すべてに優先することー『深代惇郎の天声人語』より。
2020年 11月 13日
憂鬱なニュースが続く。
こういう時は、その昔の賢人の言葉を確認したくなる。

『深代惇郎の天声人語』
深代惇郎さんの「天声人語」に、その言葉があった。
昭和四十九年十月二十三日、題は「狂気の時代」。
国連の軍縮会議で米代表のサイミントン上院議員は「米国は広島型原爆の六十一万五千三百八十五発分に相当する核兵器を現在所有している」と述べた。彼は「核兵器のふくれ上がる現状をこのままほうっておけば、核の方が人類をのみ込んでしまう」という警告として、この数字を明らかにした。広島の原爆が一個で十万人を殺したとすれば、米国の核兵器は615億人を殺せることになる。世界中の人間を16回殺せる量だ。また米国側の別の資料によれば、ヨーロッパに七千発、アジアに三千発が配備されているという。
米国のほかソ連に二千六百発、中国に二百発、英国に百九十二発。フランスに八十六発の核兵器があるという推定もある。もし人類が生き残り、後世の史家が二十世紀後半を論ずるとき、何というだろうか。「狂気の時代」と名づけられそうな気がする。
彼らはこう言うかも知れぬー当時の野蛮な人間たちは自分たちを数十回殺せるほどの殺人兵器をもちながら、それを止めることができなかった。自分だけ先にやめれば不利になると、A国も、B国も、C国もいいつづけた。核兵器をなくすために核兵器を持たねばならぬ、という国も現れた。中世の魔女裁判、近世の宗教戦争に比べても、人間たちがなおいっそう狂気にかられた時代だった、と。
狂気の時代には、正気なことをいう者が狂気じみた人間にされる。四年前、九十七歳で死んだ英国の哲学者バートランド・ラッセルが過激な異端者にみえたのも、そのせいだろう。彼は「人間が生き残ることーこれがすべてに優先する。文明も繁栄も、自由主義も社会主義も、それは人類の生存が前提である」といった。
死を間近にして、この偉大な哲人はこうも語っている。「人類に未来があるか。あるいは破滅か。その解答の出ないまま私は死んでいく。ただ私の最期の言葉として遺したいのは、人類がこの地球に生き残りたいと思うならば、核兵器を全廃しなければならない」。(49・10・23)
四十六年前の内容なのだが、はたして、「狂気の時代」が続いていること、もっと言えば、その「狂気」の度合いが増していることは明らかだ。
広島県は、「国際平和拠点 ひろしま」というサイトを作っていて、さまざまなデータも掲載してくれている。
「国際平和拠点 ひろしま」の該当ページ
同サイトによると、2020年1月時点での各国の所有核兵器数は、以下の通り。
米国 5,800
ロシア 6,375
英国 215
フランス 290
中国 320
インド 150
パキスタン 160
イスラエル 90
(北朝鮮 30-40)
合計 1 3,400
この数字を見たら、バートランド・ラッセルは、果たしてどう言うだろうか。
地球の全人類を何度殺すことのできる量なのか、まさに、計り知れない。
核兵器禁止条約は、これらの国は批准していない。
加えて、原発の唯一の被害国、日本も。
核の傘、という言葉が今も生きていること自体が、狂気の時代の証だ。
昨日女川原発について書いたが、原子力発電所を持つということは、核兵器の原料となるプロトニウムを持つ、ということだ。
もし、テロ組織が、日本の原発を襲撃したら、という恐怖は常につきまとう。
もちろん、核兵器そのものが、テロ組織に強奪される危険性だってある。
そして、誤って、そのボタンを誰かが押してしまったら・・・・・・。
あらためて、バードランド・ラッセルの言葉を確認したい。
“人間が生き残ることーこれがすべてに優先する”
ラッセルの言葉に従えば、生命か経済か、なんて二者択一は、ありえないのである。
ある程度の犠牲は覚悟し、経済を再生させる、なんて考えは、ラッセルの辞書には存在しない。
これ以上、感染者が増えて死者、入院患者が増えたら、経済どころではなくなる。
まずは、感染拡大を阻止する。
まずは、核兵器を地球からなくす。
まずは、原発を再稼働させない。
そういう、人間が生き残ることへの努力が、すべてに優先するのだ。
それによって被害を被る人々を支援するためにこそ、税金は使われるべきではないのか。
Go Toなど、論外。
数十年後、史家は、こういうかもしれない。
感染が拡大する状況でもGo Toをやめなかった日本は、まさに狂気の国だった、と。
すでに天国では、ラッセルも深代さんも、そう思っているはずだ。
