの命日が近づいてきた。

 契約者は国民です、と語った一人の優秀な公僕の存在は忘れられてはならないし、森友事件の真相は解明されなければならない。
 

 本シリーズは、これにて終了します。
 本書では、手記公開の後についても、終章まで興味深い内容が盛り込まれている。
 たとえば、籠池夫妻と安倍昭恵とのスリーショット写真を見せられ態度が急変し、定期借地契約を結んだ近畿財務局の担当者への取材であるとか、雅子さんが安倍昭恵前総理夫人とLINEでやりとりをしたこと、など。

 その中から、落語好きだった赤木俊夫さんに関する後日談を一つだけご紹介したい。

 「終章 あの頃のトッちゃんに言ってあげたいこと」から。

 手記を公開して間もないある日、雅子さんの元に一通の手紙が届いた。差出人は桂佐ん吉さん。桂米朝一門に連なる若手の落語家だ。
 俊夫さんは落語の好きだった。いろんな落語家の独演会に出かけていた。その一人が佐ん吉さんだった。週刊文春が「手記」とともに俊夫さんのメモ帳の写真をグラビアに掲載した際、佐ん吉さんの独演会の予定が書いたあった。それを見て、自分の会に来てくれた人だと知り、手紙を寄せてくれたのだ。
 佐ん吉さんは、独演会で俊夫さんが書いたアンケートの現物を手紙とともに送ってくれた。そこには「グイグイ力をつける佐ん吉氏を陰ながら応援しています。NHK新人落語大賞受賞おめでとうございます」という言葉がある。ひいきの芸人への心遣いが感じられる。
 桂佐ん吉さんの許しを得て手紙の一部をご紹介する。
「<(アンケートについて)温かく見守って下さっていたありがたいお客様だったと何度も見返しつくづく思います。手記を読ませていただいて私が思っていた以上に大変な絶望感や恐怖感苦悩があったんだと胸がつまりました。にもかかわらず今日の(国会での)質疑応答を見ておりますと、首相をはじめ連中の誠実さのかけらもない態度に腹わたが煮えくり返る思いでした。悪人が正しく粛清されるように願ってやみません。これから裁判もあり大変なご苦労がおありかと思いますが、必ずご無念が晴らされるようにお祈り申し上げます>
 雅子さんは返事を書いた。
<夫にもらった趣味の落語を、これからは私が夫の分まで楽しんでいきます。佐ん吉さんの応援でパワーをいただきました。これからも粘り強く再調査をお願いしていきます>

 桂佐ん吉、その実力は評価していたが、人間として、好きになった。

 俊夫さんがアンケートでふれている、桂佐ん吉がNHK新人落語大賞を受賞した時の感想を私は記事にしている。
2015年11月1日のブログ

 あの『愛宕山』を11分で演じきった見事な高座だった。
 小痴楽の『真田小僧』も良かったが、あの『愛宕山』にはかなわない。

 落語も好きだった赤木俊夫さん。
 しかし、赤木さん夫婦が落語を楽しむことは、もはやできない。

 私は、同じ落語愛好家としても、雅子さんの戦いを応援し続けたい。
 そして、一日も早く、雅子さんが心から落語を楽しめる日が来ることを祈っている。

 本シリーズへの長々のお付き合い、誠にありがとうございます。
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by kogotokoubei | 2021-03-03 12:36 | 今週の一冊、あるいは二冊。 | Trackback | Comments(0)

あっちに行ったりこっちに来たり、いろんなことを書きなぐっております。


by 小言幸兵衛