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多くの“片棒”を担いできた人ー東京新聞コラム『筆洗』などより。

 今日の東京新聞のコラム「筆洗」が、落語『片棒』を取り上げた。引用する。
東京新聞の該当コラム

 落語の「片棒」は自分の葬儀がどうなるかを心配する大店(おおだな)の主(あるじ)の話で、三人の息子に意見を聞く。葬儀のやり方をどう考えるかでふさわしい跡継ぎも決めようというのである▼上の二人の息子は「豪華なものを」「芸者衆も登場する粋なものを」と答え、却下される。この主、ケチなのである。気にいられたのは一番下の息子で質素な弔いにしたいという。棺桶(かんおけ)は菜漬けの樽(たる)。人を雇うのも無駄なので自分がかつぐが、片棒のもう一方はどうするかで困っていると言うと、この主、「心配はいらん。おとっつぁんがかつぐ」▼政府を「上の二人の息子」と呼ぶ気はないが話は中曽根康弘元首相の内閣・自民党合同葬である。政府が支出する約九千六百万円が高すぎるという指摘が出ている▼過去の合同葬に比べ、飛び抜けて高いわけではなさそうだが、コロナ禍の不安な日々の中で、その金額にためいきをつく世間の心も分からないではない▼首相経験者を悼む葬儀の経費にこの手の批判が出た記憶はあまりない。これも時代の変化か。政治家の仕事に対する敬意を国民が抱きづらくなっている。その最大の原因は長年の政治家不信であり、なぜ、そんなお金を使ってまでという疑問につながっている▼気の毒なのは中曽根さんだろう。政治パフォーマンスにたけ、世論に敏感だったその人なら「片棒」をかつぎかねないのであるが。

 少し前に朝日の「天声人語」の落語ネタについて書いたが、こっちの方が、落語が生かされているし、適度に批評精神があって良い。

 中曽根康弘という人物の功績には、三公社の民営化が挙げられるが、果たして他にどんなことの“片棒”を担いできたのか。

 まず、何と言っても、日本の原発政策だろう。

 今は、時事ネタもこっちで書いているので、ほとんど更新しなくなっている兄弟ブログ「幸兵衛の小言」で、ある本から、日本の原発政策の過渡期に、この人が大きな“片棒”を担いだことを紹介した。
「幸兵衛の小言」の該当記事

多くの“片棒”を担いできた人ー東京新聞コラム『筆洗』などより。_e0337865_16390032.jpg

三宅泰雄著『死の灰と闘う科学者』(岩波新書)

 重複するが、あらためて三宅泰雄著『死の灰と闘う科学者』(岩波新書、1972年発行)から引用したい。
 
寝耳に水の原子炉予算 

 日本学術会議のなかでは、いますぐ原子力の研究にとりかかるより、むしろ、会議が政府に新設を勧告したばかりの「原子核研究所」(1953年勧告)の早期実現をのぞむ声が大きかった。第39委員会の主催でひらかれたシンポジウムのあと、数日たった3月2日に突如として原子炉予算が、予算修正案の形で衆議院に提出された。これは、当時の野党の一つであった改進党からの提案だった。この追加予算案は与野党三党(自由党、日本自由党、改進党)の共同修正案として、たいした議論もなく3月5日に衆議院を通った。
 その内容は、2億3500万円が原子炉をつくる費用、ウラン資源の調査費が1500万円、チタン、ゲルマニウムなどの資源や利用開発のための費用が3000万円、図書、資料費が2000万円、合計3億円であった。この予算案は参議院におくられ、自然成立の形で第19国会を通過した。
 この原子炉予算案をつくったのは、当時の改進党所属の代議士中曽根康弘、斉藤憲三の両氏、ほか数名といわれている。中曽根氏はそのころのことを次のようにのべている。
 「学術会議においては、(原子力の)研究開発にむしろ否定的な形勢がつよかったようであった。私はその状況をよく調べて、もはやこの段階に至ったならば、政治の力によって突破する以外に、日本の原子力問題を解決する方法はないと直感した。・・・・・・国家の方向を決めるのは政治家の責任である。・・・・・・」(日本原子力産業会議、『原子力開発十年史』、1965年)。
 そのときのことを、伏見康治博士はこう書いている。「新聞で原子炉築造のための予算2億3500万円が組まれたという記事を見たとき、文字通り私はあっと声をあげた。数日前上野で、原子力研究をどう進めるべきかの公聴会を開いたばかりで、これは藤岡由夫さんが長い間原子力問題のデッドロックを打開するために計画した討論会で、一応の成功を収めたと見られるものであった。それが打開も打開、研究者たちの知らないところで、全く新しい局面が展開されようとしているのである。私は本当にとび上がった。・・・・・・私は輾転反側して眠られなかった。・・・・・・悪くすれば、研究者と政治家と正面衝突ということになりかねなくなっているのである。・・・・・・私は夜おそくまでかかって“原子力憲章草案”を書いた。・・・・・・原子力をあくまで平和利用に限定するための具体的条件をうたい上げたものである」(伏見康治『研究と大学の周辺』、共立出版、1968年)。

 この原子炉築造用の予算2億3500万円の“235”という数字が、「ウラン235」との語呂合わせだと言うこと自体が、この予算の“乱暴”であることを物語る。洒落、地口は落語だけで結構だ。

 学者達が慎重に議論を重ねながら検討をしていこうとしていた時、そして、被爆経験のある広島大理論物理学研究所の初代所長三村剛昂博士が会議で正論を述べて学者達に感銘を与えていた状況において、また、そういう状況だったから、中曽根康弘他の政治家が力づくで“原子力の平和利用”を進めたのである。

 中曽根康弘が担いだ“片棒”は、他にもたくさんある。

 たとえば、拙ブログで紹介した青山透子さんの『日航123便墜落 圧力隔壁説をくつがえす』でも紹介したように、あの事故、いや、事件の背後に、当時の中曽根首相は大きな影をつくっている。

 原発、日航機墜落、現在のコロナ感染対策・・・・・・。

 “専門家”と政治との関係を思わないわけにはいかない。


 そうか、国民よりも、産業界やお友達が大事、専門家は無視するか利用する、国会での議論より閣議決定といった、今につながる自民党政治の礎を築いたのが、中曽根康弘だったか。

 「黒人は知的水準が低い」「日本は単一民族」なんてあなたの暴言癖も、後輩たちが、しっかり継承しているねぇ。

 盛大な葬儀にしなきゃならないはずだ。

 落語『片棒』の次男のプランのように、芸者もたくさん呼んで賑やかにやってください。


 しかし、まさか、我々の血税は使わないよね。
 
 少なくとも私は、あんたの葬儀の“片棒”など、担ぎたくない。

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by kogotokoubei | 2020-09-30 12:54 | ある人物 | Trackback | Comments(0)

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by 小言幸兵衛
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