笑福亭羽光は、東京の上方落語家である。
2020年 11月 24日
落語芸術協会所属であり、あくまで東京を地盤とする上方落語家なので、本来は、東京予選の突破者ではないかと思う。
ビデオによる一次審査の通過者が25名で、その人たちの二次審査がどのように行われたか、相変わらずNHKは大会の公開もしなければ、情報の公開もしないので、分からない。
もし、関西で行われた二次予選に羽光が参加して本戦出場となったとのなら、それはおかしなことである。
あくまで、羽光は、東京を地盤とする上方落語家であるから、東京予選に出ていなければならないだろう。
羽光の師匠、鶴光も東京を地盤とする上方落語家であり、その鶴光には、次のように多くの弟子が存在する。
笑福亭學光・笑福亭里光・笑福亭和光・笑福亭羽光・笑福亭竹三・笑福亭希光・笑福亭茶光
もちろん、鶴光より以前にも東京で活躍する上方の噺家さんは存在した。
代表的なのが、二代目桂小文治と二代目三遊亭百生だろう。
芸は西だが、拠って立つ地盤は東なのである。
羽光は、間違いなく、東の予選突破者として紹介されるべきだ。
毎日新聞に載った羽光へのインタビュー記事が、私の思いを裏付けている。引用する。
毎日新聞の該当記事
--羽光さんは「東京で活動する上方落語」ですね。
僕は東京で修業した上方落語なんで、自分のアイデンティティーとは何なのかを問い続けてました。二つ目になって(上方の桂)文我師匠、(桂)九雀師匠に稽古(けいこ)をしていただいて、上方落語の基礎というか、米朝一門の技術を教わりました。上方にも同期がいるんですけど、(桂)咲之輔とか(桂)福丸くんとか、ちょっと上の桂ぽんぽ娘(こ)姉(ねえ)さんとか、すごくよくしてくれて。でも一緒に(天満天神)繁昌亭で修業したわけではないんです。
大阪の笑福亭の人は、(笑福亭)たま兄(にい)さんにすごくお世話になっていますが、その他の方はそんなにお付き合いがないんです。でも、この受賞で、いきなり(笑福亭)仁智(じんち)師匠(上方落語協会会長)から「おめでとう」とショートメールをいただきました。
一緒に修業した「成金」(羽光さんが所属する落語芸術協会=芸協=の同世代の若手ユニット)のメンバーは、苦楽を共にした、一緒に怒られてお茶出した仲間。どちらかといえば近いし、所属意識がある。芸協が一番喜んでくれたし、芸協の師匠方も東京か上方かわからん僕に対して指導してくれた。芸協の芸人という意識が強いですね。
芸協は若手がやることを会長、副会長、みんなが後押ししてくれて、協会として「成金がんばれ」とやってくれた。(桂)歌丸師匠(前会長)は公演のゲストに体調が悪い中、出てくださって。(柳亭)小痴楽兄さんがみんなを引っ張っていってくれたし、神田伯山は売れたし、桂宮治はその前からスターやったし、ということで、いろいろいい時期に入れたと思いますね。
(母校である)大阪学院大の落研(落語研究会)の先輩である(六代目)立川文都師匠(談志門下。2009年、49歳で死去)が、談志の弟子なのに上方落語をやってることに悩み続け、問い続けた方でした。あいさつに行ったら「お前の方が笑福亭やから上方落語やなあ」と言われたのが印象的でした。
入門して(上方落語で使う)見台を使っていいのかどうか悩んでいた時に、文都師匠と仲がよかった(桂)竹丸師匠が「羽光、お前は、東京でやってる上方落語だ、ということを問い続ける。そこに何かが見えてくる」と言ってくれて、その言葉をずっと大切にしてきました。
四派、そして上方と分断されてた時代を師匠方から聞きますが、今は若手が神田連雀亭でみんな集まるんで、そういうのはないですね。でもM-1グランプリのように「戦い」という形にすると、みんなにより知ってもらって盛り上がりますよね。今回も「クソ、小辰に負けるか」とか、もっと事前にあおりたかったんですが、向こうが嫌がってるかもしれないし、僕が先輩なんで、「兄(あに)さんやめてください」と言えないので控えたんですが。
そうそう、文都も東京の上方落語だった。
懐かしい名だ。
古今亭志ん輔が尽力してできた神田連雀亭が、派を越えて、若手にとって大事な場となっていることも、読み取れる。
成金のメンバーでもあった羽光。良いライバルと相談相手にも恵まれたと言えるのだろう。
昨日の放送で、大賞に決まった途端、「売れる!」と叫んだ、羽光。
前回記事で紹介したように、協会サイトのプロフィール欄にも、「売れたい!」という強い思いが溢れている。
それでいいのだと思う。
コロナ禍となり、ますます、ネットでの情報提供が重要になってきた。
これは、世の中の流れであり、避けて通れない。
何年も協会サイトの自分のプロフィール欄を更新していないような二ツ目さんは、本来なら高座で「顔と名前だけでも覚えて帰ってください」と言う機会の少ない今、それに代わる自己PRの機会を放置している、ということである。
そして、芸者の置屋と同じような役割を持つのが協会だとするなら、そういう状態を放置している協会は、抱えている芸者を売り込もうとしない置屋と同然に、業務に怠慢だということだ。
東京の両協会のサイト、見比べれば、どちらが協会員を大事にしているか明白だ。
紹介した記事にあるように、落語芸術協会の成金メンバーが話題になり、メンバーそれぞれが活躍しているのは、彼らにとって歌丸前会長などが大きな支えになっていたからだろう。
昨日見た『ペラペラ王国』は、よく練られた新作だった。
とはいえ、作品は良くても、演者がまずければ、落語作者としては良いのだが、落語家として今ひとつ、と評価されてしまうだろう。たとえば、当代文枝のように^^
しかし、羽光は、入門前のお笑い芸人での経験を活かしているのだろう、話芸の基本ができており、笑いのツボをしっかり押さええいる。
東京で活躍する、新作も得意な上方落語家の笑福亭羽光、ますます今後が楽しみである。
ありがとうございます。
そういうことでしたか。
それにしても、それでいいのかなぁ、とは思っています。
