赤木雅子・相澤冬樹著『私は真実が知りたい』より(4)
2021年 02月 23日

赤木雅子・相澤冬樹著『私は真実が知りたい』
文藝春秋より2020年7月15日初版発行された『私は真実が知りたいー夫が遺書で告発「森友」改ざんはなぜ?』から四回目。
本書は、森友関連の公文書の改ざんを強いられたことで心身ともに疲れ果て命を絶った赤木俊夫さんの奥さん雅子さんが、NHKを退職し、大阪日日新聞に転職した相澤冬樹記者の協力を得て出版したものだ。
前回は、赤木俊夫さんと雅子さんとの出会いのことや、俊夫さんの人柄、趣味のことなどを紹介した。
今回は「第3章 トッちゃんが壊れていく」から、俊夫さんが苦難の日々を迎えていた頃のこと。
豊中市の国有地が森友学園に売却されたものの、その金額が明らかにされないため、豊中市の木村真市市会議員が情報公開を求める裁判を起こしたのが2017年2月8日。
翌2月9日の朝日新聞の記事で、この問題に火が付いた。
実は、相澤冬樹の記事を元に、前日2月8日夕方にNHKも放送していたのだが、それは大阪ローカルでの限られたものだったので、朝日ほどのインパクトを与えることはできなかったことは、前のシリーズでご紹介した通り。
赤木家の変化について、本書から引用。太字は、原文のまま。
それでもトッちゃんの様子はこれまでと変わらなかった。連日、帰宅が深夜二時三時になっても、朝はいつも通り出かけていった。「今は大変な時なんや」と言って、長時間残業だったけど、公務員としての使命感でむしろやる気が燃え上がっているように思えた。
それが変わったのは十八日後。相澤さんは「二月八日は森友記念日」と言うけど、私とトッちゃんにとっては「二月二十六日が改ざん記念日」。私たちの人生をひっくり返した。その日起きたことを、トッちゃんは「手記」の中にありありと書き残していた。
元は、すべて、佐川(宣寿)理財局長の指示です。(中略)学園に厚遇したと取られる疑いの箇所はすべて修正するよう指示があったと聞きました。
佐川理財局長の指示を受けた、財務本省理財局幹部、杉田補佐が過剰に修正箇所を決め、杉田氏の修正した文書を近畿局で差し替えました。
第一回目は昨年(注・2017年)2月26日(日)のことです。
当日15時30分頃、出勤していた池田靖統括官(注・赤木俊夫さんの上司。当時は統括国有財産管理官)から本省の指示の作業が多いので、手伝って欲しいとの連絡を受け、役所に出勤(16序30分頃登庁)するよう指示がありました。
あの日のことを私は今もはっきり覚えている。日曜日だった。残業残業で明け暮れていたトッちゃんも、この日は休みだった。午前中、一緒に神戸の繁華街、三宮で買い物に出かけた。大丸神戸店の近くのお店で、お気に入りの「インコテックス」というイタリアのブランドのパンツを二本買った。トッちゃんは服装にもこだわる、お洒落好きな人だった。
その後、私の母が実家から遊びに来たので、一緒に市内の梅林公演を訪ねた。そこで、トッちゃんの携帯が鳴った。通話の後、トッちゃんは「池田統括が困っているから、ぼく助けに行くわ」と言い残して職場に向かった。
トッちゃんは池田さんより年上だけど、上司の池田さんのことを信頼し尊敬もしていた。だから「助けに行く」と聞いて「日曜なのに大変だなあ」とは思ったけど疑問には思わなかった。まさか公文書を改ざんさせられるために呼ばれたとは・・・・・・トッちゃんも職場に行くまで知らなかったに違いない。
後に池田さんは改ざんについて、トッちゃんが若い部下と一緒に「涙を流して抵抗した」と私に明かした。トッちゃんは生前、若い二人の部下には「やらせていない。そこはよかった」と話していた。
「二二六」が、赤木雅子さんにとっては、あの事件とは別な意味を持っていたということか。
涙を流して抵抗したにも関わらず、本省佐川理財局長の指示に、近畿財務局は従わざるを得なかった。
その汚れ役を、俊夫さんは、若い部下を巻き込まず、一人で背負ったのだ。
しかも、改ざんはこれ一回では済まなかったことを、私はトッちゃんの「手記」で知った。
その後の3月7日頃にも、修正作業の指示が複数回あり現場として私はこれに相当抵抗しました。(注・近畿財務局の)楠(敏志)管財部長に報告し、当初は応じるなとの指示でしたが、本省理財局中村総務課長(現イギリス公使の中村稔氏)をはじめ田村(嘉啓)国有財産審理室長などから楠部長に直接電話があり、応じることはやむを得ないとし、美並(義人)近畿財務局長(に)報告したと承知しています。
美並局長は、本件に関して全責任を負うとの発言があったと楠部長から聞きました。(中略)
本省からの出向組の小西(眞)(注・管財部)次長は、「元の調書が書きすぎているんだよ。」と調書の修正を悪いとも思わず、本省杉田補佐の指示に違い(注・従いのミスと思われる)、あっけらかんと修正作業を行い、差し替えを行ったのです。
(大阪地検特捜部はこの事実関係をすべて知っています)
これを読むとよくわかる。トッちゃんは不正な公文書改ざんにはっきり反対した。それに上司の楠管財部長もいったんは同調した。新婚時代に自宅を訪ねたことがある、あの楠さんだ。ところが、財務本省理財局の中村稔総務課長(当時)たちが電話で圧力をかけてきた。最後は近畿財務局トップの美並局長(当時)が「全責任を負う」と発言してゴーサインを出した。
みんな、あんまりじゃない。トッちゃん一人に責任を負わせて、後は知らんぷり! それに(大阪地検特捜部はすべて知っている)って、じゃあなぜみんな不起訴にしたの? 納得がいかないことだらけ。
私も、納得がいかない。
全責任を負う、と言っていた当時の美並義人近畿財務局長は、現在、国税庁東京国税局長になっている。
誰も、責任など取っていないのだ。
涙を流し反対したにも関わらず、改ざんをさせられた俊夫さんは、体調を崩していく。
改ざんをさせられた日を境に、トッちゃんの様子は変わった。はっきり変わった。明るい笑顔が影を潜め、暗く沈んだ表情んばかり見せるようになった。あまりの変わりように、岡山の実家で暮らす私の母と兄の一家も心配した。
母も兄もトッちゃんと気が合った。兄の妻は私と幼稚園から中学まで同じ学校で、やはりトッちゃんと仲良しだった。そして兄夫婦の三人の息子、私たち夫婦のいとっては甥っ子たちも、みんなトッちゃんのことが大好きだった。よく神戸に来ては、動物園に行ったり、プールではしゃいだりしていた。私たちも岡山の実家へ行って、近くの山でみんなで虫取りを楽しんだりした。
最初の改ざんから三週間ほどたった3月19日。兄の家族から荷物が届いた。ステーキ肉とトンカツ用の肉の詰め合わせ。トッちゃんが働き過ぎで元気がないんじゃないかと思って、「敵に勝つ」という意味で送ってくれた。甥っ子三人の手紙も添えて。
<としおおじちゃんへ
いつもお仕事ごくろう様です。大変な仕事だと聞いています。大変な仕事でかせいだ給料でぼくたちを夏休みにいろんな所へ連れていってくれてありがとうございます>
<としおおじちゃんへ
お仕事が大変で休みもとれないらしいけど、ぼくは小学校を卒業して、●中で勉強や部活動をがんばるから、としおじちゃんもがんばってください>
<最近テレビなどを森友学園のニュースをよく見ます。籠池理事長の爆弾発言などもあり、多忙の日々かと思います。早く問題が解決することを勝手ながらお祈りしています>
兄一家が改ざんのことを知るはずもない。みんな森友事件で多忙を極めて疲れているんだとばかり思っていた。不正な改ざんをさえられて苦しんでいたなんて、思いもよらなかった。
私にも、甥や姪は何人かいる。
しかし、こんな手紙を書いて、体調を気遣ってくれることがあるかどうか。
赤木俊夫という人が、どれほど奥さんのみならず、その家族からも愛されていたことがよく分かる。
昨年、手記が週刊文春に掲載された際に記事を書いた。
2020年3月19日のブログ
その記事で紹介した東京新聞の記事へのリンクはもう切れているが、お借りした表を、再掲したい。

改ざんが始まる2017年2月26日から九日前、2月17日の、あの人の発言が、赤木俊夫さんの命を奪う悪の歯車が回り出す記念日なのは、明白だ。
しかし、当の前首相は、何ら責任を取っていないし、職を失ったとはいえ、当時の佐川理財局長も、その上司たる財務大臣なども、何らその罪を問われていない。
発覚から四年、赤木俊夫さんの死から三年が経とうとしているが、すでに、とは言いたくない。
まだ、四年、三年、なのだ。
この問題を、忘却の彼方に追いやることはできない。
今回の総務省接待事件も、根は同じなのだ。
どちらも、総理大臣という権力者からの有形無形の圧力から発している犯罪なのである。
忘れないためにも、このシリーズを続けたい。
最後に、本書の帯にある、雅子さんのイラストを拡大して掲載する。
このイラストを、直視することができる国会議員、公務員が、果たしてどれ位いるだろうか。

