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やはり、天才なのかーNumber 1010「藤井聡太と将棋の天才。」より(7)


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 このシリーズの七回目。

 東海の地に初めてタイトルを持ち帰った藤井聡太二冠。

 前回、板谷四郎という、藤井にとっては師匠杉本昌隆の師匠、板谷進の父であり師匠である、曽祖父に相当する棋士をご紹介した。
 あの戦争に四度も招集を受け、死線を超えた板谷四郎は、四十代で現役を退き、中京の地で将棋教室を開いた。
 弟子であり後継者だったのが、次男の進だった。

 今回は、板谷進について、藤島大による「板谷一門の偶然と必然。」からご紹介したい。

 杉本昌隆八段の師、板谷進は、どんな棋士であり師匠であったのか。

 大阪。炎天下の福島。関西将棋会館の応接スペースで師は自分の師の言葉を述べた。
「どんどん食って、ばんばん指せ。将棋という風呂に浸かるような生活をしろ」
 板谷進は杉本昌隆をそう励ました。
「文字通りの意味ですね。たくさん食べてたくさん将棋を指せば若いんだから勝手に強くなる。あまり悩むなと。うちの一門のそれが教えでした」
 この場合の一門とは「板谷進と弟子たち」を示している。開明的な「若先生」は実現も視野に収まった錬成道場建設に走り回るなど、中京の棋界を大いに活気づけ、なのに'88年2月24日、47歳で世を去った。くも膜下出血だった。


 板谷進について、Wikipediaから補足したい。
Wikipedia「板谷進」

 日本将棋連盟東海本部長を長く務めた強豪板谷四郎九段の次男。1958年、父に入門して奨励会入り。弟弟子に石田和雄らがいる。1962年四段、1974年八段。
 第11期(1967年度後期)棋聖戦挑戦者決定トーナメント決勝で中原誠に敗退してタイトル挑戦を逃した。第7期(1981年度)棋王戦は、挑戦者決定トーナメントを無敗で、第9期(1983年度)では敗者復活で決勝まで勝ち抜くも、いずれもタイトル挑戦目前のところで森安秀光に敗れた。
 1988年2月8日、第52期棋聖戦二次予選決勝で有吉道夫に勝利し、8年14期ぶりの挑戦者決定トーナメント進出を決めるも、結果的にこの対局が生涯最期の公式戦となる。2週間後の2月24日、47歳でくも膜下出血のため急死。九段を追贈される。
 親子二代の九段(他には木村義雄・木村義徳親子だけ)で、「東海の若大将」と呼ばれていた。豪快な棋風で「将棋は体力」と称していた。
 日本将棋連盟理事を長く務めた。

 板谷進が、決勝トーナメント出場を決めながら倒れた第52期の棋聖戦は、南芳一棋聖に田中寅彦八段が挑み、挑戦者が勝利。

 藤井聡太の初タイトルも、その棋聖である。

 藤井は第92期の王者だから、ちょうど40年ぶりに、大師匠の仇を討ったことになる。
 これも、なにか運命的なものを感じる。

 前回、棋聖の就位式の記事を紹介したが、師匠杉本昌隆と藤井聡太は板谷進の墓前に棋聖位獲得を報告したとのこと。
 杉本は、きっと「師匠が目前で倒れたタイトルを、聡太が取りました」と報告したに違いない。

 Numberの引用を続ける。

 名古屋市生まれの杉本昌隆は当時19歳、関西将棋会館で腕を磨こうと大阪へ移り住んだばかりだった。師が倒れたという一報をどこで知ったのですか?
「12月に大阪でひとり暮らしを始めて年が明けた2月です。たまたま体調を崩して、実家に帰って寝込んでいました。大阪には連絡が入っていたのですが、あのころ携帯電話もなありませんし中日新聞の記事で知りました。亡くなる前の日。、集中治療室に入って兄弟子たちと3人でいわゆる最期のお別れをしたのを覚えています」
 意識は戻らなかった。
「師匠は体力が自慢でした。色紙に『将棋は体力』と記すくらいに。ただ無理をしていた。東海地区在住の現役棋士が少なく、ほとんど孤軍奮闘、普及活動と自身の対局をこなしていましたので。わたしがプロになっていればお手伝いができたのですが。生きておられたら、いろいろなことが変わったでしょうね。藤井さんも進九段の弟子になっていたかもしれない」

 杉本昌隆は、小学2年の時、父の影響で将棋を初め、4年の時に、板谷四郎の弟子大村和久八段の指導に浴した。
 そして、坂種ビルの「教室」に通い、板谷進と出会う。
 小学6年で奨励会入り。

「まわりは年上ばかり」で負けが込んだ。「縦社会の礼儀作法」をしつけられて「将棋とは堅苦しいもの」との不審もふくらむ。心は盤を離れかけた。すると師匠の声がかかった。「心配するな。いつか勝てる。君は必ず棋士になる」。なんとか踏みとどまれた。
 '90年10月、板谷進の唐突な死より2年、やがて格別な弟子を迎えることとなる青年はプロ昇進を果たした。
「自分の経験は現在の指導にかなり影響しています。原点は将棋が強くなること。そこには先輩も後輩もない。上下関係のない(杉本)一門の考え方ともつながってます。また将棋の一門というのはプロのコーチに技術をひたすら教わるという世界とは少し違う。指導者の影響が強すぎると思考停止が起こる。自分の将棋に興味を持つ。それはいちばん大切なのです」

 悩んでいる時の師匠板谷進の言葉は、杉本少年にとって、実に大きな励みになったに違いない。

 前回、杉本にとって大師匠の板谷四郎は、振り飛車を守りの手として嫌ったことを、四郎の弟子石田和雄九段の言葉で紹介した。
 しかし、杉本は振り飛車を使う。とはいえ、藤井は、居飛車党。
 このあたり、杉本の言葉を裏付けているようだ。

 「自分の将棋」で強くなる。

 師匠の真似ではいけない、ということなのだろう。
 
 石田和雄九段が、藤井聡太について語る。
「突然、とてつもない怪物が出てきたということでしょう。種を蒔いたからではなくね。人智ではわからない。天の思し召し。しかし、振り返ってみれば、板谷四郎先生の栄の教室が原点である気もいたします。進さんもさまざま奔走しておられた。勝ちに不思議の勝ちあり、不思議な人が現れました。不思議なのだが流れはあった。四郎先生、進さん、草葉の陰で喜んでおられるんじゃないでしょうか」

 そして、杉本昌隆八段が言う。

「藤井聡太という才能によって板谷一門も照らされました」

 たしかに、藤井聡太という才能は、板谷四郎、板谷進という中京将棋界の功労者にも、光を当てることになった。

 名古屋大曾根にある杉本昌隆将棋教室には、藤井聡太に憧れて通う少年少女もたくさんいるのだろう。

 板谷一門から、近い将来、第二の藤井が誕生することだってあるかもしれない。

 磨けば光る才能が開花するには、上下の関係などのない、風通しの良い環境が必要なのだ。
 そして、AIの時代にどんな怪物が現れても不思議はない。


 さて、藤井二冠には、10月5日、王将戦挑戦者決定リーグの第二戦、“天敵”とも言える豊島将之二冠との対局が待っている。
 「囲碁・将棋チャンネル」のサイトから組合せ表を拝借。
「囲碁・将棋チャンネル」サイトの該当ページ

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 11月20日、最終一斉対局での藤井二冠の相手は、王位戦を争った“千駄ヶ谷の受け師”木村一基九段。

 初戦で、復活の兆しのある羽生善治九段に負けを喫しているので、渡辺明王将に挑戦するには、もう負けは許されない。
 ちなみに、永瀬二冠と表記されているが、先日、叡王戦で豊島に敗れたので、正確には、現在久保九段と戦っているが、永瀬王座、である。だから、豊島二冠(竜王・叡王)。

 さて、誰が、「自分の将棋」でこのリーグ戦を突破するのか、ワクワクする対局が続く。


 そんな“熱い”将棋を初めて取り上げた「Number 1010」のシリーズ、これにてお開き。

 長らくのお付き合い、誠にありがとうございます。

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by kogotokoubei | 2020-09-25 12:54 | 今週の一冊、あるいは二冊。 | Trackback | Comments(0)

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