豊島将之という棋士ー「NUMBER 1010」より。
2020年 12月 06日
豊島竜王が84手で挑戦者の羽生九段を破り、四勝一敗で、防衛した。
残念ながら、羽生九段、粘れず。
豊島将之棋士としては、初めてのタイトル防衛。

NUMBERが、初めて将棋をテーマとし、増刷が続くほど売れた1010号を元にして、いくつか記事を書いた。
2020年9月17日のブログ
2020年9月19日のブログ
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2020年9月25日のブログ
その際、豊島将之竜王について、紹介していなかった。
竜王と叡王二冠の棋士のことを、あらためて「NUMBER 1010」からご紹介しよう。
「NUMBER 1010」を元に豊島竜王のプロフィールをご紹介。
平成二(1990)年9月30日生まれの30歳。
同じ愛知出身の藤井聡太とは、ちょうど一回り上の午年。
そう、藤井二冠と同じ中部地区の出身なのである。
桐山清澄九段門下となり、平成十九(2007)年四段。昨年九段となっている。
タイトル戦の獲得は、名人一期、竜王一期(今のところ)、王位一期、棋聖一期。
現在行われている竜王戦七番勝負で羽生九段に勝てば、初のタイトル防衛となる。
今月は、他にも22日に行われたトップ棋士が超早指しで競う「第四十一回将棋日本シリーズJTプロ公式戦」の決勝で、永瀬拓矢王座を破り、四年ぶり二度目の優勝を果たした。
そして、本日、同じ永瀬王座と、渡辺明王将への挑戦権をかけて、プレーオフを戦っている。
豊島は、“藤井キラー”としても知られる。
「NUMBER 1010」から、ご紹介。書き手は諏訪景子。
ちなみに、諏訪景子は将棋観戦記で定評のあるフリーライター。本年の第32回将棋ペンクラブ大賞の観戦記部門で、朝日新聞に昨年掲載された「第77期将棋名人戦七番勝負第3局」の観戦記が大賞に選ばれている。
豊島は四歳で将棋を始め、七歳でアマ四段、九歳でアマ六段と尋常ではないスピードで成長を遂げた。一歳上の大石直嗣七段が振り返る。
「小二のときに大会で、豊島さんと対戦しました。年下が相手だし勝つつもりでいたけど、どんどん駒を取られて負けました。豊島さんを見ようと集まった大人に囲まれて指したことは印象に残っています」
アマ時代に豊島と何度も対局し、奨励会には同じ1999年に入会した宮本広志五段は「家族に『もう中2なのに、あんなに小さな子も入るような世界でやっていけるのか』と心配されました」。ただ、当時、中学生でも入会は平均的。史上最年少の小3で入会した豊島が、ずば抜けて幼かったのだ。アマ六段から奨励会6級になった豊島は順調に昇級・昇段を重ね、2007年、16歳で四段昇段を果たす。
四段ということは、プロになったということ。
すでに高校生だったので、中学生棋士ではなかったが、早熟の棋士であるには違いない。
プロ入り後は、関西将棋会館で研究会に参加したり、当日行われている公式戦の局面を控室で検討したりして、腕を磨いた。研究会とは、棋士たちが設ける私的な対局の場。実践不足を補う面もあるが、結果よりも内容が重視される。大多数の棋士が取り組んでいる練習だ。
研究会では、多くの棋士が四人で総当たり戦を行うが、豊島は、特定の相手と一日に数局指す「VS」を好んだ。三歳年下の斎藤慎太郎八段も、その相手だった。
斎藤が「豊島さんは戦う気持ちを全面に出されていて、たまに私が勝ち越すと悔しがっていました」と言えば、大石も「盤駒を用意しようと将棋会館に早めに行くと、大抵は豊島さんが既に準備していました」と回想するように、豊島はただただストイックに棋力向上を目指した。
研究会での対戦相手である大石と豊島は遊び仲間でもあり、若手棋士が定期的に集まるフットサルやバドミントンに豊島も一緒に参加する仲だった。
研究会での成果もあり、豊島は二十歳で王将戦の挑戦者になったが、久保利明王将に敗れた。
優勝候補に毎年挙げられた「新人王戦」も準優勝止まりだった。
豊島が当時を振り返る。
「周囲の期待は感じましたが、思うように実力が伸びないことに焦りを覚えていました」
七割前後の高勝率だが、「そこそこ」のところで敗れ、挑戦者になれない。最高峰の竜王戦でも、決勝トーナメントの常連なのに挑戦者決定戦にすら進めなかった。
そんな悶々としていた2013年夏、コンピューター将棋ソフトと棋士との団体戦「第三回将棋電王戦」への参加に立候補した。
電王戦は2012年に始まった棋士とソフトの対抗戦で、この頃はまだ「既にソフトがプロ棋士を上回っている」「まだまだ人間のほうが強い」と、将棋ファンでなくとも様々な意見が飛び交う時期だった。
豊島が将棋ソフトとの戦いに参加を決めたのは、前回の電王戦の参加に向けて準備していた棋士が、その準備のプロセスで強くなったと感じたからだった。
また、同じ年の王座戦で、羽生王座に二勝三敗で敗れた。
「電王戦の前から少しずつ、研究会中心のやり方では前に進めている感覚がなくなってきていました。王王座戦で羽生さんとの力の差を感じて、取り組みを変える必要性を感じました」
豊島は、ひとつの決断をする。
「研究会を全て辞めて、ソフトを使った研究に一本化する」
王座戦の挑戦が決まった頃、豊島は多忙を理由に「当面の研究会を休止したい」と斎藤らに申し出ていた。そのときは王座戦が終わったら再開するつもりだったが、そのまま連絡をせず、豊島は家にこもってパソコンと向かい合う生活に入った。フットサルにも参加しなくなった。
研究会仲間たちは、それぞれが戸惑いながら、豊島の決断を受け入れていた。
豊島の家族は、家に閉じこもってパソコンと向き合い続ける豊島を心配した。
しかし、その成果は出た。
少しずつ、中盤で正確に判断する力がついてきた。序盤も研究の成果が出て、さらに作戦勝ちが増えた。斎藤は「豊島さんは持ち時間の使い方が変わり、決断がよくなりました。もともと終盤が強いところに、中盤の厚みが加わった」と分析する。ようやく豊島の苦労が実ろうとしていた。
その後の戦績。
2016年 将棋日本シリーズ優勝
2017年 順位戦でA級入り
2018年 棋聖戦で初タイトル獲得、王位獲得
そして、2019年に、竜王と名人を続けて獲得した。
その間に失ったタイトルもあるが、棋戦上位二つを同時に獲得したのは史上四人目の快挙だった。
名人位は奪われたが、竜王は、防衛した。
そんな豊島は、これからも将棋ソフトでの研究一本で行くのか。
「ソフトを活用して学ぶ序盤や中盤の感覚が煮詰まっています。さらに深く理解するために研究会を再開し、指した対局を複数人で掘り下げるのは有効かもしれないと考えています」
「まだコロナの影響で難しいかもしれない」と断りは入ったものの、豊島が研究会再開となれば、関西将棋界は活気づくだろう。そして、豊島は自らの手でその選択が正しいことを証明してくれるに違いない。
将棋ソフト(AI)と棋士の頭脳の融合、か。
豊島竜王の構想は、そういうことなのだろう。
きっと、その両方を行ったり来たりするのだと思う。
AIは、背景にあるデータベースから瞬時に最善手を読むことはできるかもしれないが、そのAIでも何億手も先を読まなければ考えられない手を、棋士は指すことができる。
さて、豊島が持つもう一つのタイトル、叡王戦の八段位の予選で、藤井二冠はあと一勝で本戦トーナメント進出。
藤井二冠も、将棋ソフトでの研究をしていることは有名。
その藤井二冠に負けなしの豊島竜王。
叡王戦での対戦の可能性もあるし、今後、豊島vs藤井は、たくさんあるだろう。
実に楽しみだ。
