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Number 1018「藤井聡太と将棋の冒険。」より(7)


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 「Number 1018」の将棋特集からの七回目。

 今回は、「貴公子の原点 盤上に愛をこめて。」と題された、斎藤慎太郎八段のこと。

 日本将棋連盟サイトから、A級順位戦の対戦表を拝借。
日本将棋連盟サイトの該当ページ
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 前回もご紹介したように、名人戦の挑戦者予選リーグに相当するA級順位戦で、斎藤は現在六勝一敗とトップを走っている。
 本書から、プロフィールを引用。

1993年4月21日、奈良県生まれ。畠山鎮八段門下。2012年、四段。'20年、八段。タイトル戦登場は三回。獲得は王座一期。'15年度新人賞、'15年、'16年度勝率一位。著書に『斎藤慎太郎の角換わり腰掛け銀研究』など
 今年28歳。

 豊島将之竜王が1990年4月30日生まれなので、今年31歳。
 永瀬拓矢王座は1992年9月5日生まれ、今年29歳。
 
 タイトル保持者と同世代の良きライバルだ。

 冒頭の、十年ほど前の彼の言葉から引用。
 筆者は、観戦記者の諏訪景子。

「僕は奨励会に入る前から詰将棋が好きで好きで、もう好きなんてものじゃなく、愛していると言ってもおかしくないと思います。今回は詰将棋をどれくらい愛しているかが結果に出たのかなと思いました。本将棋も詰将棋と同じくらい愛して、四段に昇段したいです」
 2011年の第八回詰将棋解答選手権で優勝した17歳の斎藤慎太郎は語った。詰将棋とはもともと、将棋の終力を磨くための練習問題。現在では実際の対局には現れそうもない派手な捨て駒や、無駄に思える合駒が飛び出す芸術的なパズル、将棋から独立したジャンルとして確立されている。
「のめり込むと将棋にはマイナス」と言われる詰将棋への愛を前面に押し出したスピーチは、棋士を目指す過程にある奨励会三段としては異例の内容だった。

 このスピーチを聞いていた中に、初参加した、当時八歳の藤井聡太がいたらしい。
 小学二年生で、途中までトップグループにいたというから、やはりすごかったのだ。

 しかし、詰将棋解答選手権自体がマイナーだったこともあり、総合成績では24人中13位でしかなかった藤井の鮮烈なデビューや、当時の最年少優勝記録を確立した斎藤の活躍は、将棋界の中でも詰将棋好きな一部のマニアだけの話題に終わった。選手権が注目されるようになったのは、藤井が小学六年生で初優勝を遂げてからだ。
「選手権は棋士が多く出場しているので、小さな子供が出ているとそれだけで意識します。それからずっと年に一度、選手権にときだけ会う関係でした。藤井さんは詰将棋が好きで、情熱があって、盤にのめり込むような集中力がありました」
 後にふたりは、わずかな期間だがVS(一対一の研究会)を行った。

 藤井が2015年に奨励会の三段に昇段した時、開幕したばかりの三段リーグに間に合わず、翌年4月の次期リーグが始まる間の半年、ブランクができた時、二人はVSをしていた。

「三段リーグの半年待ちは、大きなブランクになります。私も藤井さんから教わることがあると思ったし、お互いにメリットがあれば、と声をかけました。インターネット対局が中心でしたが、対面での対局も1~2回やりました。序中盤が課題だと言われていたけど、当時から藤井さんの将棋は完成している思っていました」

 斎藤は藤井のほぼ十歳年上だが、年齢は関係ないということが、彼の言葉からうかがえる。

 また、半年のブランクを埋めてくれた斎藤は、藤井にとって大事な先輩と言えるだろう。

 斎藤の藤井評を続ける。

「私と藤井さんは終盤戦の斬り合いに持ち込むのが好きという共通点がありますが、藤井さんは最善手を追求した結果、踏み込まない手を選べるのがすごいところです。それに危険を察知する能力が高いので、持ち時間が少なくても誤りません」

 斎藤の将棋との出会いは、小学一年生の時。
 
 通ってきた公文式の教室で、休憩中に本棚から何気なく手に取った本が、羽生善治が著した将棋入門書だった。
「100冊以上あった中で適当に選んだので、全く偶然の出会いでした。あれが囲碁だったら、あるいは全然違うジャンルの本だったらどうなっていたのか」
 興味を持ち、帰宅後に父親から将棋のルールを教わった。初めは歯が立たなかったが、内緒で棋書を読み、覚えた戦法をぶつけて勝利する。
「将棋って小さな成功体験を積み重ねて成長していきますよね。それが初めての体験でした。それ以来、父とは指していません」

 公文式は、永瀬拓矢も通っていたが、残念ながら人並みにできなかったと語っていたなぁ。

 私は、小学生時代、書道の塾だけは通っていた。
 それは、姉、二人の兄も通っていた塾で、その塾の会費は、我々兄弟が増える度に、兄弟値引き額を変えていったことを思い出す。
 算盤塾は、一日でやめた。
 なぜなら、お寺でやっていた塾なのだが、その窓から見える広場で、仲間が野球していたから。
 小学二年生から、とにかく野球ばかりやっていた。

 私のことはさておいて、斎藤のこと。公文式以外にも、いろいろ習い事もしていたようなのだが。

 それから斎藤は本格的に道場へ通い、将棋を向かい始めた。小学生なのでほかの習い事にも通ったが、一番楽しかったのは将棋。どこへ行っても将棋が一番だった。
「音楽好きの母の勧めでドラムを習ったことがありますが、ドラム教室のあとに近くの将棋道場に行くのがいつものパターンでした。父の影響でゴルフを習っていたときも、休憩時間にスポーツ新聞の詰将棋を解くのが楽しみで、いま思えばいろいろ習わせてもらったのに申し訳ないです」

 ドラムやゴルフなどを習う小学生だったんだ。

 本書では、親の職業などは紹介されていないが、Wikipediaによると、ある飲食チェーンのフランチャイズオーナーであるらしい。
Wikipedia「斎藤慎太郎」

 そんな斎藤の将棋への愛について、次回もご紹介するつもり。
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by kogotokoubei | 2021-01-28 12:47 | 今週の一冊、あるいは二冊。 | Trackback | Comments(0)

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by 小言幸兵衛
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